先週、2日続けて登校(2日目は3時間目からだけど・・・)した息子ですが、高校はまたコロナ罹患者が出て休校となりました。
休校が明けた月曜日は、やっぱり欠席。
そして、今日も息子は欠席です。
先週の金曜日に、放課後ディサービスの支援計画書を作成するための懇談があり、その席で、息子は、
「(高校に)なんか行けそうな気がする。」
とか、
「力を抜いていいとこが分かってきてたから、ぎりぎり単位を取れるように出席して、分からんとこはここで勉強する。」
みたいなことを言っていたので、ちょっと期待していたのですが、そう簡単にはいきませんね。
そんな中で、先週の土曜日はメンタルクリニックの日でした。
カウンセリングは、息子が1時間、私は3分もありませんでした。
「最近はどうでしょうか?」
と、聞かれ、
「ちょっと元気になって、意欲が出てきたように思います。
あとは心と体が付いていけるかですが・・・。
コロナでずっと部活が休みなんですが、とりあえず、一度部活の体験に参加することが目標みたいです。」
2週間後の土曜日はすでにカウンセリングの予約がいっぱいらしく、月曜日の夕方に来ていただけませんかという話で終了しました。
続く診察では、息子は、
「調子は悪いままやけど、やることが見えてきたような感じ。
感じだけで、まだ何も出来てませんが・・・。」
というようなことを言っていました。
「お母さんから見てどうでしょう?」
「ちょっと元気になってきたかなぁって、気がします。」
「そうですか。
次は16日後ですね。
このままのお薬でいきましょう。」
いつものように、「リスパダールOD錠0.5mg(2錠)と、レクサプロ錠10mg(1錠)、ツムラ補中益気湯エキス顆粒5g(2包)、ビオフェルミン錠3錠、頓服としてエチゾラム錠0.5mgを一日4錠まで」を処方されました。
あれからずっと考えていた「不安を受けとめる」ということ。
まだ、答は出ていませんが、「不安を受けとめられる人であること」なのかなぁと・・・。
「息子の不安を受けとめるというのは、不安な状態の息子をそのまま受け入れてあげるということ」ではないかという気がしました。
「ママ! ママ!」
と、突然幼児のようになってしまう息子は、高校に行くことどころか、生きていることや大人になることにさえ不安を感じています。
辛そうな息子を見るのは私も辛くて、「何とかしなければ!」という思いが強くなってしまうけれど、息子を何とかしようとする前に、そのままの息子をまるごと受けとめることが出来なければ、親に愛されているとか、自分の存在や、今生きているということを、無意識のうちにでも息子が自信に思うことはないのではないか・・・。
「だいじょうぶだよ。
どんなときも応援しているよ。
〇〇は〇〇のまま生きていけばいい!」
と、心から息子に伝えるだけの覚悟を持つことが、不安を受けとめるということかもしれない、と、最近思うのです。