高根通信

八工3年G組同窓情報

木の実が色づいてきた

2011-09-16 18:08:16 | Weblog

 ヤマボウシの実が色づいてきた。これが地面に落ちるといつの間にか芽吹いて大変なことになる。実はほんのり甘いけれどお酒にするには今ひとつ何かが足りない。

 こちらはイチイ(一位)の実。やはり今ひとつ自己主張が足りないのでお酒にならない。

 これはガマズミ。実を採るのが面倒なので昨年はパス。今年は他の収穫物次第かな。うまい酒が出来る。


青い花2つ

2011-09-16 17:58:07 | Weblog

青い花が気に入っている。

ヘブンリーブルーという名の朝顔。色が美しい。

 もう一つはブルースター。ガガイモの仲間だそうだ。そう言えば似たような実がついている。

もう一つ咲いていたが写真を撮るのを忘れたのでまたのお楽しみ。 

 

 


秋も深まってきた

2011-09-14 02:50:13 | Weblog

 台風12号の長雨が終わった後残暑が戻ってきた。写真は夜の窓ガラスに集まる虫を求めてガラスにへばりついている蛙。一寸ピンぼけ。

 

 赤トンボの胴体が真っ赤になり、日没はかなり南側に移動し、日没時間は17:37。日中の残暑も間もなくなくなることだろう。


三遠南信地方の「おやす」

2011-09-14 02:23:02 | Weblog

 駒ヶ根在住の今中さん(工房 廣)と知り合ったのは8月の駒ヶ根クラフト展。今中さんはヤマブドウの樹皮で籠などを編むクラフトマン。実に見事な作品を作る。

 その作品の中で一風変わった一輪挿し(名前は「おやす」)があったので買い求め。後日松本の浅間温泉の手仕事市に出店すると言うので訪ね、「おやす」作りを教えて貰うことになった。

 写真は今中さんと奥さん。奥さんは藍染めの作品を出展(注:今中さんの作品は写っていない)。

 家に帰ってから教えて貰った「おやす」作りにはまって、素材を替えて幾つも作ってみた。

 三遠南信地方(三河、遠州、南信州)とは先日出かけた秋葉街道やその周辺の事で、「おやす」は実際には藁を編み込んで作る正月飾りなのだが、個人的には実物を見たことがない。ネットで調べると形は異なるようだった。

 このところ毎日「おやす」作り。私の場合メインは手元に沢山あるアオツヅラ藤の蔓なので編み込んでいる内に縁の部分がほどけてしまうため、その対策が課題。

 ここにウイスキーのショットグラスを入れて一輪挿しにするつもり。何事もやってみると奥が深い。編み込む際は蔓を水に浸けて柔らかくして編み込み、乾くまで中に詰め物をして乾燥させる。そんな「おやす」が家の中に幾つもぶら下がっている状況。そろそろ次の作品に着手しなければと思いつつ素朴な形に惹かれて作ってしまう。


雨の中の一泊

2011-09-03 11:09:11 | Weblog

 道の駅到着15:30。道の駅の閉店は18:00。たっぷり2時間半ある。閉店まで飲んで待つことに。

 たこ焼きを焼いていたおばさんが帰り際に「食べますか」とたこ焼き、練り物の串、鳥の串焼きなど3パックを差し入れてくれた。喜んで頂くことに。

 暗くなって暫く宴会は続いた。外は雨テントを張る気になれず、近くの多目的ホールの軒先が風除け、雨よけに最適なのでここにマットを敷いて寝袋を広げる。

 雨に濡れることもなく旅行2泊目の夜は快適に過ごせたが、これってホームレスと同じではないか。次回は段ボールが必須かも知れない。

 翌日飯田の市内を観光。郷土資料館を訪ねたり、紬の工場を見学したりした後駒ヶ根に移動して早太郎温泉の湯に浸かり、伊那で買い物をして今回の旅を終了した。


計画は思い通りに行かない

2011-09-03 10:59:07 | Weblog

 青崩峠のあと水窪町の郷土資料館で西浦田楽などの文化遺産を見学。どう見ても当日の見学者は我々3名だけと思われた。日を改めて田楽見学も良さそう。この後オオスズメバチの蜂の子缶詰を買いに愛知県の北東部豊根に行くことになったが、私のミスで佐久間ダム上流の道路を延々と走りかなり大回りをする事になってしまった。当の本人は車の助手席で居眠りしていたのだが・・・

 写真は佐久間ダム

 昭和33年発電開始。当時としては国家プロジェクト。記念切手にもなった。

 そして到着した道の駅はなんと休館日。幻のオオスズメバチの缶詰となってしまった。

 この後長野県の道の駅「新野千石平」に移動。


青崩峠へ

2011-09-03 10:46:33 | Weblog

 遠山郷から兵越峠を越えて静岡県に入り国道152号線を長野県に向かって戻る様に走ると152号線は交通止め。名前の如く青い軟弱地盤でトンネルが掘れない。これも中部構造線と関係しているのかも知れない。大陸のプレートがぶつかり合う中部構造線は地盤が刻々と変化しているのだろうか。

 数千年前からの塩の道。石畳の道は行き交う人もなくひっそりと静まり返り、石畳は苔むしている。

 武田信玄も越えたと言われる峠。明治時代には静岡県から長野県の諏訪方面の製糸工場に多くの女工さんがこの峠を越えたと言うことが案内板に書かれていた。


気がつけば・・・

2011-09-03 10:37:15 | Weblog

 山を下って遠山郷に到着。道の駅の駐車場から河原の土手に移動してタープを設営。

気がつけば山にテントを持って出かけて酒を飲んていたのがいつの間にか車で移動して酒を飲んでいる自分達に気がついた。

 準備が出来たところで近くのスーパーマーケットで猪肉や鹿肉そのた食材を買って、道の駅の風呂に入り宴会開始。近くを通った軽トラのおじさんが「蚊が多いから気をつけろよ」と注意してくれたが、タープのネットと蚊取り線香の効果は絶大で全く気にならなかった。


しらびそ高原

2011-09-03 10:28:10 | Weblog

 今回の目的の一つでもある「しらびそ高原」。かつて登った南アルプスの核心部が一望出来るかと思いきや、赤石岳は小赤石の影に隠れて見えず、聖岳も微妙に前の山に邪魔されて見えない。もう登ることはないだろう。

 昼食は林道途中の沢のある広場で店を広げてうどんを茹でる。私の運転はここまで。ウイスキーを沢の水で割ってお先に失礼。先ほど採ったキノコをめんつゆで味付けしてうどんと一緒に食べる。まずまずのキノコうどん。


再び「秋葉街道」

2011-09-03 10:15:13 | Weblog

 内野、片桐と秋葉街道を走ってきた。秋葉街道は中部活断層を通る長野と静岡の最短コースであることが今回よく分かった。

 国道20号線を茅野で左折して杖突峠を越え高遠に抜けた。この後長谷村から今話題の「大鹿村騒動記」の舞台となった大鹿村に入り、中部構造線博物館、ろくべん館(郷土資料館)を見学するつもりだったが生憎休館日。

 昨年11月以来3度目の地蔵峠。時間の都合上「鬼面山」は割愛。

 内野が手に持っているのは峠で見つけた「カラカサタケ」。その日の昼食食材。