イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その5

2009年08月23日 11時51分17秒 | 旅行記
僕がいた当時とは、呼び名(あだ名)が変わっている友達も多い。今はエイコちゃんでも消息を知らない友達もいる。浜田にいたらばったり出会うこともあるけど、最近ではめったなことがなければ集まることもなく、誰がどうしているかはなかなか把握できないのだという。たしかにそうだ。元気かなぁ、何してるのかなぁと思っても、よっぽど仲がよくなければいちいちメールしたり電話したりはしない。ずっと地元にいたって、そんなものなのだ。そういう事情を知ると、余計にリアリティを感じてしまう。

当時のクラスメイトにたまに会うと、面影ばっちりなのだそうだ。でも、みんなもう今年で39才。世間的にみれば、もう十分にオッサンだ。実際、自分も含めて外見はオッサンになっているだろう。だけど、同級生とは不思議なもので、いつまでたってもお互い子どものままでいられるところがある。お互いに年を取ることを気にしなくてもいい。同じ速度で加齢されていくから、相手の年齢も自分の年齢も気にする必要がないのだ。誰でも年は取るし、老いていく。そんな不可避の真理を、自然に受け入れることができる。親から見たらいつまでたっても子どもは子どもであり、子どもからみたらいつまでたっても親は親であるように、お兄ちゃんがいつまでたってもお兄ちゃんで、妹はいつまでたっても妹であるように、同級生はいつまでたっても同級生であり、同い年なのだ(当たり前だ)。同級生は、相手のふとしたしぐさや表情のなかに、永遠の子どもを見ている。まだ子どもだったころの相手の姿を見ている。そしてそのとき、自らもまた子どもに戻ることができるのだ。子どもの頃からまったくかわらない、年齢や身体的変化を越えた、自分の中心とともに在ることができるのだ。

ブログをみたエイコちゃんが、コメントを入れてくれた。28年前の友達からコメントをもらうなんて、ブログを始める前には想像もしていなかった。その少し前、金沢(浜田の次に住んだ場所)の中学校時代の友達もこのブログを通じて僕を発見してくれるという嬉しい出来事があり、東京に住む友人の一人とは20年ぶりの再会を果たしていた。その彼らもコメントをよく入れてくれるようになっていた。20年以上前の友達から、しかも浜田と金沢という別の場所で知り合った友達からコメントが入っているのを見るのは、嬉しくもあり、なんとも不思議な気持ちにさせられた。僕が生きているのは、現在という点の時間ではなく、昭和45年に生まれてから現在までという長い線の時間であるということが、如実に伝わってくる。

コメントを終えたエイコちゃんからメールがきた。

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件名:初コメント
送信日時:2009/04/16 (木) 0:27

(略)
ブログ読んだら切なくなりました。
私は児島君が浜田を去った日知らなかったよ。
よく覚えてるんだけど、小4の三学期終わり頃のある日放課後
マキちゃんと4-2の教室後ろで掲示物の張り替え手伝ってたん。
景山先生は教壇のとこにいてさ、どうゆうきっかけか
「児島君が金沢に転校する」って言い出して。
はぁぁぁ?? 
私はめっさ動揺。
でも意地張って出た言葉は
「やったぁ!」
確かマキちゃんもそんな事をゆったと思う。
先生になんでと聞かれ更に
「だって嫌いだったもん」と。
そこからは話がどう展開したか終わったかは覚えてないんだけど、必死に気持ちがバレないように
振舞った記憶があるんだ。

児島君のブログ見て思ったんだけど、景山先生お見送りのこと言おうとしてはったんかも…。
一緒に学級委員とかもしたしね。
つまらん嘘をついてしまったのずっと気になってたし、お見送りしたことを知って更に切なくなったよ。
その風景に私はいてないもんね。
(略)
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エイコちゃんとマキちゃんが、景山先生と友達が僕たち家族を見送ってくれたことを知らなかったように、僕もこの放課後の出来事は知らなかった。エイコちゃんはずっと「やったぁ!」と言ったことを悔やみ、申し訳ないと思っていてくれたらしい。僕はそのセリフを耳にしていないのに。

