菅首相や鳩山前首相が国会で答弁に立つと、自民党
からひどい野次が飛ぶ。とくにひどいのは丸川珠代議員だ。
彼女は、首相が話しているとき、大きな声で、「愚か者」
「ルーピー(ばかもの)」などと野次る。もともと、民放
キー局のアナウンサーだっただけに、声がよく通り、国
会中に響き渡る。テレビの画面からでもよく聞き取れる。
国会に野次はつきものだが、この野次はひどい。
なぜか。
一国の首相が答弁しているとき、その首相に向かって
「愚か者」などとののしるのは、「首相」というポスト、
首相という職責をおとしめることになるからだ。
菅直人、あるいは鳩山由紀夫という議員が嫌いなら、
それはそれでいい。しかし、菅直人という人間が嫌い
であっても、菅直人氏が就いている「首相」というポ
スト、職責には、敬意を払わなければならない。
「首相」というポストは、私たち日本人と日本という
国を代表する最高のポストだ。
その「首相」というポストをおとしめることは、私た
ち自身が、日本という国の最高のポストをおとしめる
ことになる。
それは、結局のところ、私たちが自分自身をおとしめ
ることになるのだ。
それに丸川さん、あなた、菅さんや鳩山さんと
二人だけで会っているとき、面と向かって「愚か者」
とののしれますか?
アメリカの大統領選挙は、1980年代からネガティ
ブキャンペーンと呼ばれる手法が目立つようになった。
ネガティブキャンペーンというのは、対立候補の政策
を批判するのではなく、対立候補のプライベートなミ
スやスキャンダルや探しだし、それを攻撃する手法を
いう。
たとえば、対立候補の奥さんがキッチン・ドランカー
(台所ででもお酒を飲むようなアルコール中毒)である
ことを暴露して、攻撃した候補がいる。
女性関係の暴露は、そう珍しいことではなくなった。
ケネディ大統領は女性関係がかなり甘いことで有名だっ
たが、当時は、対立候補もそういうことを攻撃しないの
が暗黙のルールだった。もしいまこの時代にケネディが
立候補したら、女性関係を攻撃されて、とても当選でき
ないのではないかと言われている。
もちろん、ネガティブ・キャンペーンという手法に対
する批判はある。政治家たるもの、ネガティブ・キャン
ペーンというような卑怯な手は使うものではない、とい
うわけだ。
そうした批判もあって、一時よりもネガティブ・キャ
ンペーンは減った。
だが、選挙になると、どうしても、ネガティブ・キャ
ンペーンふうの動きが出る。いまのオバマ大統領とクリ
ントン国務長官が大統領選挙で争ったときも、政策以外
の個人的な批判を、お互いにしたことがある。
しかし、アメリカの場合、忘れてはならないことがあ
る。選挙期間中、どんなにひどいネガティブ・キャンペ
ーンが繰り広げられても、選挙で大統領が決まった瞬間
から、対立政党から個人攻撃のような批判がぴたりとや
むことだ。
新しい大統領が、議会に登場すると、政党の枠を超え
て、すべての議員が拍手で迎える。大統領が演説すると
きも、良い演説にはすべての議員が拍手する。
そう。
どんな人物が大統領になろうとも、「大統領」というポ
スト、「大統領」という職責には、与党の議員も野党の議
員も、ひとしく敬意を払うのだ。
大統領が議会に入ってくると、
「ジェントルマン! ザ・プレジデント・オブ・ザ・ユナ
イテッド・ステイツ・オブ・アメリカ!」
と紹介する声がかかり、議会の全議員が万雷の拍手を
送る。
日本語でいえば
「諸君! アメリカ大統領です!」
ということになる。
オバマだとかブッシュだとか、名前は呼んでいない。
「アメリカの大統領」が議会に入りますーーと紹介し
ている。
そして、議員は「アメリカの大統領」に万雷の拍手
を送っている。
だれが大統領であっても関係ない。「我々の大統領
を迎えよう」という空気が流れる。
「アメリカの大統領」というポストに大きな敬意を
払うのだ。
それは、アメリカという国の良さだ。
翻って、わが日本だ。
鳩山首相、菅首相が演説するとき、あるいは答弁する
とき、同じように、「日本の首相」というポストと職責に、
なぜ、敬意を払えないのか。
鳩山氏と菅氏を嫌いでもいい。筆者も、菅氏にはがっ
かりしている。
しかし、彼らが就いているのは、私たちの日本という
国の最高のポストであり職責である。
外に向かっては、日本を代表する立場である。
そのポストに敬意を払うのは当然ではないか。
最近、自民党の会合で、ベテランの伊吹文明議員が
「首相への野次がひどい。ひどい野次は、我々の品位を
落とすことになる」と警告した。
筆者は、伊吹議員を別に好きではないが、しかし、こ
の発言を聞いて、自民党も捨てたものではないと思った。
もっとも、民主党も、野党時代にひどいことをさんざ
んやった。
自民党の麻生首相は、よく漢字を読み間違えるという
ので、有名になった。
そうしたら、国会で、質問に立った民主党議員が、漢
字の熟語をいくつも並べたボードを手にして質問に立ち、
麻生首相に、その漢字の読み方を聞いたのだ。
質問した議員は、仲間から「やったやった」と喝采を
浴びたかもしれない。
しかし、たとえ、麻生氏が漢字をよく間違えていたに
せよ、一国の首相に、漢字の読み方を質問して、いった
いどうするというのだ。
それは、私たちの日本という国の首相という職責をお
としめているにすぎないのである。
民主党もひどいことをやった。
民主党も、あまり丸川珠代氏のことを悪くいう権利は
ない。
しかし、こんなことを続けていていいはずがない。
国会議員は、国民から「頼むぞ」と負託を受けて国会
の場に立っている。
首相は、その中から選ばれて、日本を代表するものと
して国会にいる。
民主党であろうと自民党であろうと、国会議員は、な
ぜ、そんなことが分からないのか。