もう昔のことで時効だろうが、どぶろく作りに凝ったことがある。米、麹、水、イースト菌ががあれば、簡単にできる。
冬でも一週間ほどでできる。毎日味見をするが、次第にアルコール度数が上がっていくのが分かる。最高20%以上になるのではないか、と思う。
ビールと日本酒を混ぜたような感じで、まろやかで飲みやすく、実に旨い。
糖分がアルコールと炭酸に分解されるようだが、不用意に飲みすぎると、それが胃の中で発酵して猛烈に酔っぱらう。
もう昔のことで時効だろうが、どぶろく作りに凝ったことがある。米、麹、水、イースト菌ががあれば、簡単にできる。
冬でも一週間ほどでできる。毎日味見をするが、次第にアルコール度数が上がっていくのが分かる。最高20%以上になるのではないか、と思う。
ビールと日本酒を混ぜたような感じで、まろやかで飲みやすく、実に旨い。
糖分がアルコールと炭酸に分解されるようだが、不用意に飲みすぎると、それが胃の中で発酵して猛烈に酔っぱらう。
残り少なくなったこの一年を振り返って、人は様々なことを思い起こす。忘れてしまいたいこともあっただろうが、幸せと感じたことが一つでもあれば、それこそこの一年が素晴らしかったと言える幸せ者だ。
この句、具体的にどんな幸せか、想像するだけで楽しくなる。まして、記憶が風化せぬよう、瓶詰めにしたいとなれば、決してありふれたことではないだろうし、もしかすると人には言えない秘密めいたことかもしれない。いや、きっとそうに違いない。
読者はそれぞれ、私の場合は・・・・などと行く年を惜しみつつ、一年を振り返ることになる。
gooブログには、「ブックマーク」というのがあって、友達のブログやHPにリンクを貼ることが
できます。ブックマークという言葉が、なんのことか分からなかった。
やり方は、以下です。
ブログ画面→編集画面→サイドバーの「ブックマーク」
ブックマークの画面が出たら、「表示順位」を選び、「サイト名」「URl」を入れるだけです。
実に簡単でした。
教えていただいた、「優さま」有難うございます。
暖炉のある家に住むとは、なんという贅沢。ストーブとは比べ物にならない。金銭的というより、心の贅沢なのだ。更に、フランスから届いた新しいワイン。さらなる贅沢。
どなたかきっと親しいお客様のためなのでしょう。用意した薪を暖炉で燃やす。薪の爆ぜる音、柔らかい輻射熱を浴びながら、ボジョレーヌーボーをいただく。料理も得意だった作者。3拍子揃って最高の冬の夜ですね。羨ましい限りです。
お客様はどなただったんでしょうね。しかし、それを聞くことはもはやできない。彼女はあの世へ旅立たれてしまった。
鍋料理の中で、最も安上がりなのが湯豆腐だろう。豆腐以外には、少量の削り節、おろし生姜、刻みネギなどの薬味と醤油かポン酢があれば足りる。しかし庶民的なはずなのだが、この湯豆腐が、ある意味では最も高級、つまり上品なのである。
さて、「命の果ての薄明かり」だが、「作者の命の終末期」とも「死後の世界」の薄明かりを作者が想像している、とも受け取れる。ひらがなにしているのも、その辺のあいまいさを狙っているのではないか。
どちらかというと、前者の、生きてきた我が人生を振り返り、死を間近に控えた諦観の中にいる、というのでいいのかもしれない。
料亭かどこかの部屋の薄明かりであるのかもしれないが、人生のロウソクの炎が消えかかっているそんな薄明かりも想像される。
しかし、作者が「死後の世界」を想像しているのではないか、というのも魅力的な見方だと思う。
劇作家でもあった作者の、緻密に計算された演劇的な句と言えないだろうか。
小さな穴窯だが、壺やぐい飲みなど大小取り混ぜて500個は入る。窯出しが終わると、一つ一つ、割れや傷がないか点検するが、作業はいつも屋外だ。
すっかり裸になった木々を透けてくる日射しを浴びて、サンダーや砥石で磨く。割らねばならないものも当然あるが、人前でわざわざ割ることはしない。
いづれにしても、窯焚きをわくわくして楽しい充実した祭りとすれば、窯出しは後の祭りである。
ペットと言えば犬猫。しかし、最近では、様々なペットが世界中からやって来て飼われているらしい。
それらが山野に放されて問題になっている。日本人のマナーの悪さは、相当なものだ。
さて、冬眠の亀と言っても、どんな亀だろう。まさか、カミツキガメやすっぽんではないだろう。ウミガメは冬眠しないだろう。ミドリガメぐらいにしておくのが、無難か。
「こんな年末になって転勤させるとは、余程の事情なのかもしれないが、勝手な会社だ。是非止めて欲しいですね。サラリーマンは、本当に大変だけど頑張ってね。」
この句、そんなことは一言も言わないで、淡々と事実を述べているところがいい。
友達のHP or ブログ です
家の周りの落葉樹の九割は、葉を落とし終わった。三年前から、我が家の落葉掃除
も箒や熊手からブロワーで吹き飛ばす方式に変わった。
以前はよく、集めた落葉を燃やしたものだ。しかし、風が強いと火災にも気を付けね
