イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その10

2009年08月28日 22時24分11秒 | 旅行記
タクシーの運転手は、僕の其中庵に行く決意が固いことがわかると、もう他のところをすすめたりしなかった。営業的な理由もちょっとはあったのかもしれないけど、純粋に、彼が言うところの「何もない」其中庵で僕が退屈するのを心配してくれていたようでもある。彼は、始めは僕のことをかなり若いと思っていたようで、いろいろ話した後で、ようやく「じゃあ、学生さんじゃないんだね」と言った。いくら僕に貫禄がないといっても、学生に見えるのだろうか? ともかく、そんなこともあって「若者が」山頭火に興味を持つのが意外だと思ったのだろう。

彼の山口弁がとても心地よい。僕の母は山口県出身だからこの地方の言葉にはとても馴染みがあるし、僕も浜田に住んでいたときはしっかり山陰弁をしゃべっていたはずだ。ごく短い間だったけど、彼との会話は思いがけず弾んだ。なんだか故郷に帰ってきたみたいな安心感がある。そういえば、小郡には親戚も住んでいる。ここは僕にとって縁のある場所だ(と、間違えて新山口に迷い込んだ自分を正当化する)。運転手は、ここにはトイレもあるし、別館の資料室もあるし、楽しんでね、帰りはこの道を通って、駅まで歩いて30分はかからないよ。みたいなことを言って、僕を降ろしてくれた。とてもいい人だった。

其中庵は人里から少しだけ離れた山の中腹にあった。本当に何もなかった。小さな庵と、別館。入場無料。誰もいない。30分くらいそこで過ごしたのだけど、その間ずっと客は僕以外いなかったし、管理の人にも会わなかった。入り口にある石碑に、こう記されていた。

母よ
うどんそなへて
わたくしも
いただきます

幼い頃に母を無くした山頭火が、母を想ってうどんをそなえた後で、ひとり麺をすする姿が浮かんできた。まさに山頭火の世界。いいところに来たじゃないか。新山口で3時間待たされることになった自分の不甲斐なさを、少しだけ忘れることができた。

静かで何もなく、誰もいない場所で、山頭火が暮らした庵にひとり。それにしても「庵を結ぶ」っていい言葉だ。「借りる」のでもなく「建てる」のではなく「結ぶ」。自分の意志で生きる場所を選択している感じ、生きるために住居は必要最低限のものでいいことを認めている感じがしていい。現代人もこの"結ぶ"を使ってみたらいいかもしれない。「埼玉のはずれに一戸建てを"結び"ました」。「駅から徒歩25分のところにある木造アパートを"結び"ました」。

こじんまりとした庵のなかに足を踏み入れる。必要最低限のスペースに、必要最低限の生活用品が置かれている。山頭火はここで暮らしていたんだなぁ。朝は自然とともに起き、水を飲み、飯を炊き、山菜や野菜や少量の魚を食べ、歌を詠み、書をものす。夜は酒を呑んで、日が暮れるのと同時に眠りにつく。そんな毎日だったのだろう。

句を愛し、旅を愛し、酒を愛し、孤独を愛した山頭火。定型にとらわれない、自由律俳句。その自由律の精神は、まさに彼の生き方そのものだったのかもしれない。


雨だれの音も年とった

ほろりと抜けた歯ではある

うれしいこともかなしいことも草しげる

後ろ姿のしぐれてゆくか

また見ることもない山が遠ざかる


別館のなかに入ってみた。別館といっても、10畳くらいのスペースに、若干の展示物があるだけだ。室内の電気も、入る人がつけ、出るときに消す。でもこのひそやかな空気こそが、山頭火そのものだ。

山頭火は挫折も多く、社会的には決して成功した人生だったとは言い難い。十才の時に母親を無くした。若くして文学的才能を認められ、家業も順調であったが、弟の縊死や事業の失敗などを機に酒におぼれるようになり、妻からも離縁される。酔っぱらって市内電車の前に立ちはだかり、電車停止で大騒ぎとなるが、これを機に禅門に入る。その後、何度も行乞をしながらの旅に出て、句を読み続けた。晩年にも若い頃の人間らしさはそのままに、泥酔して他人に迷惑をかけることもあった。自殺未遂もあった。享年58才。

流浪の人であり、よく歩き、 酒を飲み、歌を作り続けた山頭火。彼の人生に、句に、僕は共感を覚える。彼に比べると相当にスケールは小さいけれど、僕も歩くこと、酒を飲むこと、言葉を作ることが好きだ。そしてときどき大きな失敗をする。

別館には、山頭火の年表があった。まったく知らなかったのだけど、29才の頃、ツルゲーネフの『初恋』を訳して文芸誌に発表したことがあったのだそうだ。すごい、山頭火も翻訳Loveな人だったのか! と思って嬉しくなる。しかも『初恋』というところがいい。なんとなく、今回の旅のテーマを彷彿とさせてくれるような、甘酸っぱい小説じゃないか。40才になろうかとする主人公が、初恋の話を語るところから始まるロシア文学の短編だ。

僕は其中庵と山頭火を堪能した。こんな展開になるとはまったく予想していなかったけど、来てよかった。回り道することも、人生。そう、オレの人生そのものが、回り道じゃないか(涙)。


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ゆっくり歩いて新山口の駅に戻った。まだ時間はたっぷりある。

これまで、エイコちゃん、マキちゃん、清君&靖子さん、カペ君たちとメールやブログを通じてやりとりをしてきたけど、実はまだ誰とも電話で話をしたことがなかった。シャイな自分がちょっとばかり情けなかったけど、メールを書くのと、声を出してしゃべることには、ちょっとした壁があったのだ。行く直前には、さすがに電話しておこうかなとも思ったのだけど、なんとなく気が引けた。ひょっとしたら、浜っ子たちも同じことを感じていたのかもしれない。

しゃべってしまった瞬間に、なんだか今まで溜めていたものがこぼれてしまいそうな、そんな気もして、感動は直接会ったときに残しておきたいような気もして、文字だけのやりとりのまま、新山口まで来てしまった。

でも、ここまで来て、それもなんだか水くさいよなぁ。エイコちゃんと清君にメールで「新山口にいます」と書いて送ったら、ふたりともめっさ驚いていた。普通はみんな、広島から高速バスに乗って浜田に行く。1時間に1本、バスは運行されている。1時間半で着く。JR広島駅の新幹線口と浜田駅前をバスは走ってくれている。


格言「東日本方面からJR浜田駅を目指す人は、広島駅から便利な高速バスをご利用ください。決して新山口経由で山陰線を使って行こうとはしないでください」


エイコちゃんからは、以前から浜田についたらメールちょうだい、と言われていた。清君にも駅まで迎えに来てもらうのだから、状況をきちんと伝えておかなくてはならない。そして僕はいま時間をもてあましている。緊張したけど、電話してみることにした。携帯から、エイコちゃんにメールを送信した。

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件名:あの
送信時刻:08/13 16:00

今電話してもいいですか?
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すぐに、電話OKとの返事がきた。

もう逃げ場がなくなった。僕はこれからエイコちゃんに電話しようとしている。28年ぶりに誰かと話すなんて生まれて初めてだ。緊張した。緊張の夏、日本の夏。頭のなかで、打ち上げ花火が炸裂した。これが本当の「山頭火」だ(なんて)。

タイムマシンに乗ってるみたいな気分だった。エイコちゃんの番号を選択して、発信ボタンを押した。2回ほどコール音が鳴り、電話口から女性の声がした。もちろんそれは、エイコちゃんだった。

(続く)


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