はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

古代史の舞台を歩く ヲホド王が眠っていたのは? 

2015-06-11 18:38:22 | 古代史の舞台を歩く
また、古墳の話で恐縮ですが、おもしろいので読んでください。
第26代継体天皇の御陵は、大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳が治定されています。
(拝所からの継体天皇陵)
御陵の周りには家が建て込んでいて、なかなか全体像が見えません。見えるところもフェンス越しに見ることになります。拝所のあるところは、旧の西国街道に面したところにあります。御陵のすぐ横を名神高速道路が通っていて、ナビの地図にも出てきますよ。(茨木インターの近くです。)
(フェンス越しに見る継体陵)

しかし!そこから1.5キロほど離れたところの、高槻市にある今城塚古墳(いましろづか)こそが、真の継体陵であることは、研究者だけでなく衆目の一致するところなのです。
古墳の話をするたびに書きましたが、多くの天皇陵は被葬者が確かではないようです。それでも、宮内庁は知らん顔ですが。
(真の継体陵とされる今城塚古墳)

継体天皇というのは、現在の皇室の本当の始祖とも言われています。古事記や日本書紀では、ヲホド王と書かれていて、応神天皇の5世の孫ということになっています。応神ー仁徳ー…と続く系統が途絶えたので、5世の孫を迎えたというのです。それも、越の国(今の福井県)からです。5世って、父の父の父の父の父が応神ということです。なんか気の遠くなるような…。
継体天皇については、以上のようなことなどから歴史的に注目される天皇でもあるのです。ロマンですね!
 (後円部の頂上あたり)

えっ、天皇陵なのに入れるの?そうなんです、今城塚古墳は、宮内庁が天皇陵や陵墓参考地にも指定していないので、高槻市が史跡公園として整備したのです。おかげで、天皇陵に立ち入って、墳丘にも登れてしまうのです。古代歴史館もありますよ。(高槻市やるね。)
(埴輪を復原配置している)
残念ながら、地震で墳丘が崩れてしまったり、戦国時代にお城として利用されたりしたので、きれいな前方後円墳の形は留めていません。もちろん石室や石棺も残っていません。(かけらは有りましたが。)したがって、ヲホド王の眠っている姿も無いのです。
(くびれにある造出)

それでは、太田茶臼山古墳には誰が眠っているのでしょう。これも諸説有り、長くなるので書きませんが、やはり古代史のロマンを感じますね。

※今城塚古墳には、JR摂津富田か阪急富田からが便利です。JR摂津富田駅前にはレンタサイクルもあって、なんと100円です!


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