イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

朗読会の報告

2009年08月01日 12時16分25秒 | Weblog
昨日の朗読会、とても楽しく参加させていただいて参りました。

見に来ていただいた方々、主催者のマハロいとうさん、出演者の夏目さん、川村さん、会場のよしだ屋珈琲店さん、本当にありがとうございました。

僕は、一番バッターで登場させていただきました。穂村弘さん著『短歌という爆弾』のなかから「世界を覆す呪文を求めて」と、サム・シェパード著/畑中佳樹訳 『モーテル・クロニクルズ』の散文詩、レイモンド・カーヴァー/村上春樹訳 『ウルトラマリン』より「今朝」という詩を朗読しました。緊張と、欲張って読む量を多くしたのであせってしまったこともあり、朗読というより単なる音読、そして傍からみているとかなり危ない世界に入ってしまっていたようです(^^; 聞いていただいた方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。おそらく、相当な苦しみだったのではないでしょうか...。この場をかりて、あらためてご静聴いただいたことにお礼を申し上げます。

しかし、久しぶりの人前での朗読はとても楽しく、いい経験になりました。朗読対象のテクストの選択から、朗読のスタイルまで、自分の特性がはっきりとでるものなのだなあ、ということがよくわかりました。

その後、夏目さんは宮沢賢治の「注文の多い料理店」をユーモラスに、川村さんは津軽の詩人、高木恭三さんの詩を迫力のある津軽弁で、マハロいとうさんは長尾弘さんの詩(「イワシについての詩」も選んでいただきました!)とエッセイを叙情たっぷりに読み上げました。それぞれ個性があり、とても楽しめました。お三方の落ち着いた朗読ぶりに大人を感じました(それにひきかえ僕のあの中学生のような朗読はいったい...)。

それにしても、朗読は面白い。何を読むか、どう読むか。たったそれだけで、読み手の個性や人となりがくっきりと表れるものです。朗読を聞いていると、その人が普段、本を読んでいるときの頭の中を覗いているような気がしました。それと、黙読と音読の違いにもあらためて気づかされました。大人になると声に出して文字を読む機会はめったにありませんが、音読は読書の原点かもしれない、と感じました。子供の頃に、本を読み始めたときの感覚が蘇ってくるようでした。

素晴らしい機会を与えていただいたみなさまに感謝です。またの機会があれば、今度はもう少し大人の読み方で、聞いていただく方に何かを感じてもらえるような朗読をしてみたいです。

その後の飲み会も大いに盛り上がりました。夏目さんのブログに朗読会の模様が、マハロいとうさんのブログに詳細が記載されています。


今日からもう8月! 今月もよい月になるように頑張ります!