イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その7

2009年08月25日 18時45分39秒 | 旅行記
エイコちゃんはお盆での景山先生との再会の約束をとりつけるべく、先生の住む場所を探した。友人の美幸さんが車を出してくれた。現在は江津市に住む先生の家を見つけるのはなかなか大変で、途中でいろんな人に助けられながら(消防署の人にも道を聞いた。みんな親身になって協力してくれ、島根の人はええ人だなぁとあらためて実感したそうだ)、ついに恩師とのご対面を果たした。事前に電話すると気を遣わせてしまうからと、突然の訪問だった。

先生は今年の7月で77才になるそうだ。お体の調子も当時と同じというわけにはいかない。再会の感動もそのままに、玄関で挨拶をし、少し話をして、数日後にあらためてマキちゃんと訪問したいとの旨を告げ、その日はそのまま帰ることにした。先生の奥さんが駐車場まで見送りに来てくれた。当時の景山学級の生徒たちが先生を今でも慕っていることを告げると、涙を浮かべて喜んでくれたそうだ。とっても素敵な奥さんで、すっかりファンになってしまったと、メールには記されていた。

数日後、今度はマキちゃんとふたりで先生宅を訪問し、懐かしい話に花を咲かせた。当時、「学級の歌」というクラスオリジナルの歌があって、それを毎朝みんなで歌っていたのだけど、その歌のことも覚えておられたそうだ。「学級の歌」を作り、歌うことを提案したのは、もちろん景山先生だったと思う。毎日みんなでその歌を口ずさむことで、クラスにものすごく大きな連帯感が生まれていたことを思い出す。帰りにはまた奥さんが駐車場まで迎えにきてくれ、そしてまた感涙を流されたのだそうだ。それをみたふたりもまた、目頭を熱くした。奥さんとは初対面なはずだけど、こんなに説得力のある涙もない。僕はその場にいなかったけど、その駐車場での小さな別れのエピソードだけをみても、28年ぶりに恩師を訪れる生徒の感激と、それを迎え入れる先生夫婦の感慨がいかに大きいかがわかるような気がした。

先生のお体のこともあるので、長浜小まで先生にきていただくことは難しい。なので、お盆の計画としては、学校を見学した後で、先生の家にお邪魔して挨拶をしにいくことになった。学校の見学ができるのは平日のみ。だから14日の昼間に校舎で集合になったけど、このプランに参加できない人も、夜はみんなで集まって飲み会をしよう。そういう段取りをすべて、エイコちゃんとマキちゃんが決めてくれた。

メールには、景山先生とマキちゃんの写真が添付されていた。マキちゃん、エイコちゃん、先生の奥さんの駐車場でのスリーショットの写真もあった。28年ぶりに拝見する先生のお姿、そしてマキちゃんとエイコちゃん。先生もお元気そうだ。マキちゃんもエイコちゃんもびっくりするくらい若い。そして面影がはっきりとわかる。メールでやりとりをしていたときとはまた別の、大きな心のざわめきを感じた。そして喜びで胸が溢れた。奥さんもとても素敵な人だ。この奥さんがいたからこそ、先生も教師生活に命を賭けることができたのだろう。

僕もお盆に先生と会える。先生がまだご健在だったことが本当に嬉しい。そして大冒険の果てに先生のご自宅を探し出し、感動の再会を果たして、お盆の約束をとりつけてくれたエイコちゃん、マキちゃんに心から感謝した。すでに奇跡的な何かが起こり始めている。

先生とマキちゃんのツーショット、マキちゃん、エイコちゃん、奥さんの写真の2枚を合成して1枚にし、コンピューターの壁紙に設定した。先生に見守られているような気がして、仕事がいっそう捗るようになった。というのはウソで、壁紙をかえてもいつもと同じようにウンウンうなりながら仕事をしていたのだけど、でもやっぱり先生と奥さん、そして美女二人に見つめられていると思うと、キーを弾く指もいつもよりいっそう快適になり、いつも以上にミスタッチを連発してしまうのだった、じゃなくて、やっぱりちょっとは仕事も捗ったのであった。

