太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

ラヂオ体操

2019-07-30 08:01:05 | 思い出話

夏休みに入って孫が帰省してきた。毎朝境内の空き地ではラジオ体操が行われている。街の学校でもやっているとのこと。田舎に帰る子供たちにもそこで参加するようにと教えられたようだ。孫は毎朝参加証に判を貰うことを義務のように思っている。私は運動を兼ねて孫を連れて境内にやってきて一緒に体操をする。

ラヂオ体操を始めて知ったのは戦争の頃である。戦地で負傷し家に帰ってきていた父に連れられラヂオ体操に出掛けた。体操に出掛ける途中でも空襲警報が鳴ると慌てて防空壕に駆け込んだ。足が悪かった父は何時も最後に防空壕に入ってくる。子供心にのろのろしていたら爆弾にやられてしまうよと心配していた。警報が解除されるまで父と一緒に防空壕に居るのだが子供の恐怖心を取り除こうと思ったのか父は壕の中でラヂオ体操の練習をしようと言い出した。そこは肘をちゃんと伸ばしてとか、ここは背筋を曲げては駄目だとか結構本格的な練習だった。防空壕の中で異様な行動をする親子を見て、流石に元諜報部は違うな、あんな小さな子に何か教えようとしていると陰口が聞こえた。ただ父はラヂオ体操を教えようとしていただけである。ここは両手を大きく広げて胸を反らし大きな空を見上げるのだと教えてくれた。しかし目に見えるのは薄暗い防空壕の天井である。その父は天皇陛下の玉音放送を聞いてから1週間くらい経っただろうか。一人で中野に出掛けて帰らぬ人となった。もう校舎も何も無くなっていたのに。そこで何が起こったかを知ったのは随分経ってからだった。

孫と一緒にラジオ体操をしながら、ふとあの時父が遅れて防空壕に入ってきたのは足が悪いせいではなく、自分が一番最後に入ることで取り残されて人がいないか見回っていたのではないだろうかと思った。負傷して帰って来た父だったがラヂオ体操は父と過ごした幸せな時間であった。深呼吸~という掛け声に合わせてふと空を見上げると樹々の間に真っ青な夏の空が広がっていた。父が教えてくれたラヂオ体操は、必ず平和な空を見上げる時が来るよと教えてくれていたのかも知れない。孫が参加証にハンコを貰って走ってきた。

 

これは先日市民講座で紹介された短歌、

「新しい朝が来たけど僕たちは昨日と同じ体操をする」木下龍也

から連想した。新しい朝が来たというラヂオ体操の歌詞とダブルミーニングの妙があるが、昨日と同じ今日、そして明日もという何も変わらない諦念を歌っていると解説された。しかし私は、昨日と同じ平和な日が明日もやってくるという平和の有難さを歌っていると思えた。人から聞いた話を少し脚色してこれに加えたら上の短編になった。もうすぐ終戦記念日である。