小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

鶴の一声が銀・銅メダル

2010-02-17 21:26:12 | 私見
 日経・春秋《'10.2.17》
 バンクーバー冬季五輪で日本人メダリストを2人出したモーター製造の日本電産サンキョーは、2003年度まで3年間,赤字続きだった。当時の社名は三協精機製作所。精密モーター大手の日本電産が買収し,息を吹き返した企業だ。
▼すぐやる,必ずやる,できるまでやる――。日本電産の永守重信社長は長野県の三協精機に毎週通い,目標をあきらめない永守流を社員に説いて回った。30坪(約100平方メートル)の工場を,ハードディスク駆動装置のモーターで世界首位の企業に育てた経験を,三協社員にぶつけた。1円の無駄にも目を光らせた。
▼そうした永守流が、スピードスケート男子500メートルで銀メダルをとった長島圭一郎選手,銅メダルの加藤条治選手に乗り移ったかのようだった。前回のトリノ五輪ではメダルに届かなかった2人が雪辱を果たした。トリノでは13位に終わり,今回も1回目6位だった長島選手には,永守さんのような粘りがあった。
▼「1位」にこだわる永守さんは,「金メダルをとってこいよ」といって選手を送りだした。「銀と銅でも不満かもしれない」という声が日本電産サンキョーであがっている。たぶんそうだろう。再建中も,永守さんは士気を考え,スケート部を廃部にしなかった。「金をとるまで頑張れ」と思っていることだろう。

 朝日・天声人語(抜粋)《'10.2.17》
▼長島選手は雑草タイプらしい。前回のトリノ五輪では惨敗して泣いた。「力もないのに出て,打ちのめされた。恥ずかしくて死にたくなった」と言う。タイムより勝ち負けにこだわる哲学は,野天の真剣勝負師を思わせるものがある。
▼加藤選手も前回,期待されたが6位に沈んだ。その後車を買い,ナンバーを「3399」にした。世界初の33秒台への決意というから,こちらは技を研ぎ澄ます求道の人か。どちらも恥辱と屈辱をバネに,日本勢初のメダルをもぎ取った。

 ダイヤの砥石・技術力が貢献《毎日:'10.2.17》
 長島,加藤両選手らがスケート靴のブレード(刃)を磨くために使うのが,京都府宇治市の三和研磨工業が製作するダイヤモンド砥石「ブレード・シャープナー」だ。会社スタッフも「自信ある商品なので本当に良かった」とメダルを喜ぶ。
 1000分の1秒を争う協議で,研磨は氷との摩擦軽減に関わる重要な要素となる。砥石はダイヤモンド粒入りの直径65㍉の円盤状で,粒は数百~数マイクロ㍍(1マイクロ㍍は1000分の1㍉)。包丁などを磨く技術を応用した。2選手が所属する日本電産サンキョーにこの砥石を販売する群馬県渋川市の「ネーブル」の小松さんは「多くの有力選手が使っており日本の技術の高さが評判」と話す。

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