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アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

このところブログの更新頻度を1日おきにしていますが、ありがたいことに訪問者数も閲覧数もほとんど変わりがありません。

私としては、時間を有効活用できて助かっています。


さて、今日のテーマは「体罰」です。

2019/7/9 1:30日本経済新聞 電子版 尾木直樹氏「耳を傾けて」/桑田真澄氏「なぜ」教える  体罰なき子育て~インタビュー編(上) では、

体罰禁止を初めて盛り込んだ改正児童虐待防止法が成立した。
体罰根絶に先行して取り組んだ教育、スポーツの専門家は「体罰は逆効果」と指摘し、子供に耳を傾ける姿勢が自発性を生み出すとアドバイスしている。

として2人のインタビューが載っていました。

この体罰の記事から私は、小学校4年生の時に担任のS教諭から受け続けていた激しい体罰を思い出しました。

一度や二度の体罰ではなく、それこそ1学年のうちに10発近くのひどいビンタを受けていました。

頬が手のひらのかたち(「紅葉腫れ」とS教諭は呼んでいた)に腫れ、歯ぐきから血が滲んでいる状態で家に帰った私は、正座している母親の前で「あんな学校行きたくないよ」と訴えていました。

当時、PTAの副会長でもあった母親は、ひたすら「辛抱するんだよ」と言うだけなので、私は、1年生から3年生までの通信簿をビリビリと破りながら号泣していたことが思い出されました。

その当時の私は、今なら確実にADHDと診断される注意欠陥/多動性/衝動性の傾向があったので、それを持て余したS教諭は、暴力で押さえようとしたのでしょう。

9歳から10歳であった小学校4年生にして私は、世の中で初めて「憎悪」(怒りよりも「こいつをいつか殺したい」と思うほどの、復讐心を伴う激しい憎悪です)の感情を抱いたことを思い出していたのです。


そこで私は、無力だった母親と一体化しようと、瞑想を行いました。

私は、イメージで母親の胎内に入りました。
そして、生まれ育つ過程を振り返る瞑想。

私には宇宙に浮かぶとても心地よい空間を味わえましたが、母の立場になると、4人も子どもがいるので、望まない妊娠だったことでしょう。

その上、2歳上の兄は、昭和22年8月15日という終戦の翌日の生まれ。

満足に乳も出ず、おまけに当時のひどい食料事情。

その兄がまだ手のかかる2歳4か月の時に私は生まれたのです。

周囲も医師も出産を阻止しようとしたにも関わらず、「何としてもこの子を産む」と私を産んだ母。

新憲法が発布されたばかりの年に「憲」を使うことを認めようとしなかった市役所の戸籍係の職員の発言に抗して押し通したという名前にまつわる伝聞。

「俊憲」というのは、「優れた手本」を意味すると伝えられたこども時代。

母は、体罰を受け続ける私に無力のように思えたけれど、きっと何かの動きをしていたのでしょう。

5年生になったとき、女性のM先生が担任になりました。

その事情を聞くことができないまま今日を迎えていますが、両親に生涯一度も体罰を受けたことがなかった私は、人一倍体罰を憎みます。

体罰をする側は、「愛情」だとか「教育」だとか、都合のよいことを言うでしょうが、体罰を受ける側は、ほとんどそんなことを思うことはないでしょう。

アドラーが書いてます。

「子どもの人格形成について、・・・・罰を与える、叱責する、お説教をするという方法は、子どもにとって得るものは何もない」(『生きるために大切なこと』P.24 )

子どもに得るものは何もないのです。

私は体罰をする親や教師に強い警告を与えると共に、 尾木直樹氏「耳を傾けて」/桑田真澄氏「なぜ」教える  体罰なき子育て~インタビュー編(上) の桑田真澄氏の言葉を記しておくことにします。

――2012年に大阪市立桜宮高校のバスケットボール部員が自殺した問題を受け、スポーツ界では体罰根絶の機運が高まりました。桑田さんは以前から、体罰のない指導を提言しています。

体罰で子供は自分で考える意志をなくします。
プレーも失敗を恐れて消極的になる。
例えば野球の守備で、ボールを後ろにそらさないよう膝をついて体で止めるようになる。
送球までの動作が遅くなり、ランナーをアウトにする本来の目的から逸脱してしまう。
体罰では子供は上達しません。

――体罰なき指導はどのようなものですか。

「なぜならば」を教えることです。
なぜこの練習が必要なのか、時間をかけて伝えて自発的に取り組んでもらう。
そのためには指導者も最新の理論を学ばなければいけません。
自分の経験だけで指導はできない。

そして、子供に敬意を払い、意見を引き出す。
子供の発想から指導者が学べることもあります。
私はバットを握る左右の手をくっつけるように指導していました。
しかし、「離した方が手首が返しやすい」という子がいた。
実際にやってみると確かにそう感じた。今ではパワーのない子には離した握り方も試してもらっています。


創造的な子どもに敬意を払い「子どもの目で見、子どもの耳で聞き、子どものこころで感じる」共感に基づき、信頼の態度で接すれば、暴力的な問題解決の方法である体罰など思いつくはずもないのです。

体罰を受けた子がいじめをしたり、やがて大人になってパワハラをしたり、自分の子どもに体罰の連鎖を食い止めるためにも、アドラー心理学は、まだまだ影響力を発揮する余地があります。

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