太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

仕事遺産

2018-01-28 09:10:46 | 仕事に関すること

勿論土地建物預貯金のことでは無い。そんなものは雀の涙程もない。ここでは仕事上で何がしかの爪跡を残せたかと言う意味だ。アイデアと閃きだけの人生だったように思う。大方は普通に考えれば奇想天外、荒唐無稽なアイデアと思われるかも知れないが偶に当たることがあるので人生は面白い。

トルファンでは天山山脈の雪解け水を麓の乾燥地帯まで運ぶための地下水道(カレーズ)を見た時、何と凄いアイデアだと思った。地表の水路では貴重な水は蒸発してしまう。 山の勾配を利用すれば水勾配は簡単にとることができる。麓で食べたブドウやメロンの味は未だに忘れられない。地球アンコールワットなど遺跡には古代人の知恵が詰まったものも多くある。ピラミッドは権威の象徴であろうがその建設方法については未だに解明されていない。継承しなくとも宇宙人が到来して何がしかの遺跡を残した可能性は地球46億年の歴史スケールでは否定できない。勿論現存する遺跡はホモ・サピエンスのてによるものだが。最近大きな発見があった。アフリカに誕生したホモサピエンスが中東を経由してユーラシア大陸に拡散していった証拠がイスラエルで人骨の化石が発見されたという。ホモサピエンスの大陸移動は化石から明らかだったが分岐点である中東地域は唯一化石の発見が無い空白地帯であったとか。

歴史的に継承されるアイデアは世界遺産として残るが個人レベルまで分解すると噴飯もので箸にも棒にも掛らないものは山ほどある。太陽光発電で歴史的建造物になりそうなものは未だ無いが、一度だけもしかしたらと思ったことがある。横浜国大で水素利用の大家であった先生と学会や施設見学会で度々会う機会があった。気難しい学者のオ―ラが漂う人だったが、スウィーツ、特にアイスクリームが大好きだったのを覚えている。その先生の構想で太平洋に巨大筏を浮かべて熱発電で水を電気分解して水素を作り液化してタンカ-で運ぶというものがある。後に熱発電は光発電に変わったが構想は同じである。残念ながら水素の液化に膨大なエネルギーを要すること、水素利用は化学製品の添加物や還元剤としての利用が主で燃料としての実用が殆ど無かったため実現はしなかった。しかし今でも国際宇宙ステーションより遥かに使い勝手があり現実に近いと思う。太平洋、大西洋、インド洋に巨大筏を浮かべて各国が共同して筏の街句建設を請け負う。「一体一炉計画」とでも言うべきか。

凡庸な私でも実現していれば遺跡ならずとも後世、素人アイデアとしては最先端と評価されたものも幾つかある。と思っている。インドの乾燥地帯にある運河を太陽電池パネルを天蓋にして蒸発分を減らそうというアイデアがあった。カレーズのアイデアにいたく感心した延長である。残念ながらこれはアメリカのメーカに先を越されて一部実現してしまった。折角蒸発損失まで計算して提案していたが。テムズ川に巨大な台船を浮かべて太陽電池を載せ(メガフロート)る提案をしたことがある。実際に現地調査のためウェストミンスター橋の傍のマリオットホテルに宿泊した。橋の向こうにはBig Benが見える。テムズ川に浮かべて岸に係留すると朝は日陰になる。対岸に係留して夕方には 此岸に曳航しようと言う案で纏めた。市に顔が利くという現地コンサルタントだったが一向に許可が下りない。詐欺とまでは行かなかったが甘い話に乗ってしまった結末だ。それならばと中東まで曳航し、海岸で淡水化装置を動かす案に切り替えた。不要になったら次の係留地に曳航する。面白いアイデアだったが誰も乗って来なかった。少し後にロシアから原子力発電船を作って陸上に送電するというアイアを出したが偶然だろう。

テムズに懲りもせず、国内に帰ってからは内水面の利用ということでダム湖に浮かべる案を作った。しかしダム湖は流木が多いという理由で没、そもそもダム湖周辺では電気の需要が無くオンサイト発電にはならない。それなら讃岐の溜め池に浮かべ水の蒸発を防ごうとしたが、未利用の土地が腐るほどあり池に浮かべるメリットは無かった。これらのアイデアは天山山脈に源を発する。用地確保が難しくなってきた最近でこそ水上立地の浮体式工法が出てきたがテムズ川さえ実現していれば少なくとも日本メーカー初だった。

日本初では空港と水道局への導入は旨く行った。水道局は後に他のメーカーだが天蓋や浮体式のものまで実現した。空港設置は国内実績より前にマレーシアから話があり目を付けていた。有名な建築事務所からの引き合いであった。代表の奥さんは元美人女優。何度か打ち合わせに行ったが芸術家風の設計士は明らかに概算見積もりを提出した時点から態度が変わった。興味を失ってしまったのだ。こちらもタダ働きをさせられた腹いせに、最後は、今日奥さんは見えられていませんか、奥さんに頼まれればもう少し安くしたのですが」と軽口を叩いて終わった。オーストラリアの空港でも別の話があり、結構力を入れてパソコンで美しいパースまで作って提案した。しかし向こうが本気ではなかった。アイデアは次々浮かんだが、アイデアや構想を言うだけでパソコンで美しい完成予想図を描くのが得意の部下とか、発電シミュレーションに長けている部下とかスタッフにも恵まれており提案型営業では最先端を行っていた。

この時代の前に途上国を散々周り政府機関に提案書のプレゼンもし、奥地の現地調査に行った時代もあるがブログを始めた頃に幾つか書いた記憶がある。しかし、途上国の時代、市場開拓の時代とも、時代に先んじて動いていたように思うが蠅の足跡を辿るようなもので痕跡は薄い。それらの前の研究開発の時代には相当大きな成果を残し、今でも世界で使われている技術があるが、詳細は書いていない。人間関係が複雑な時代で、多くの人が存命で傷つく人も居るから書けない。成果を残した当時の仲間もまた色んな会社で活躍しており証人にはなるだろうが過去の事で人を傷つけるのは本意でない。