イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その3

2009年08月21日 20時17分13秒 | 旅行記
-----------------------------
件名: びっくり!!
送信日時: 2009/04/13 (月) 22:50

わぁ。正解だったんだ!メールしといておかしいけど、すごいびっくりしました!!
すごい素晴らしい人になってますね!!

経緯はですね…去年秋に調べものがあって久しぶりにパソコン開いたんです。
んでせっかく開けたんで調子に乗って色々検索してみてて、何個か目で【児島修】と入力してみると
翻訳関係でいっぱいありました。
まさかと思ってると1970年生まれと出てたとこがあって「もしかっ!!」と。
翌日早速xxxxxちゃん(マキちゃん)にメールしましたよ。

児島くん、翻訳の仕事しとるかもしれん!!と。

(以下省略)
-----------------------------

エイコちゃんとマキちゃんは当時からとても仲がよかった。活発で、ふたりが行くところ常に賑やかで笑いが絶えなかった。クラスでも中心的な存在だった。そのふたりが僕のことを覚えていてくれていて、「どうしてるのかなぁ」と話題にしてくれていたことがあったのだそうだ。そんなこともあって、上にも書いてあるとおり、去年の秋にエイコちゃんがなにげに僕の名前でググってそれらしき人物を見つけ、どうやら「こっちゃん(当時の僕のあだ名)が翻訳をしとるかもしれん」という話になった。それが同じくクラスメイトでクラス一の才女だった由美ちゃんに伝わり、彼女がこのイワシブログを見つけてくれたということだった。それで、エイコちゃんがこのブログのプロフィールに書いてあるアドレス宛に連絡してきてくれたというわけだ。

昔の友達の名前でネット検索することは、僕にだってある。今はもう連絡先もわからない友達のことが、ひょっとしたら見つかるかもしれないと思って、ネットを彷徨う。特に、僕みたいな転勤族の家庭で育った人間の場合は、引っ越しによって過去が断絶されてしまうことがあるから、すごく昔のことが懐かしくなったり、気になることがある。だから妙にセンチメンタルになって、昔のいろんな友達の消息を求めてひたすらにググり続ける午前2時なんて時間を過ごすことも珍しくない。

たまたま僕は翻訳の仕事をしていたから、訳者プロフィールみたいな情報がネットに掲載されていた。だからエイコちゃんに見つけてもらえた。本当にラッキーだ。Googleもよく出来たもので、僕の名前で検索すると、基本的には匿名で書いているはずのこのブログが検索結果の上位にランクされる。だから僕の名前で検索した人が、このブログを見つけることはそう難しいことではない。だから、エイコちゃんから最初にメールが来たとき、おそらくそういう経路をたどってきたのではないかとは想像できた。いずれにしても、Googleに感謝だし、いつもくだらないことを下手な文章で書き散らし、生き恥をさらし続けることがテーマとなっているようなこのイワシブログにもこのときばかりは感謝した。インターネットがここまで普及する時代じゃなかったら、今回の再会もなかったわけだから(エイコちゃんの「すごい素晴らしい人になってますね!!」というのは明らかな誤解だけど)。

それにしても、28年も経って僕の名前で検索してくれたことが何よりも嬉しい。浜田の友達の心のなかに、僕が生き続けていたことが嬉しい。僕だってみんなこととはいつも思い出していた。28年もの間、その思いだけが相手に届くことなく空中を行き来していたのだ。よくこんな僕のことを覚えていてくれたものだ。イットマン(伊藤君)の誕生会なのに、主役気取りで中央を陣取り、シャツは丸出し社会の窓は全開だったような僕のことを(写真参照。他2名はコマッキーと元佐君)。

ちなみに、由美ちゃんが見つけてくれたこのブログは、最初「イワシの日記」という名前で他に伝わったらしい。たまたまその名前で、関西に住む鉄道マニアの方が書いているブログがあった。なので、「児島君は関西にいて、鉄道マニアになっとるらしい」という憶測も乱れ飛んだようだ。でも当時の僕を知る人は、僕が将来どこに住んでどんな仕事をしているかなんてまったく想像もできないだろうから、鉄道マニアであれ、翻訳者であれ、プロレスラーであれ、どんな仕事をしていると知っても、同じくらい意外な印象を受けたはずだ。

景山先生のことも書いてあった。先生はまだご健在だそうだ。エイコちゃんはずっと年賀状をやりとりしていたらしい。素晴らしいことだ。先生が当時いったい何才だったのかはわからない。でも今では相当ご高齢になっているはずだ。

僕も引っ越してからしばらくは友達や先生と年賀状を交換していた。清君からはクワガタの角を送ってもらったりした。だけど数年したら、書くこともなくなって、いつのまにか関係が途絶えてしまった。引っ越してから一年くらい経って、仲の良かった梅津君と電話で話したこともある。でも、なんだか照れくさくて昔みたいに上手にしゃべれなかった。子どもだったからいつのまにか音信不通になることはしょうがないのかもしれないけど、なんだかみんなに申し訳ないことをしてしまっているみたいな気持ちがずっと心に引っかかっていた。

小学校時代の恩師に28年間、連絡を絶やさなかった彼女。老いていく先生。それを知り、封印していたはずの記憶の箱のフタが開いて、当時の仲間たちのことが急にリアリティを持って迫ってきた。

僕があれから28年間、いろんなことを経験してきたのと同じ時間を、みんなも生きてきたんだ――そんな当たり前のことが、ジンジンと心に響いた。

(続く)