ばならないし、後始末も結構やっかいなのだ。
ある時ふっと「落葉の中に、虫たちがいる」と気付いて、焚くのを止めることにした。
二酸化炭素の削減にもなるので、今では梅などの根元などに敷いている。腐葉土に
なるのをじっと待っていればいい。
この句、「枯れ」と「冬構」が季重ね。又、「喜び」の主人公が、木なのか作者なのかが不明だ。しかし、これはこれでいいと思っている。
落葉樹は、夏に木陰を作り、冬は日射しを通してくれる。人間にとって実に有難い存在だ。
つまり木の葉が散って、日射しが当たり暖かくなり、見晴らしも良くなり広々となることを、作者が喜んでいる、というのが本意。
太平洋側の暖地では、冬への備えはそれほど必要ないが、私の場合は来シーズンの薪割りが唯一欠かせない「冬構」。
これも、20年位前のこと。
ある小さな広告会社の経営者Sさんに、何のお礼か忘れたが蜜柑を送ったところ、この俳句が書かれた葉書が届いた。
Sさんは、俳句をやっていなかったので、私はとても驚いた。お礼の言葉として、素晴らしい俳句だからだ。但し、本人の作かどうかは、未だに分からない。
「1、爪(が)たてば」という表現が少しおかしい。「2、爪(を)たてれば」が正しいのではないかと思うが、字余りになる。
蜜柑を食べる頃になると、この句を思い出し、1と2のどちらがいいのか、考えるのだが、未だに結論が出ない。「爪たてば」でも十分意味が分かるからだ。
それはそれとして、「命したたる」がいい。それこそこの句の「命」とも言える。
その後しばらくして、Sさんの会社は倒産したらしく、行方不明になった。どうやら、家族を捨ててフィリピンに逃亡したらしい。
いいね、いいね、太陽が沈んでゆくのを、力を抜いて見ている、という。
これから晩飯の支度があるのに、短時間なのだろうがリラックスしている。皆がこうあって欲しいね。
洗濯物をたたんだり、子供たちに食べさせたり、食器の片付けや風呂に入れたり、寝かしつけたり、することは山ほどある。夫の帰りも待たねばならないし、12時前にはとても寝られませんよね。
えーっ、一人住まいで家族がいないって?
忙しいのはとっくに卒業した?
だからのんびりしているんですって?
それでは力の抜けっぱなしで、毎日だらけていやしませんか?
この句、忙しい主婦だからこそ相応しいのです。暇なあなたは駄目!
1300度近くに達すると、穴窯の中を覗いても唯白く輝いて、ほとんど何も見えない。明るすぎるからだ。サングラスなら、陶器たちがかすかに見える。
薪を投げ入れるために蓋を開けると、電灯の回りを飛び回っていた蛾が、すーと中へ入って行った。一瞬の安楽死に違いない。
いつも不思議に思うのだが、「明かるい時はじっとしている夜行性の蛾は、何故明かりに集まるのか?」
明かりと言えば、ロウソクだった江戸以前、多くの虫たちが身を焦がしたことだろう。
「薪の窯飛んで火に入る冬の虫」
「こんにちは」突然入ってきた人に、我が家の犬が吠えかかる。しかし、ひるむどころか、にこにこして「いい犬ですね、可愛いですね」などと誉める。
客ではなく、セールスマンなのだ。セールスのセオリーは、何でもいいからとにかく誉めて、相手を喜ばすことから始めねばならないようだ。
「さあさあ、気を付けねば。これから一体何を売りつけるのか。でもまあ、話だけは聞いてやろう」と思わせたら第一関門突破。セールスマンの思う壺にはまったことになる。
極月とは、12月のこと。
先月の3日間の窯焚きで、約7トンの薪を燃やした。窯焚きには、松・杉・桧などを使う。
それ以外の雑木は、薪ストーブに使う。一ト冬に燃やすストーブの薪は、約5トン。
これからが薪割りの季節だ。寒いくらいがちょうどいい。
最初の10年は、斧で割っていたが、腰を痛めたのがきっかけで、薪割り機を導入し
た。それから20年。今年初めて故障し、オーバーホールした。あと十年は動いて欲しい。
さて、薪の氏素性とは、木の育った場所や木の種類のこと。根に近い部分・幹・枝
の分岐の場所、太さ、堅さなどによって、割り易さが随分と違う。
気持ちよく割れるのもあれば、なかなか割れなくて、ぶん殴りたくなる奴もあるのだ。
粕汁は、歳時記には「味噌汁に酒粕を入れたもの」とあるが、もう少し広義に解釈して、単に「酒粕を入れた汁、又は鍋」で良いだろう。寒い日の粕汁は、とても体が温まる。
さてこの句は、台所に粕汁の煮こぼれ跡があった、と唯それだけのことを言っているが、この煮こぼれ跡には、師走の主婦の慌しさがあり、満腹感と共に何とも言えない空虚さを感じさせる。物事には、必ず表裏があり、陰陽があるが、この句は陽の食事に対して、陰の舞台裏の句と言える。
妻俳句の得意な作者であるとなれば、この句は妻へのいたわり、優しさの句と言っても言い過ぎではないだろう。作者が「ご苦労さん」と呼びかけている、実は愛妻俳句なのだ。そういう風に考えると、この句を流れているそのこころは「陽」なのである。