三条大橋

2011年11月20日 | 日記

擬宝珠が美しいといわれる三条大橋。

この三条は歴史的には数々の事柄が残っているようである。

処刑場としての三条河原、いまでは勿論その痕跡もない。

三条小橋の池田屋といえば、大方の人は新撰組を思い起こすであろう。

瑞泉寺といえば、秀吉の錯乱により一族皆殺しの憂き目にあった関白秀次を思い出すであろう。

日本橋を基点とする東海道五十三次の終点、すごろくのあがりの地点である。

この三条大橋のふもとには、十返舎 一九が書いた東海道中膝栗毛の主人公「弥次喜多」像がある。

モニュメントというよりは、ちょっとした「たまり場」のような感じになっているのが残念。

ちなみに、東海道五十三次は高山寺に彫刻像が安置されているが、善財童子を導いた五十三人の数とされている。

徳川家康が善財童子の話を聞き、たいそう感じ入り五十三次を設置したといわれている。

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