4月中旬の、あのエイコちゃんからのメールから1ヶ月あまり。ふたりの努力のおかげでお盆の再会プランがはっきりとしてきた。エイコ&マキちゃんとのメールのやりとりも落ち着きを見せ始め、夏に向けて静かに気持ちを高めていくような時期に入った。


*************すみません、まだ浜田のシーンにはなりません*************


5月8日の夜、ブログに懐かしい友達からのコメントが入った。

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こっちゃん、懐かしいです。
さきほど同級生の女性から電話をいただき、このブログを見て、コメントしてます。浜田の記事も読みました。僕はまだ浜田に住んでいます。夏にぜひ会いたいと思っています。加瀬くんも浜田にいますよ。楽しみにしています。

○○清
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清君だ!!!クラスで一番腕っ節が強くて、足が速かった清君。動物にたとえるならば、百獣の王、ライオン。あえて言うなら「ガキ大将」。それが清君。3、4年のときにとっても仲がよかった清君。毎日遊んでた清君。キタ━━━(゜∀゜)━━━!!!!

カペ君こと加瀬君のことも書いてある。家もすごく近くて、1、2年生のときに一番仲がよかったカペ君。めっさおもろいカペ君。キタ━━━(゜∀゜)━━━!!!!


マキちゃんが清君に電話してくれたのだ! 嬉しい。マキちゃんありがとう!


僕もコメントを返し、お盆での再会を約束した。感慨深いものがあった。不思議だ。昔、沼でザリガニ採ってた僕たちが、ブログのコメント欄で28年ぶりに連絡をとりあうなんて。


しばらくして、カペ君からもコメントが入った。
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やっと見つけた。
清にメールもらって探したけどなかなか発見出来なくて、先日一緒にゴルフに行って詳しく聞きました。
おひさしぶり、加瀬です。

翻訳家になってるんだね。おれは障害者の福祉施設で介護福祉士をしてます。

懐かしいなぁ。今でも色んな事を鮮明に覚えてます。こっちゃんがよく鼻血を出してた事やピアノを習ってた事、こっちゃんちの前にあった鉄棒、裏の空き地で泥水に色んな物を混ぜて「猛毒」を作ろうとしてたこと。清と3人でやった「モグラチャンス」(モグラ叩きゲームを前にモグラを一切叩くことなくハンマーを持ちモグラチャンスと言ってポーズを決める不思議な遊び)ちなみに清と二人で今でも時々意味無く「モグラチャンス」って言ってる。

元気で頑張ってる事を知ることが出来てとても幸せに感じます。
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浜田での生き生きとしたカペ君の暮らしぶり、元気な姿が目に浮かぶようだ。すごく嬉しい。カペ君とは本当にウマが合った。あの頃の楽しい思い出を、当時の雰囲気そのままに覚えていてくれているような気持ちが伝わってくるようで、感激した。それにしても、カペ君がまっさきにそれを連想するほど、僕は頻繁に鼻血を出していたのだろうか? 出していたような気がする。モグラチャンスは何だかはっきり思い出せないけど、そういうオリジナルの遊びをよくやっていたことは覚えている。ともかくワクワクする。


信じられないほど懐かしい気持ちになり、胸がいっぱいになった。


翌日、清君からはじめてメールが来た。清君らしいシンプルなメールだ。
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件名:(なし)
送信日時:2009/05/28 (木) 20:27

こんばんは

これは児島 修さんのメールアドレスでしょうか?
あっていたらうれしいです。

○○清
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清君はさっぱりした男らしい性格で、あんまり筆まめではないらしい。清君からメールをもらったのはこの一度のみで、それ以降は、代わりに清君の奥さんの靖子さんがメールをくれるようになり、「秘書 靖子」として、何度も連絡をしてもらうようになった。この靖子さんが驚くほどにとっても気のつく素晴らしい人で、そして清君夫妻にはこの旅を通じて言葉では言い表せないほど御世話になり、僕は旅を通じてふたりから本当に多くのことをを学ばせてもらうことになるのであった。

(続く)