一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1810   末っ娘は損と水飲む春の暮   まるちゃん

2017年04月03日 | 

 私は末っ子だが「末っ子は損」と思ったことがない。それはたぶん4人兄弟の末っ子で、初めての男だったからだろう。又、戦後の物のない時代の田舎に育ったから、我が家も子供たちの家も平等に貧しかった。だから、貧しいとも何とも思わなかった。

 昔は下の子が、兄姉の着物や教科書などのお下がりを使うことなどは、どこの家も同じで当然のことだったし、全く不満に思わなかった。しかし、私は随分甘やかされて育ったのではないか、とは思っている。

 それにしても、子供の頃の何もない家に、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、電話、自動車などが次第に入って来て、今思えば驚くべきことなのに、当然と思っていた自分が不思議である。

 「末っ子は損」というのは、物の溢れだした経済成長時代が産んだ申し子ではないのか。それは、次第に膨張、増幅しているに違いない。

ハナニラ(花韮)

コメント (2)
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