ハローワークで失業認定を受け、11時前に開放されたのでブラブラと歩いて
西方面に・・・久しぶりに「島原遊郭」にと進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_face.gif)
堀川通り、大宮通り等の大通りは避け、路地裏を楽しみながら大方の見当をつけ
キョロキョロしつつ歩いて、”島原商店街”と看板に記載された通りに出た。
何年か前に来た折の覚えがある通りで、花街への入り口”大門”目指して向きを変える。
連休明けの曇り勝ちな日和に、散策者と思しき人々はゴク少数です。
島原の正式名称は”西新屋敷”で、島原と言われるのはこの地への移転騒動を
同時期に起きた”島原の乱”になぞらえたものだそうです。(案内板)
今、この地に当時の賑わいを思い起こす様子は殆んどありませんが、建造物が
ちょこっとだけ往時を偲ばせてくれます。
”置屋”「輪違屋=わちがいや」と”揚屋”「角屋=すみや」が、近代的な町に
ぽつんと残され保護されている。
(置屋 輪違屋) (揚屋 角屋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/0a/d224efc37f4f7b996b8b423dabf0a160.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/79/329ca05add9137a502c42efb1caabd70.jpg)
揚屋とは、置屋が抱える女性を呼び寄せ宴席を設ける場所だそうです。
まぁー今で言う料亭のようなもんか?
で、置屋から揚屋までの移動が”大夫道中”として、読み物や映画等で語られてます。
角屋の裏に、歴史がずっと遡る史跡碑があった。
”東鴻臚館跡碑” 平安の昔、海外の使節を接待した場所がここにあったそうです。
対象国は”渤海国”に限られてたそうですが、”渤海国”って知ってる?
丁度平安の頃、現在の中国東北地方とロシア沿海地方、朝鮮半島北部にまたがる地域を領土とした国家らしい。
まぁーいいか、そんな遠い昔のことは・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
大門が花街の東入り口で、西には西門が・・・ここは碑が建ってるだけでした。
他には”花街”につきものの、歌舞練場もあったそうですが、これも今は碑があるだけで
地元の福祉関連の施設になってました。
まぁー全体にはあまり見るべき物はなかったなぁー・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_z.gif)
(東鴻臚館跡碑) (西門跡碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/62/53a43485a653375283898a04e85cfe22.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/af/ca6c7617c2121da0a9db357ca5366c07.jpg)
この町からあの新撰組屯所の在った壬生が近く、新撰組も良く利用していたらしい。
で、その逆ルートで新撰組屯所へ向けて出発!
足の調子が悪い状態で、30分程度歩きましたか・・・比較的近いです。
昔は田んぼ等の田舎風景でしょうが、今は間を五条通がどかっ!と分断している。
屯所として有名なのは”八木邸”ですが、隣に当初屯所としていた”前川邸”がある。
が、ここは公開してなく、新撰組グッズを販売するだけらしい。
となると、八木邸へと行って見る。
中に入ると高いので
写真撮影のみ、中では解説のボランティアがあり、
新撰組初代芹沢局長襲撃の際に生じた、刀傷などがそのまま残ってあった。(以前、入った)
すぐ南には”壬生寺”があり、新撰組はこの境内で軍事訓練をしていたそうで
中に入ると新撰組壬生塚があったんで100円払って入場する。
規模は小さいが、近藤勇の胸像はしっかり印象付けられた。
それから”あぁー新撰組”の歌碑があり、100円入れると三橋美智也の歌が
聞こえると言うので、やってみた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
懐かしい高音を堪能して壬生寺を後にして、新撰組の墓がある”光縁寺”に向かい
写真のみ写して、”あぁー新撰組”を鼻歌しながら、午後からの絵画教室へ向かった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_tehe.gif)
(新撰組屯所跡と八木邸) (壬生寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/95/0d4c51ae201a36baa83f57dbd3bd5249.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/ab/4c1db7a3670f2bb1fa5bccf7de3f5889.jpg)
(新撰組壬生塚) (新撰組の墓がある光縁寺山門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/80/eb30189bd5a80385179b5ac15c6aab3c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/f8/40617cfb7ac5281de92a0f8f17456aab.jpg)
絵画教室の帰り、恒例の”鯛”の刺身用の短冊を買って帰り、長男孫にパクパク食われて
チョッピリ不満のじぃーちゃんでした。
で、今、20日早朝・・・”タイ”でクーデター勃発との事。ふ~ん!
