俳句を始めた頃、誘われてある結社の句会に参加した時の句。
両親の眠っている墓をお参りし、近くに咲いている曼珠沙華を、父母から溢れて咲いている、と断定している表現に、良い句だなあと、感激した。
ところが、最後の講評で主宰が言うには、「墓と曼珠沙華はくっつき過ぎだ」とこの句を認めなかった。「父母から溢れている、という表現にこの句の主眼があるのに」又、「墓よりも田の畦や川の土手の方に曼珠沙華は沢山あるのに、おかしなことを言う人だなあ」と思い、私はたった1回でその句会を止めてしまった。
この句を知ってしまったおかげでその後、草花を見てもすぐこの句が浮かんでしまい、盗作か類句になるから作ることができなくなってしまった。つまり、知らない方が良かったのだ。知らなければ、いつか独自にその発想に気付く可能性があるからだ。
歳時記などは別として、他人の句を読むのもほどほどにしておいた方が良いと思う。
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