その翌日、マキちゃんからも初めてメールが届いた。マキちゃんも、この放課後のことをずっと僕に対して謝りたいと思っていてくれたらしい。28年ぶりの連絡をくれて、そして「ずっと誤りたかった」のだと、まずそのことが書いてあった。それだけずっと心に引っかかっていたのかも知れない。僕はまったくそんなこと知らなかったのに。「やった~」と言ったことを後悔し、折りに触れて思い出していたのだそうだ。なんて優しい人なんだろう。そして、申し訳ない。僕はただ、もう友達と会えなくなることの本当の意味も知らずに、脳天気に去っていただけなのに。転校していく男子を女子が見送るなんてことは、当時まずあり得なかっただろうし。気にしなくてもいいのに。マキちゃんとエイコちゃんがそんな風に、僕に伝えられない「ごめん」を心に抱えていた28年間。その長い時間を、想いを、僕はまったく知らずに別の世界で生きてきたことを申し訳なく思った。同時に、そんな気持ちが嬉しくもあり、切なくもあった。

「小学校四年生なんて、男子と女子は表向きは仲良くしたりせず、お互いに憎まれ口を叩くものだから、どうか気にしないでください。そもそも、僕はその場にいなかったわけですから」みたいな返事を書いた(この後、マキちゃんともエイコちゃんとも何度もメールをやりとりすることになるのだけど、彼女たちがフランクに語りかけてくれるにも関わらず、いつまでも敬語が抜けない僕なのであった)。

マキちゃんのメールには、こんなことも書いてあった。

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件名:28年ぶりだけど初メール
送信日時:2009/04/17 (金) 8:01

(略)
英子ちゃんから聞いて児島君のブログを見たんだぁ。
文章を読んでいくうちに、小学校の校庭・・土手をあがるとすぐに線路があって・・そこに彼岸花が赤く咲いてて
いろんな風景を思い出したよ。
景山先生が国語辞典をプレゼントしてくれたってー、その通り 児島君は日本語、表現を大切にしている人になっているもんね。
ブログを見て、切なく懐かくとても暖かい気持ちでいっぱいになり、涙がじんわり滲みました。

私もこの生涯で尊敬している人は景山先生です。
会社の朝礼スピーチで「私が尊敬している人」というお題の時に景山先生の話をした事があります。
野外授業で捕ってきたイナゴを炒めて給食時配布し、戦時中はこんなのを食べていたんだと教えてくれたり
景山先生の自宅玄関にできた蜂の巣をとって、天然蜂蜜をこれが本当の蜂蜜なんだと教えてくれたり
生徒の良いところを引き出して、更にそれを発揮できるようにしてくれたり。
なんたって景山ジャンケンはとても盛り上がってたよね。
(略)
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胸に熱いものが込み上げてきた。

文面からは、景山先生のことを今でも尊敬しているし、慕っていることがヒシヒシと伝わってきた。本当に、素晴らしい先生だった。素晴らしい先生だったことは、当時のクラスメイトは誰でも感じていたし、今もそう思っているだろう。だけど、マキちゃんとエイコちゃんは、漠然とそう思うのではなく、自らの内側に先生を尊敬する気持ちがあることをはっきりと自覚している。大切なもののありがたみが、ちゃんとわかる人たちなのだ。ふたりのそんな律儀な気持ちに触れて、僕も先生への感謝の気持ちを改めて感じないわけにはいかなかった。そしてその気持ちを28年間、先生に伝えることができていない不義理な自分を恥ずかしく思った。マキちゃんが書いてくれたように、日本語、表現を大切にすべき仕事に、僕は今就いている。文章はさっぱり下手なままだが、それでも読書や作文が好きだった僕の特性を見抜き、将来を予見するかのように国語辞書をプレゼントしてくれた先生の先見の明には驚かざるを得ない。

先生からもらった辞書は、大切にとってある。僕は思いに耽った。

「そうだ、浜田に行こう」

これは天の思し召しに違いない。浜田に行きたい、行きます、行かざるをえない、行ってもいいかな? いいでしょう。行ってきんしゃい、行ってきます、お入りください、ありがとう。総合的に考えると、これはもう「行く」で決定だ! この夏、28年ぶりに故郷を訪れることに決めた。もうここまで来たら、行くしかない(さらに「そうだ、ついでに京都に行こう」と帰りに滋賀の実家に寄ることも計画してしまった)。

みんなと会うとなると、都会に出て働いている人たちが帰省するお盆が最適かもしれない。「お盆に浜田に行こうと思います」僕がメールでそう伝えると、ふたりはとても喜んでくれた。マキちゃんとエイコちゃんは、このゴールデンウィークに浜田に帰省するらしい。そして僕が来たときのために、いろいろと調査、準備をするつもりだと書いてくれた。まさかの急展開。俄然、浜田への再訪、そしてみんなとの再会が現実味を帯びてきた。

――そしてこのGW中に「28年ぶりに、先生にも会いに行くつもり」なのだと、そうメールには記されていたのだった。

(続く)