ちょっと寄り道 湖東三山 金剛輪寺

2013年11月22日 | 日記

西明寺を出てから、彦根城まで15Km程度との事で、この後彦根へと向かうのだがその話は後日。


次に湖東三山の二つ目、金剛輪寺へと向かった。途中道の駅「せせらぎの里 こうら」というとこに寄ったのだが、置いてある特産物に他県の物も多くあり「はて??」という感じでした。
このあたりから雲行きが怪しくなり、天気予報で、雨は心配ないはずであったが、そこは現在のスパコン頼りの予報、ご多分の漏れず予報がはずれとんでもない雨模様になってきた。


それでも、金剛輪寺到着の頃には幾分小降りとなり、なんとか傘なしでも参拝が可能となった。
総門から参道を眺めに「おや??」なんとなく、道のりがありそう。


千体のお地蔵さんが祀られる参道を登り始めるが、行けども行けども山門が見えてこない。


相当の距離を歩き、ようやく山門らしきものが見えてくると、今度はとどめと言わんばかりの石段が待ちかまえている。

 


参拝どころか、こちらが昇天しそうである。
なんとも、すごい参道である。
勘弁、勘弁である。


こんな修験道のような参道を持つ寺ならば、真言寺かと思うとそうでも無い、やはり比叡山の麓、天台宗のお寺である。
心臓破りのような石段を登りきると、やっと本堂が見えてくる。

 


本堂への入り口、山門は西明寺と同じく二天門である。
境内を眺めると、西明寺と同じように三重塔がここにもある。


このあたりは、信長の叡山焼き討ちですべて焼かれた寺かと思うのだが、その再建時期は同じなのであろうか。
本堂の造りも西明寺のそれとよく似通っている。
安置されている仏像も、西明寺同様に重文クラスの見事なものばかりである。湖東三山侮るべからずである。


京都はもともと庭が主体。
この庭中心の在り方は独自の考えを持っているが、一般的な観光視線ではなくラジカル的に考えてみると、本質はおそらく当たっていると思うのだが、それをここで述べるのはやめておく。


京都と比べると、ここは奈良に近い文化構造をもっているようである。
純粋に仏教を信仰した気配が感じられる。
それにしても、二山を拝観してその見事さに少し驚いている。


三山同時期の御本尊ご開帳が予定され、桜の時期に重なる来年の春に、また訪れそうな気がする。
ただ、参道の長さ、石段の数は勘弁ものである。

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コメント
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