年末ハムの集いの講演会にパネラーとして参加しました。
私以外では、JA3HXJ JA3AA JA3ATJ JA3AYUさん達がパネラーとして参加、私は、ハムの歴史をあまり知らない若者?としてOMに質問をすると言う位置付けでした。
全体の参加者は、だいたい50名くらいでした。
アマチュア無線の歴史は、ある程度知っていると思っていましたが、今回OMからいろいろ話を聞くとやはり知らないとところが多々あり勉強になりました。
たとえば、JA3AAさんが開局するまでどのような形で申請を出して免許を貰ったかとか、私は、今の近畿総合通信局から貰ったと思っていましたが、東京へ申請を出し、東京から免許を貰っているんですね。
また、免許を貰ったのを確認したのが、電車の中の新聞だったと言う話です。(他人が読んでいる新聞に「アマチュア無線局免許される」と言う記事を偶然見つけたらしい)
当時郵便事情が悪くて、郵便物が届くのが遅かったと言う事らしいです。
また、池田市民文化会館にあるJA3RLは、当時移動局として日本で初めて免許を受けたらしいです。
免許人は、JA3AAさんでいずれJARLが使うだろうと他の人に免許されないうちに開局申請を出したと言う事です。
この当時は、固定と移動は別々のコールサインになっていたようです。
また、コールサインはある程度リクエストできたと言う事です。
その後JA3RLは、JARLの局となりました。TNXです。
と言うような話が聞けました。
日本で初めての記念局JA3XPO(万博)の話も聞けました。
まだまだ色々あるのですが、書ききれません。
知っている方は、ご存知だと思いますが・・・
会場からも多くの質問が出て結構良かったと思います。
当時の事を聞きますと、現在はいかに簡単にアマチュア局を開局できる事かとふと思いました。
で、これからアマチュア無線のたどっていく道はと言いますと、少子化に伴い若いアマチュアが育っていかない、これをどうするかと言う事になってきます。
ここでは、やはり答えは出ませんでした。
第2弾を関ハムで行う事になりそうです。
写真は、撮るのを忘れました。
私以外では、JA3HXJ JA3AA JA3ATJ JA3AYUさん達がパネラーとして参加、私は、ハムの歴史をあまり知らない若者?としてOMに質問をすると言う位置付けでした。
全体の参加者は、だいたい50名くらいでした。
アマチュア無線の歴史は、ある程度知っていると思っていましたが、今回OMからいろいろ話を聞くとやはり知らないとところが多々あり勉強になりました。
たとえば、JA3AAさんが開局するまでどのような形で申請を出して免許を貰ったかとか、私は、今の近畿総合通信局から貰ったと思っていましたが、東京へ申請を出し、東京から免許を貰っているんですね。
また、免許を貰ったのを確認したのが、電車の中の新聞だったと言う話です。(他人が読んでいる新聞に「アマチュア無線局免許される」と言う記事を偶然見つけたらしい)
当時郵便事情が悪くて、郵便物が届くのが遅かったと言う事らしいです。
また、池田市民文化会館にあるJA3RLは、当時移動局として日本で初めて免許を受けたらしいです。
免許人は、JA3AAさんでいずれJARLが使うだろうと他の人に免許されないうちに開局申請を出したと言う事です。
この当時は、固定と移動は別々のコールサインになっていたようです。
また、コールサインはある程度リクエストできたと言う事です。
その後JA3RLは、JARLの局となりました。TNXです。
と言うような話が聞けました。
日本で初めての記念局JA3XPO(万博)の話も聞けました。
まだまだ色々あるのですが、書ききれません。
知っている方は、ご存知だと思いますが・・・
会場からも多くの質問が出て結構良かったと思います。
当時の事を聞きますと、現在はいかに簡単にアマチュア局を開局できる事かとふと思いました。
で、これからアマチュア無線のたどっていく道はと言いますと、少子化に伴い若いアマチュアが育っていかない、これをどうするかと言う事になってきます。
ここでは、やはり答えは出ませんでした。
第2弾を関ハムで行う事になりそうです。
写真は、撮るのを忘れました。
君子(でもないか)危うきに近寄らずで,あまりウラ橋には精通していないのですが,すでに SK された方々の中には,もっと真に迫る話が聞けたのかも知れないですね。
つられて,私も少し危険な領域に踏み込みましたが。
私が免許をもらう少し前までは,移動する局(新設局のほとんどがそうでした)と,移動しない局は,強制的に別コールになっていました。QSL カードも2種類作らねばならないし,たいへんなことだと思っていました。
移動局は,すべての装置(電源・変調機・送信機・受信機・付属設備 それぞれが一抱えも必要な時代に“当該無線設備は一つの筐体に入っていなければならない”という定義ですから,たいへんでした。私はお金がなかったので,ローカルの OM の教えに従って,木製のラックを落成検査用にこしらえました。
ちょこちょこっと申請書を書いて(又は、販売店で聞いて、訳も分からずに書いて)、出したら来たようなコールサインに思い入れはもてないんではないでしょうか。
QHQ局のころもそうだったとおもいますが、国家試験の申請書を書くだけでも、かなりいろいろ考えて、聞いて(と言っても聞く事の出来る人も少なかったけど)書いて出したはず。
ましてや、開局申請など何日も掛かって書いたんじゃなかったですか?
だからこそ、そんな苦労も覚えているし、申請してから3,4ヶ月も掛かって、やっと来たコールサインには特別の思い入れがあったのではないですか。
今、そんな複雑な手続きにしてしまったら、誰も申請しなくなるかも知れません。
今の人は、みんな面倒くさがりでせっかちですからしょうがないのかも知れませんが、アマチュア無線自体のレベルが下がって、お空に出る人が減っていく原因の一つがこれだと思うのですよ。
第二弾は「1月の関西ハムシンポジューム」だと聞いておりますが? HW?
そうですね、努力して目的を達成させると言う思いは、最近なくなってきた感じがします。
いろんな事をして、実験したり憶測で物を作ったり、時間を惜しまず自分の目的を達成する、これが本来の趣味としてのアマチュア無線でしょね。
考えてみれば、今の私があるのもそのような事をしてきたからと思います。
遠回りが多いですが・・・
今でも同じような事をしています。
第2弾ですが、1月27日のハムシンポジウムと言う事になっていたようですが、JA3AAさんがその日都合がつかないと言う事を長谷川さんから聞きました。
で、第2弾は、関ハムと言う事になりそうです。