今朝の新聞を見ていたら信濃川の水を大量に不正取水していたJR東日本が取水を中止したら長野県上田で65年ぶりに鮭の遡上が見られたという記事が載っていた。
昨年のこの時期新潟県の三面川で鮭の遡上を始めて見たのではるばる信濃川を溯り千曲川まで上がった鮭を見たらそれは感激することだろう。
上田まで鮭が来たという話しは両親からも聞いた覚えがない。青木村(上田市の隣)育ちの母は魚といえば塩鱒か身欠きニシンだと言っていたから、恐らく以前でも千曲川に大量の鮭が遡上していたとは考えにくい。
注:写真は昨年の三面川で撮ったもの
話しは飛ぶが千曲川の更に上流。小海線沿線の民族資料館でのこと。八ヶ岳の噴火で溶岩が千曲川の流れを堰き止めて湖が出来た。それが小さな海(湖)の地名の由来だったそうで、遺跡の中から10cm程の淡水の貝が発掘され展示されていた。当時はそんなに大きい貝が生息し、食料になっていたのだ。もしかしたら元気の良い鮭は佐久まで来ていたかもしれない。佐久の鯉ならぬ佐久の鮭。
三面川の増水時、鮭を捕獲する梁を越えて上流の三面ダムまで登った鮭は捕獲時2m近くあったとの事だから我々の常識を超えた事がまだまだ沢山あるのだろう。
昨年のこの時期新潟県の三面川で鮭の遡上を始めて見たのではるばる信濃川を溯り千曲川まで上がった鮭を見たらそれは感激することだろう。
上田まで鮭が来たという話しは両親からも聞いた覚えがない。青木村(上田市の隣)育ちの母は魚といえば塩鱒か身欠きニシンだと言っていたから、恐らく以前でも千曲川に大量の鮭が遡上していたとは考えにくい。
注:写真は昨年の三面川で撮ったもの
話しは飛ぶが千曲川の更に上流。小海線沿線の民族資料館でのこと。八ヶ岳の噴火で溶岩が千曲川の流れを堰き止めて湖が出来た。それが小さな海(湖)の地名の由来だったそうで、遺跡の中から10cm程の淡水の貝が発掘され展示されていた。当時はそんなに大きい貝が生息し、食料になっていたのだ。もしかしたら元気の良い鮭は佐久まで来ていたかもしれない。佐久の鯉ならぬ佐久の鮭。
三面川の増水時、鮭を捕獲する梁を越えて上流の三面ダムまで登った鮭は捕獲時2m近くあったとの事だから我々の常識を超えた事がまだまだ沢山あるのだろう。