先日、琵琶湖畔の寒咲花菜を撮りに行った帰りに堅田の浮御堂に寄ってきました。堅田は、寒咲花菜を撮った守山とは琵琶湖大橋で結ばれています。
近江八景の一つ堅田の落雁として有名な浮御堂は、海門山満月寺と称する禅寺です。
浮御堂といえば芭蕉さんのことを忘れてはいけません。芭蕉さんは近江の地を愛した人で、晩年の10年間で8度も湖南の地に滞在したそうです。
「行く春を近江の人と惜しみける」とこんな句まで詠んでいます。司馬遼太郎は「行く春は近江の人と惜しまねば、句の向こうの景観のひろやかさや晩春の駘蕩(たいとう)たる気分があらわれ出て来ない。(中略)この句を味わうには「近江」を他の国名に変えてみればわかる。句として成りたたなくなるのである。」(『街道をゆく24近江散歩』より)と書いています。
元禄4年の仲秋名月の翌日、十六夜に近江の人たちと堅田まで船を漕ぎ出して、湖畔にむしろを敷いて月見の宴をひらいたそうです。
月は対岸の鏡山の方からのぼってきたのでしょう。そして、詠まれたのが「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」です。
その句碑が境内に立っていました。
こうして、芭蕉さんのことをしのんでいると、私も名月の夜にここに来て、そんな光景を見たくなって来ました。もっとも句は作れないので、カメラに収めるのが精一杯ですが。
※訪問日 2019.1.8
近江八景の一つ堅田の落雁として有名な浮御堂は、海門山満月寺と称する禅寺です。
浮御堂といえば芭蕉さんのことを忘れてはいけません。芭蕉さんは近江の地を愛した人で、晩年の10年間で8度も湖南の地に滞在したそうです。
「行く春を近江の人と惜しみける」とこんな句まで詠んでいます。司馬遼太郎は「行く春は近江の人と惜しまねば、句の向こうの景観のひろやかさや晩春の駘蕩(たいとう)たる気分があらわれ出て来ない。(中略)この句を味わうには「近江」を他の国名に変えてみればわかる。句として成りたたなくなるのである。」(『街道をゆく24近江散歩』より)と書いています。
元禄4年の仲秋名月の翌日、十六夜に近江の人たちと堅田まで船を漕ぎ出して、湖畔にむしろを敷いて月見の宴をひらいたそうです。
月は対岸の鏡山の方からのぼってきたのでしょう。そして、詠まれたのが「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」です。
その句碑が境内に立っていました。
こうして、芭蕉さんのことをしのんでいると、私も名月の夜にここに来て、そんな光景を見たくなって来ました。もっとも句は作れないので、カメラに収めるのが精一杯ですが。
※訪問日 2019.1.8
守山の寒咲花菜の撮影日に、浮見堂へも行かれたのですね。
takayanはもう何年も行っていません。
ここは雪景色も綺麗で、絵になります。
満月寺と言う寺名も良いですね。
芭蕉は近江にも、深く関わりが有ったようですね。
膳所にある源義仲(木曽義仲)の墓所、
義仲寺には芭蕉のお墓もあります。
最後の楼門の写真にあるように、
浮間堂は近江八景の一つ「堅田の落雁」でも有名ですね。
外国人の女子高生に密着した
テレビ番組をやっていました。
最近は日本の伝統文化に
興味を持つ外国人も多いようですね。
応援ぽち
こんばんは。
浮御堂の雪景色もぜひ見てみたいです。
滋賀県には「近江八景」や「琵琶湖八景」など
美しい景色が多くありますね。
そういえばtakayanさんも近江の人でしたね。
本当にいいところにお住まいです。
義仲寺にも何度か行ったことがありますが
芭蕉さんも遺言通りに葬られて幸せなことでしょう。
こんばんは。
外国の女子高校生が芭蕉さんのファンですか。
それは素晴らしい話ですね。
ところで日本の高校生はどうなんでしょうか。
『奥の細道』の作者という入試の知識だけでは
ちょっと寂しい気がしますね。
一昨年、錫杖さんと琵琶湖の畔で飲んで
翌朝、送ってもらったのが堅田の駅でした。
こんな名刹があったのですね
関西は歴史が深いだけに、見どころがたくさんあって
良く勉強しておかないと、勿体ない旅になりそうです。
それにしても司馬遼太郎 街道をゆく
流石に造詣が深いですね。
恐れ入りました。
こんばんは。
琵琶湖周辺は歴史が深い土地ですね。
湖南も湖西も湖東も湖北も景色と歴史が楽しめます。
滋賀県人でもないのに滋賀の宣伝をしていますが(笑)
次に来られる時は訪問するところが多くて
困ってしまいそうですね。
私もお勧めがたくさんあって困ってしまいます。