今日は啓蟄だそうで、虫も地中から這い出してくるような時期になってきたようです。
京都はというと、おそらく今頃は、城南宮の枝垂れ梅をはじめ、梅の花の見ごろを迎えていることでしょう。
これからは気候もよくなり、梅、椿、桜と花の時期となり、いよいよ春の観光シーズンを迎える事になりましょう。
ところで、風光明媚な所が多いといわれる京都ですが、強く印象つけられるところというと、面白い事に個々人で違いがあり、皆が共通しているというわけではないようです。
まぁ、こういった事は当然といえば当然なのですが、趣向が合うといいますか、感性が合うといいますか、いかに山紫水明処の京都といえども、ここだと思える場所は意外と少ないのではないかと感じます。
全体論では好きとなるのですが、各論になると、いやこちらがもっと良いとなるわけです。
個人的にどうかと問われると、ひとつだけあります。それが落柿舎を見渡せる嵯峨野の風景なのです。
当方は鈍感なので、いろいろなものを見聞きしてもあまり驚く事はありません。後でじっくり考えて「あー、あれは凄いんだ」と感心するという、天然に近いほうなのです。
そんな鈍感力の強い当方が、瞬間的に驚いたところが一箇所、宝泉院の盤桓園でした。
でも、先にいう処のこの場所というと、嵯峨野なのです。この嵯峨野の風景は本当に心を癒してくれます。
ここは、目立つものもなく、なんの変哲もない風景なのですが、どこか懐かしさを覚え、時空を超えているかなと感じる事があります。
ここで、突然ですが、この時空の概念、皆さんはどのように捉えるでしょうか。
よく三次元、四次元ということを聞きますが、点は0次元、直線は一次元、面は2次元、空間は三次元、そして時間が加わると四次元と当方は理解しています。もう少し砕くと、1次元の直線は0次元の点によって二つに分けられます。
同じように2次元の面は1次元の直線によって二つに分けられます。
さらに3次元の空間は2次元の面によって二つに分けられていると考えてよいはずです。
さて、わけの分からない四次元ですが、先の0次元から三次元の考えに習うと、これは現在という空間(三次元)によって、過去、未来(時間)を分けていると考えることができないでしょうか。そうすると、この「懐かしい」といった感情や、「いつか来たことがあるのでは」といった事が、理解しやすくなりませんか。四次元の世界とは、空間で時間を跨ぐ事、時空を超える事なのではないかと思えます。ここを掘り下げていくと、なんともおぞましい世界にまで到達しそうなので、このくらいで納めておきましょう。今回は啓蟄から四次元までと、とりとめのない、へんてこブログになってしまいました。
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