いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

アジア杯の日本対韓国・・・本当に素晴らしい試合だった。それなのにインタビューのひどさは。

2011年01月26日 22時53分15秒 | 日記

1月25日の火曜日にあったサッカー・アジア杯の日本対
韓国の試合は、歴史に残る激闘だった。
サッカーの報道は、実は、日経新聞が一番いい。サッカーだ
けではなく、野球も含め、スポーツ全般で日経新聞がいい。
記者の視点が素晴らしいと思う。
きょう26日の日経夕刊にも、こんな小さな記事が出ていた。
 

韓国の監督は、試合後の会見で、質疑が出尽くしたあと、会
見場を出ようとした報道陣を制し、こう言った。
「最後に、ひとことお話したい。この試合を勝った日本に、
おめでとうと申し上げる」。
監督は、ともに死闘を戦った日本を称え、拍手をした。
その監督に対し、会見場から、暖かい拍手が起きた。

 どうです。
 いい記事でしょう。
 この記事が、日経にしか出ていない。
 神は細部に宿る。
 こういう小さな記事が、あの試合がいかに素晴らしかったか
を伝える。

  きょう、書こうとしたのは、そのことではない。
それだけの試合をした選手たちへのインタビューで、なぜ、もっ
といいインタビューができないのか、ということだ。

  韓国戦の後、ザッケローニ監督へのインタビューで、
質疑の流れの中で、監督が、決勝戦の戦い方みたいなことを話
した。決勝戦の相手で、オーストラリアになってもウズベキス
タンになっても、日本は日本の戦い方をすればいい、というよ
うなことを言った。

  韓国戦に勝ち、気持ちが高揚している中で、我々は我々の
戦い方をすれば勝つんだという、強い気持ちが言わせた言葉だ
った。
  それなのに、インタビュアーは、インタビューの締めくく
りとして、
 「それでは、決勝戦への抱負を聞かせてください」
 と質問したのだ。

   この質問で、ザッケローニ監督が、白けた顔をしたのが
よく分かった。
   さっき言ったよ、とはさすがに言わなかったが、
「我々の戦い方をするだけです」と、短く言って、インタビュー
を終わらせてしまった。

   最近は、「いまの気持ちはいかがですか」とか、
「試合が終わって、感想はいかがですか」というような質問は
なくなってきた。
   しかし、必ず最後に、「次の試合に向けての抱負を聞か
せてください」と聞く。
   こういう紋切型の質問は、質問しやすいし、こう聞かれ
たら、相手も断るわけにはいかないだろう。しかし、「次の試
合に向けての抱負を」といわれたら、「がんばります」としか
言いようがないじゃないか。
   インタビュアーが勉強していないから、聞くことがなく
て、こんな紋切型の質問が出る。

   プロ野球でも、この質問が必ずでる。
   ひどいのは、長丁場のペナントレースでようやく優勝し
た日、優勝したチームの監督に、
   「日本シリーズへの抱負を聞かせてください」
質問することだ。
   140試合を超す試合をこなし、へとへとになり、よう
やっと優勝をつかんだその日に、次の日本シリーズへの抱負は
ないだろう。
   3、4年前、巨人の原監督が、やはり、優勝決定の日に
この質問を受け、
   「うーん。きょうぐらいは、そんなことを考えずに、優
勝の余韻にひたらせてくださいよ」
と答えていた。
   その通りだと思う。

   シドニー五輪で優勝した柔道の野村が、帰国して、地元・大
阪で祝勝パーティに招かれ、その席で、新聞各社の個別インタビ
ューに応じた。
   個室ではなく、パーティ会場の隅っこでやったので、他社の
インタビューが見えて、聞こえる。
   一番ひどかったのは、ある新聞社の記者が、
   「次のオリンピックへの抱負を聞かせてください」
   と質問したことだ。

   4年に一度の五輪に出るだけでも大変なのに、そこでつい
に金メダルを取り、充実感や幸福感、燃え尽き感、達成感など、
さまざまな思いにひたっているはずだ。
   その選手に、4年後の五輪への抱負を語ってくれとは、い
ったいなにごとだ。
   これは、質問した記者が、何の勉強もせずにインタビュー
をしているということだ。

   このときは、野村はさすがにむっとした表情をし、   
   「そんなこと、いま聞かれてもわかりませんよ」
   と、ぶすっともらしただけだった。

   サッカーの日韓戦、歴史に残る名勝負だった。
   それなのに、試合後のインタビューを受けた選手や監督、本
田も、川島も、ザッケローニも、インタビューの後、ぶすっとした
顔をした。

川島は、PKで韓国のキックを2本止めた。
   すばらしいキーパーだった。
   インタビュアーはどう聞いたか?
   「川島さん。2本続けてPKを止めて素晴らしかったですが、
    あれは、相手の情報が入っていたのですか?」
   いったい、何を聞いているんだろう。
   「素晴らしいかったですね」
   で止めておけば、川島は喜んで、いろいろと話してくれた
だろう。しかし、「(うまく止められたのは)情報が入っていた
からですか?」と聞いたら、それは、ケチをつけているのと同じだ。
   案の定、川島は、この質問でむっとした表情になり、あんまり
しゃべらなくなった。

   本田も、せっかくいろいろ話していたのに、最後に
   「決勝戦への抱負を」と言われ、
   「結果だけです」と、ぶっきらぼうに返事して後味の悪さを
残してしまった。

   試合の興奮、試合の素晴らしさが、インタビューで、さめてし
まった。
   インタビューをする人間は、ジャーナリストとしての自覚、
あるいはアナウンサーとしての自覚、プロとしての自覚を持って
インタビューをしてほしい。

   逆に、これまで見た中で、素晴らしいと思ったインタビュー
のことを書く。
   冬の長野五輪より前のことだ。
   当時、スケートの500メートルは、清水宏保と堀井学の二
人が、互角の争いをしていた。ところが、少しずつ清水のほうが勝
つようになり、五輪の出場権をかけるような重要な大会で、堀井が
着外に落ちるような惨敗を喫した。

   しかし、インタビューをしなければならない。
   NHKのスポーツのベテランのアナウンサーが、スケートリ
ンクの出口でじっと待っていたら、堀井が出てきた。
   堀井は悲嘆にくれた表情をして、アナウンサーを見た。
   私は、「いやー、いったい、何を聞くんだろう。こんな悲し
そうな顔をしている選手に、感想は? なんて聞かないでね」と思
いながら、はらはらしてテレビを見ていた。
   すると、そのアナウンサーは、堀井に対し、こう切り出した
のだ。
   「つらいねえ・・・」。
   それを聞いた堀井は、がっくりと腰を落とし、両手を両ひざ
に置いて、
   「はい。声援を送ってくれた子供たちに申し訳ないです・・・」
   と、絞り出すようにして答えたのだ。

   このインタビューは、素晴らしいものだった。
   こんなとき、選手に
  「つらいねえ」
  と、声をかけられるというのは、なんと、いいことではないか。
  そういうふうに声をかけられたら、悲嘆に暮れている選手だって、
心を開くだろう。
  そう。
  インタビューは、相手に心を開いてもらう作業であってもいい
のだ。

  堀井選手へのインタビューのようなすぐれたインタビューは、
その後、一度も見ていない。
  あんなインタビューなら、もっと見たい。