太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

感情の移り変わり

2024-04-10 09:10:47 | 日記

 たまたま無料だったので市の美術館に行った。平日にも関わらず結構な人出だ。お年寄りのグループが何やら大声で話している。壁には立派な掛け軸に表装された小枝に鳥が止まっている構図の絵が沢山ある。どうやら模写の会のようである。絵は全て若々しい。中学生が描いたのかと思うようである。言い換えると雑で稚拙である。多分先ほど騒いでいたのは絵画教室の生徒さんだろう。お互いの作品を褒め合い満足する様子が窺える。高い月謝を払っての檜舞台、興奮もするだろう。それが悪いというのではない。場所柄を弁えて小声にして欲しかった。ひと昔前なら何をいい年こいてと多少侮蔑を込めて舌打ちの一つもしたところだ。釣り場でワーワー騒ぎながら燥ぐ大人たちも同じだ。釣りは一人で黙々とやるものだと苦苦しく思っていた。しかし今は違う。同じ趣味の友達がいるのだ。一緒に喜べる人がいるだけでも幸せというものだろう。大事にした方がいいと思うようになった。人間関係を整理して来ながらふと羨ましく思ったりする揺り戻しのある全く妙な年齢になったものだ。

帰路近くにある建て替えで新築になった図書館に寄った。地下1階地上2階建ての立派な図書館である。箱物(公共施設)の典型で地下まであると散々豪華過ぎると市民に非難された代物だ。しかし斜面に建っており半地下のようなものだった。利用客は殆んど居なかったが税金の無駄遣いとは思わない。建設では仕事の確保もあったろう、何処かの施設のようにこの先撤去されるわけでもなく何十年も利用されるだろう。何れ内容はお年寄り向けネットカフェのような機能を持った施設になるかも知れない。ミニシアターになるかも知れない。今でも冷暖房の効いた「お休み処」と謳った図書館もある。家庭からの避難所として使われているのだ。掃除の邪魔だからと追い出された人達だろう。箱物全て悪ではない。利用価値さえしっかりしていれば。どうもマスコミに洗脳された時期があったかも知れない。今は多少自分の頭で考える。

同好の士という訳ではないが同じような境遇にいる人は数えきれないだろう。少なくとも50~100人くらいはいる(ブログから)。日常生活の接点は無いが何となくシンパシーを感じる人達だ。程よい距離感の人達と言ってもいいかも知れない。引力と遠心力が釣り合った位置を保っている。地球と月のようなものか。特徴は決して世の中の中心、太陽にはならない。気楽といえば気楽だが。