太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

太陽光発電という仕事

2017-03-13 09:57:13 | 仕事に関すること

先日ブログで太陽光発電に関して初めて抱いた違和感のことを書いた。端的に言えば贔屓の引き倒しではなかったかという自責の念である。しかし、それは後悔を指すものではない。少し離れて客観的に見なければならないという反省である。それでもファンであることに変わりは無い。ただし、野球やサッカーの試合を観て涙を流すような熱狂的ファンには成れない。太陽電池の仕事だけでサラリーマン時代を過ごした自分自身の自己満足、自分の人生を肯定するためにファンになっているとしたら少々怪しげなファンであるのかも知れない。多分これから先は客観的からさらに反対側に回って「喝っ」とか言って反語的なファンになる可能性もある。

この先は別にして太陽電池の仕事自体は実に面白かったと思えるのはラッキーな事である。別に自分で選択して入った道では無く、たまたま配属先がそうであったことがその後の仕事を決めることになった。前半は技術的興味、後半は多くの人との出会いがこの仕事を続けた原動力であり、それを可能にした環境に恵まれていたと言える。勿論途中で会社を変わったこともあるが、可也早い段階でこの仕事を何とか続けて行きたいという決心はしていたように思う。職場や会社が変わってもやることは太陽電池に関することであり、仕事を変えたという感覚は一切無かった。自分の中では首尾一貫、太陽電池に携わったという感覚だけが残っている。

だからと言って毎日が楽しく過ごせたわけではない。特に後半は人間関係が重きをなすことになり、この上司を殴り飛ばして会社も辞めようと思ったことも何度かある。そうならなかったのは前半で身につけた技術的興味が捨てきれなかったことと、今思えばこのヤローと思った事も自分自身は何も変わっていないのに周りが勝手に崩れて行って何事も無かったように自然治癒して行ったからである。ある時から周りの環境で一生へばり付くような障害、堅固な壁は存在しないというように思うようになった。偶に、小学、中学、高校、大学などで子供さんを相手に喋る機会があったが、「一生続く悩みなど無い。今の悩みが30、40、50と歳を経ても変わらず続くことなどあり得ない。残念ながら悩み続けようと思ってもそうはならない。」と反語的教訓めいたことを喋っていた。喋れなかったのは「今のラッキーや権威は残念ながら一生続くことは無い。」と殴り飛ばそうと思っていた上司に言えなかったことだけである。

人間関係で最も良かったことは偶然ではあるが、世界の色んな人と出会い、色んな生活を目にする機会に恵まれたことである。サラリーマンでありながら、しかも英語など明治維新の英語と言われるほどのレベルであるのに多くの海外出張を経験してきた。海外出張での可笑しな、それ仕事か、冒険談ではないかという経験は2年ほど前始めたブログに結構書いたが、色々な国の人との出会いが今の価値観や人生観を作っているのは間違いない。太陽電池のプロジェクト形成のための僻地無電化村の調査、実現したプロジェクトの現地指導、中央政府への働き掛け、技術屋としての社内営業部隊や商社のサポート、学会やあシンポジウムへの出席、官や民のミッションへの参加など都度目的は違ったがどれも夢中になった。それらで出会った人々や目にした環境については次の機会に記してみたいと思う。



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