やっぱり、軍部も不満やったんかなぁー・・・
西方面に・・・久しぶりに「島原遊郭」にと進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_face.gif)
堀川通り、大宮通り等の大通りは避け、路地裏を楽しみながら大方の見当をつけ
キョロキョロしつつ歩いて、”島原商店街”と看板に記載された通りに出た。
何年か前に来た折の覚えがある通りで、花街への入り口”大門”目指して向きを変える。
連休明けの曇り勝ちな日和に、散策者と思しき人々はゴク少数です。
島原の正式名称は”西新屋敷”で、島原と言われるのはこの地への移転騒動を
同時期に起きた”島原の乱”になぞらえたものだそうです。(案内板)
今、この地に当時の賑わいを思い起こす様子は殆んどありませんが、建造物が
ちょこっとだけ往時を偲ばせてくれます。
”置屋”「輪違屋=わちがいや」と”揚屋”「角屋=すみや」が、近代的な町に
ぽつんと残され保護されている。
(置屋 輪違屋) (揚屋 角屋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/0a/d224efc37f4f7b996b8b423dabf0a160.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/79/329ca05add9137a502c42efb1caabd70.jpg)
揚屋とは、置屋が抱える女性を呼び寄せ宴席を設ける場所だそうです。
まぁー今で言う料亭のようなもんか?
で、置屋から揚屋までの移動が”大夫道中”として、読み物や映画等で語られてます。
角屋の裏に、歴史がずっと遡る史跡碑があった。
”東鴻臚館跡碑” 平安の昔、海外の使節を接待した場所がここにあったそうです。
対象国は”渤海国”に限られてたそうですが、”渤海国”って知ってる?
丁度平安の頃、現在の中国東北地方とロシア沿海地方、朝鮮半島北部にまたがる地域を領土とした国家らしい。
まぁーいいか、そんな遠い昔のことは・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
大門が花街の東入り口で、西には西門が・・・ここは碑が建ってるだけでした。
他には”花街”につきものの、歌舞練場もあったそうですが、これも今は碑があるだけで
地元の福祉関連の施設になってました。
まぁー全体にはあまり見るべき物はなかったなぁー・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_z.gif)
(東鴻臚館跡碑) (西門跡碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/62/53a43485a653375283898a04e85cfe22.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/af/ca6c7617c2121da0a9db357ca5366c07.jpg)
この町からあの新撰組屯所の在った壬生が近く、新撰組も良く利用していたらしい。
で、その逆ルートで新撰組屯所へ向けて出発!
足の調子が悪い状態で、30分程度歩きましたか・・・比較的近いです。
昔は田んぼ等の田舎風景でしょうが、今は間を五条通がどかっ!と分断している。
屯所として有名なのは”八木邸”ですが、隣に当初屯所としていた”前川邸”がある。
が、ここは公開してなく、新撰組グッズを販売するだけらしい。
となると、八木邸へと行って見る。
中に入ると高いので
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
新撰組初代芹沢局長襲撃の際に生じた、刀傷などがそのまま残ってあった。(以前、入った)
すぐ南には”壬生寺”があり、新撰組はこの境内で軍事訓練をしていたそうで
中に入ると新撰組壬生塚があったんで100円払って入場する。
規模は小さいが、近藤勇の胸像はしっかり印象付けられた。
それから”あぁー新撰組”の歌碑があり、100円入れると三橋美智也の歌が
聞こえると言うので、やってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
懐かしい高音を堪能して壬生寺を後にして、新撰組の墓がある”光縁寺”に向かい
写真のみ写して、”あぁー新撰組”を鼻歌しながら、午後からの絵画教室へ向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_tehe.gif)
(新撰組屯所跡と八木邸) (壬生寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/95/0d4c51ae201a36baa83f57dbd3bd5249.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/ab/4c1db7a3670f2bb1fa5bccf7de3f5889.jpg)
(新撰組壬生塚) (新撰組の墓がある光縁寺山門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/80/eb30189bd5a80385179b5ac15c6aab3c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/f8/40617cfb7ac5281de92a0f8f17456aab.jpg)
絵画教室の帰り、恒例の”鯛”の刺身用の短冊を買って帰り、長男孫にパクパク食われて
チョッピリ不満のじぃーちゃんでした。
で、今、20日早朝・・・”タイ”でクーデター勃発との事。ふ~ん!
やっぱり、軍部も不満やったんかなぁー・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)