二尊院を出て、旧愛宕街道方面でなく、右に歩みを進めます。
この辺りは嵐山・嵯峨野の観光スポットで、いつも観光客で賑わっているが、この日は意外と人通りがない。
少し歩くと向かいから、女性を乗せた人力車がやってきた。
この辺りの観光巡りの人力車も、一昔前からすると本当に多くなった。
久しぶりの道なので、確認のため人力車の車夫に声をかけた。
「ご苦労様、厭離庵はこの道筋でしたよね?」
「はい、でもやめましたよ」
やめた!?
寺院の都合で拝観を停止するところは結構ある。
この答えには、ちょっと驚いたが、厭離庵は拝観のため公開する期間は極めて短い。
「やめた」のでは無く、拝観期間が終わったのではと歩みを進める。
厭離庵へは、通りから細く長い路地を進む。
こんなところに本当に寺院があるのかなと心配になるような感じなのだ。
散り紅葉の絨毯が、次第に次第に厚くなる細長い路地をゆっくり進んでいくと、その歩みと共に時間が巻き戻されていくような感じなのである。
厭離庵そのものは、小さな寺構えをした建物だが、実際は茶室の古さに価値があるようである。
厭離庵は、藤原定家が百人一首の選定をしたと伝わる山荘である。
百人一首は恋文である。
厭離庵周辺の佇まい、特に散り紅葉の情景は、百人一首によく似合うのかも知れない。
門前にて、拝観謝絶の札と共に門は閉ざされていた。
私が、あしを運んだのは12月12日。
厭離庵の拝観日は、確か11月1日から12月7日くらいまでである。
今回訪れたのは、一週間ほど遅かったのである。
しかし、だから散り紅葉を観られたのかも知れない。
燃える紅葉には間に合わなくとも散り紅葉には、今からでも間に合うかも・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます