おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(9月13日)は会社を休んでカミさんと義母と3人で義母の兄(92歳)の告別式に参列しました。
豊島区の大塚から神奈川県の相模原まで往復タクシー利用でした。
90歳の義母は電車を利用しての行き来は不可能。
4人きょうだいの最後に生き残った一人として、ご遺体であっても、会ってお別れしたい気持ちがありありと伝わっていたので、婿殿の勤めとして同行しました。
納棺の場面で兄2人と弟一人を喪った義母は「みんな逝っちゃたねー」と棺に向かって語りかけていました。
家に帰ると義母は「トシノリさんありがとう。葬儀に出かけられて本当によかった」と言ってくれていました。
昨日はまた、リアルな喪の儀式の進行の中で、私には先週の土曜日にこの世を去った48歳のM君のことがずっと頭の中にありました。
お父様から9月11日(月曜日)に電話が入って、彼がこの世を去った状況をお聞きすると、前夜21:00頃、母親が煙草の灰皿を替えたときのやり取りを最後に、朝起きてこないので声をかけたら息絶えていたとのこと。
精神に障害を持つM君とのつき合いは19歳の時から30年近くに及びます。
彼の自宅には、家族間の調整のためにかれこれ10回近く訪問しました。
幻覚・妄想を訴える彼をある策を弄して精神病院に入院させたこともあります。
ところが私の知らぬ間に親にあることないことを訴えて退院してしまいました。
ただ、しばらくは幻覚・妄想が弱まっていたのです。
何としてもフルマラソンを走りたいという夢を抱いていた彼(高校時代はサッカー選手)は、東京マラソンに応募して出場機会を得、実際に走り切り、電話でしてきたときは、人生最高級の喜びを喜びを表明しました。
しかし家にいると、完全の甘やかされ状態であったため、伝手を頼って都内の福祉施設に入寮することにしました。
ここでも問題発生。
同じパターン。
親にあれこれ訴えて数か月で退寮。
親との間で勝手に決めてしまったのです。
私は地元の医療と福祉につながるように説得していましたが、一人息子の彼は親を操作してわがまま放題にしていました。
私への連絡は長らく途絶えてしまいました。
3年前には「オレ、死ぬことにした」という電話が入ったこともあります。
スタッフの竹内さんによれば「そう言って岩井さんと繋がっていたいんですよ」のコメント。
ここ2年ほどは、彼からポツンと入るメールは、自分のことを書いたブログのいついつの記事を消去してほしい、というような内容ばかりでした。
お父様からの電話に続くお母様とのやり取りを加えて話を戻すと、100キロを超えて、心不全の診断名による、80歳前後の両親を残してのこの世のフィナーレ。
お父様には生花をお願いしても辞退され、家族だけでの見送られ方、何とも物悲しい。
こんなことを書いても、彼から何のクレームが来ないことがまた、とても切ない彼との30年近くのつき合い。
彼とのやり取りの物語は、このブログで10回以上書けますが、じっと私の心の中に潜め、私は49日間ひっそりと仏壇に彼のご冥福を祈り続けます。
有難うM君、君が私に教えてくれたことは、とてつもなく深く大きい。

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<お目休めコーナー> 9月の花(13)
