中国のGDPの話はいったん中断して、きょうは
卓球の話を書きます。
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卓球の全日本選手権で、水谷準(明大)が史上初
めて5連覇を達成した。長く低迷していた日本の卓球界
に現れたエースだ。
しかし、日本には、かつて、長谷川信彦という強
力なエースがいたことを記憶にとどめておきたい。
長谷川選手は、1965年、愛知工業大学の学生
のとき、18歳9か月で全日本を制した。これは当時の
史上最年少の記録だった。
卓球のラケットの握り方は、ペンホルダーとシェ
ークハンドのふたつがある。
当時は、日本がペンホルダー、欧州がシェークハ
ンドとなっていた。
長谷川が素晴らしい印象を残したのは、そのシェ
ークハンドによる強烈な攻撃である。
ペンホルダー全盛の日本にあって、長谷川はシェ
ークハンドで戦った。それも、ふつうのシェークハンド
ではない。ふつうのシェークハンドだと、人差し指をラ
ケットの裏面に斜めにそっと置く。ところが、長谷川の
シェークハンドは、人差し指をラケットの裏面の中心に
沿って一直線に置く。これを、長谷川の一本ざしグリッ
プと呼んだ。
裏面の中心線、つまり、裏面の手元からトップに
向かって、まん真ん中に人差し指を置くわけだから、裏
面では球が打てない。裏面で球を打とうとすれば、人差
し指が邪魔になる。
では、長谷川はどうしたかというと、そもそも、
ラケットの裏を使わなかった。
すべて、ラケットの表だけで攻撃した。
バックハンドは一切使わず、フォアハンドだけで卓球
をやったのだ。
人差し指をそうやって裏面の中心に置くから、表
面で球を打つと、強い力で打てる。
非常に強い力で球を打てるのだ。
そうやって長谷川は、かつてだれもやったことが
ないような強力なフォアハンドを振った。
そのフォアハンドから繰り出される球は、剛速球
のようなもので、「来るぞ」と構えている相手の脇を、
うなりをあげて抜いていった。
長谷川のフォアハンドは、一発で相手を抜いた。
その代わり、バックハンドは打てない。
当然、相手は、長谷川のバックに球を打ってくる。
バックを打たない長谷川は、フットワークで回り
込み、それを、なんとファアハンドで打ち返したのである。
圧倒的な運動量だ。
そうやって、長谷川は18歳で全日本を制した。
そして長谷川は1967年に、世界選手権で優勝
する。
長谷川の一本ざしは、世界も制したのだ。
その後も長谷川は活躍し、全日本で合計6回、優
勝している。
しかし、長谷川の本当のピークは、65年に全日
本を制したときだった。
バックに返ってくるボールもフォアハンドで打ち
返すのだから、ものすごい運動量だ。
それは、18歳という若さがあって、なしえたも
のだったかもしれない。
残念ながら、彼はすでに事故で亡くなっている。
彼のために「長谷川信彦」の名前を書き残しておく。
そう。
かつて、日本には、長谷川信彦というものすごい
選手がいた。