菅首相が、27日の木曜日、日本の国債の格付けが下げられ
たことを記者団に質問され、
「私、そういうことにうといので、またあとで」
と答えた。
これが、28日の国会で、大きな問題になった。
それは、問題になるでしょう。
国債の格下げという事態に、
「そういうことにうといので」
と答えていては、問題にならないほうがおかしい。
しかし、きょうは、菅首相を擁護してみたい。
仮にも一国の首相に、国債の格下げなどというテクニカルな
問題をどう思うか聞くほうがおかしい。
聞くなら、まだしも財務相だろう。
聞く側の記者は、国債の格付けが何かを知っているの
だろうか。たぶん、知らないと思う。
首相に毎日ああやって質問するのは各社の政治
部の記者であって、経済部の記者ではない。国債の格付けという
テクニカルな問題は、経済部の守備範囲であって、政治部の記者
なら敬遠したがる問題だ。政治部の記者は、格付けの意味
をあまりよくは分かっていないと思う。そう。菅首相といい勝負
ではないか。
自分たちが分からないのに、首相の見解を聞くとはいい度胸だ。
もしアメリカの国債(財務省証券)の格付けが下げられたとし
たら、ホワイトハウスの記者団は、オバマ大統領に、そのことを質
問するだろうか?
多分、質問しない。
イギリスの首相も同じだろう。
なぜ、菅首相がそんなことを聞かれたのかというと、毎日のよ
うに、ああいう形で記者団の一問一答に応じるからだ。
首相が通りがかりに足を止め、記者団との一問一答に応じると
いうのは、小泉首相のときに始まった。
その後も、この形が踏襲され、民主党政権になっても、そのま
ま続いているわけだ。
アメリカでもイギリスでも、こういうことはやらない。
首相がメディアを通じて、国民と接するというのは、悪いこと
ではない。むしろ、大変いいことだろう。
しかし、いまのような形だと、質問する記者団も答える首相
も、お互い、カタコトの一問一答になり、聞きたいこと、言いた
いことが、素直にうまくは伝わらない。
考えてもみてください。
国債の格付けが下げられたというニュースを、あの短い一問
一答で、いったい、どう答えればいいのだろう。
答えようがないのではないか。
もし、私が首相だったとして、記者団から「首相、国債の格付
けが引き下げられましたが・・・」と質問されたら、なんと答える
だろう。
「うーん。まだよく情報を検討してないんですよ」
だろうか?
「うーん。日本の国債って、もっと信用があるでしょう?」
だろうか?
「うーん。そんな民間の勝手な格付けのことで、いちいち、
一喜一憂できませんよ」
だろうか?
どの答えにも、冒頭に、「うーん」が入る。
格付けの引き下げというやっかいは話に対し、あの短い間に、
とっさには、うまい答えは見つからない。
もし、質問された人間が、財務省や日銀のスタッフで、格
付けのことをよく知っている人間であれば、逆に、このときとば
かり、滔々と、テクニカルな答えを展開するかもしれない。
記者団はそんな答えは望んでいないだろう。
だから、国債の格付けが下がったことを、あんな一問
一答の場で首相に聞くこと自体がおかしいし、首相だって、答
えようがない。
しかし、記者団とすれば、ああやって首相が質問に答
えるなら、やはり、国債の格付けの話は聞きたい。
では、どうすればいいか?
まず、いまのような首相の一問一答は中止する。
その代わりに、首相の公式会見を毎月1回とか毎月
2回に増やす。
そして、公式会見は時間を十分取り、首相はしっかり
答える。
そのほうがいいのではないか。
もともと、あれは、小泉首相のいわゆる「ワンフレー
ズ・ポリティックス」、気の利いたひとことで政策をPRす
るということから始まった。
そう。首相のPRの場だったのだ。
それが、いまや、首相の失言とあらさがしの場とな
っている。
それならもう、あれを中止し、公式会見を増やす
ということでいいのではないか。
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きょうは、菅首相の肩を持ってみました。
正直、きのうの国債をめぐる一問一答も、ちょ
っと菅首相が気の毒だったように思います。
では。