しざるは、退ると書く。相手に背を見せないで後退する感じだ。つまり、後ずさりである。これも後退りと書く。
何かがしざって行くのは、はっきりしているのだが、何かは知らないと読者を突き放している。したがってこれは、作者の記憶の中の心象風景ではないか、と思う。しかし、良いことか、悪いことかも分からない。実体があるものかどうかも分からない。人間かもしれないし、情熱というような見えないものかもしれない。つまり、あらゆるものが該当するのだ。
読者とすれば、自分の体験から自由に発想して構わないのだが・・・はてさて。
私の俳句の師匠,多留男先生から沢山の色紙をいただいているが、秋の色紙の中では、この句が一番好きだ。俳句には、石榴の絵が添えられている。先生は91歳になられるが、現在でも矍鑠としておられる。