回遊魚の旅日記

時の流れる音をききながら歩いたり歌ったり
少しづつ昔の暮らしをとりもどしつつ。

中仙道を歩く⑳大井~大湫~細久手

2016-01-03 22:39:39 | 中仙道(中山道)

12月28日(月)晴れ

山の朝の冷気を気持ちよく吸いこんで少し遅めの9時に出発。

前回着いた大井宿まではロッジのご主人に車で送っていただく。

前回は恵那駅から帰京したので新しい橋だったが、今日は正しく街道筋のこの長島橋を渡る。

まもなく西行硯池を通り過ぎ、いよいよ十三峠の石畳に入る。

まさに峠が十三あるようにアップダウンのある山道である。入るとすぐに西行塚。

中仙道の中でも長い道のり。

近くに交通機関はなくなるので、引き返すことはできない、前進するのみである。

道の両脇にはサザンカの花びらが散り、まるでピンクの絨毯。

ドウダンツツジも一緒に植えられているので秋の紅葉のころはさぞかしあでやかだろう。

カラスが食べ残したような、もう実り落ちてわずかしか残っていない柿の実を採って食べる。

シブガキなのかもしれないが、熟れているからかなんだか甘くておいしい。

初冬の枯葉色の山道、広がる畑、棚田の風景が気持ち良くて、大井~大湫間の約14キロの距離を全然疲れを感じることなく歩ける。

4人連れの旅とあっておしゃべりも冗談も出て楽しい(^^)

まもなく藤村高札場跡、深萱立て場(昔の御休み場)跡に着く。

もうお昼近く。ちょうどよく立て場跡にあずまやがあるのでそこで昼食。

あかまんまロッジの奥さんが作ってくれたおにぎりをいただく。

ウインナやタクアンが入った美味しい美味しいお弁当。いただきまーす!

 休憩所の近くの民家に住んでいる姉妹がひとなつっこく話しかけて来て、「気を付けて歩いてください!」とエールを送ってくれる。

道は再び石畳になったり、アップダウンを繰り返し、東濃ヒノキや竹の生い茂る山道に入ってゆく。

フフフやっぱりあるのよね、この注意書き。

ここに書かれている権現山の一里塚は江戸からちょうど90里にあたるらしい。

およそ360㎞歩いたわけである。

クマに出会うのは怖いから、もちろん、歌うのです。

この日はいつもの「森の熊さん」に加えて「あの鐘を鳴らすのはあなた」も独唱!♪

ちょっとおどろおどろしい祠に並ぶ三十三観音を過ぎ、よくわけのわからない尻冷やし地蔵も通り過ぎ、やがて大湫(おおくて)の宿に着く。

ひっそりとした宿場の中に入って公民館でしばし休憩。

ちなみに「大湫」の「湫」とは低湿地帯の意味。次の宿の細久手も同じ意味だろうがなぜ字が違うのかしらん?と首をひねりながら歩き出す。

 

街中の神明神社の大杉。樹齢1300年とのこと@!

何年か前にこの樹に雷が落ちたらしいが、それでもいまだに健在!

 

大湫を出て琵琶峠の石畳に入る。

馬籠から落合に下る十曲がり峠の石畳も長かったが、ここも600mあるらしい。

中仙道の、このあたりは鉄道や近代化から取り残されたせいか、一里塚も道の両側にきちんと残っていたり、本当に昔日の面影の残る貴重な道である。

美味しかったヘビイチゴ?

コワイね。

奥ノ田一里塚を越え、コケコッコーと啼き交わす養鶏場のニワトリの声が近づき、あれはトップテナーの素晴らしい鳴き声だ、なんだかんだ、と鑑賞したり

すぐそばのゴルフ場から飛んでくるボールなど拾いながら歩いているとやがて道は細久手宿に入ってゆく。

すでに4時を過ぎ、歩みを止めて立っているとしんしんと冷たさが足の裏から伝わってくる。

 

説明板の他には何にもなく、ただ通り道にしかすぎないようなこの宿場に今日は宿泊する。

江戸時代から続く尾張藩専用の本陣「大黒屋」さんである。

もちろん今は旅籠(旅館)。

 

中の黒光りする柱や造作は安政の大火をこうむったが、それ以後もずっと昔のままに保存。

2階に泊まるのだが、ちょっと歩いただけでギシギシミシミシ・・。

望月宿、奈良井宿でも宿泊した旅籠と同じようにトイレも階段下。

でも慣れてくるとこれでも十分なような気がしないでもない。

至れり尽くせりのホテルで空調もバストイレも完備でアメニテイもばっちりで、というところでなくても、あらかじめそれとわかっていれば全然困らない。

食事はお殿様が座られた上段の間でいただく。

わたしたち4人の他には埼玉の中仙道歩きのおじさまが一人だけ。

一杯やりながら美しく盛られた山の幸、アマゴの塩焼き、鯉の甘露煮などに舌鼓。

山中の街道の夜はしんしんと冷え込みながら更けてゆくのであった。

本日の歩行距離:約19 ㎞

京都まであと約167㎞。


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