プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

ロヒンギャ迫害について

2017-09-12 12:03:25 | ミャンマー トリップ

 
 ミャンマーのロヒンギャ迫害問題は日本にいると全く関係ない別世界のことのように思えてしまいがちだけど、実は日本にもミャンマー人は多いし、ロヒンギャの人々もいる。そもそもこの問題は世界の本質の投影でもあり、どこの国の人間だろうと全く関係なくはない。ぼくも去年ミャンマーをカヤックトリップしたこともあって、すごく考えさせられるものがある。
 
 ニュースを見て「スーチーさんは一体何をやっとるんだ? 無能か?」と言ってしまうのも簡単だけど、ミャンマーって超多民族国家で歴史的にもめちゃくちゃ複雑で、まるでバックラッシュした釣り糸みたいに絡み合ってて、それを解きほぐしていくのは実際のところ、相当難しいんだろうなと思う。
 去年ミャンマーに行った時、この国の今後、全く読めないなと思った。「軍事政権が終わって民主化へスムーズに移行中」というような簡単なものではなく、軍人が天下りのように政治家、官僚、役人に転身していて、何をするにも彼らの許認可が必要になる。賄賂も普通で、何か商売するにも高級車などを贈与しないと話が進まないようにできている。潜伏化した感染症のように社会の微に入り細にわたって軍政が染みついていて、旅人であったとしてもふとしたときに、その不気味さに出くわしたりする。
 これを変えていくって、正直、なかなか難しいと思った。スーチーさんも、好むと好まざるとに関わらず軍とうまくやっていきつつ徐々に変えていかなきゃどうしようもないと、誰よりもよく知っているのだろう。
 
 ロヒンギャ迫害問題の根本原因をごくごく簡単に言うとこういうことである。ミャンマーの仏教徒とイスラム教徒は、大昔は共存していた。多少の小競り合いはあっただろうけれど、生きる知恵としてお互いがうまく距離感を取り合って暮らしていた。そのバランスが崩れたのは西欧列強が入ってきて植民地化してからだ。特にイギリス領以後、顕著になった。実はミャンマーだけではなく、イギリスの植民地政策って結構エグく、世界各地で民族紛争を起こす根本原因になっている。例えばスリランカでは土着のシンハラ人の土地を収奪して南インドから大量にタミル人を連れてきて、彼らにその土地と仕事を与え、社会的にも重用した。そうして少数派のタミル人に対する多数派のシンハラ人の憎悪が高まっていった。戦後独立してイギリスが撤退した後、逆に多数派のシンハラ人政府がタミル人を社会から排除しようとし、選挙権も大学への進学権も奪った。それに怒ったタミル人が「タミル・イーラム解放の虎」という反政府軍を結成し、2009年まで内戦を続けた。その内戦では10万人以上の人が殺されている。このロヒンギャ迫害問題も、構造としてはそれに似ている。英領時代、ヤカイン州の仏教徒の土地を取り上げてそこをイスラム系移民にあてがって労働させ、仏教徒の不満が募っていった。加えて第二次大戦にて、仏教徒が日本軍の味方をし、一方イスラム系が英国軍を支持し戦ったことによってその溝がより深まった。その後軍事政権の間は良くも悪くも押さえつけられていた両者の軋轢が、軍事政権という地獄の釜の蓋が開けられたことによって、一気に表面化し、炸裂することとなった。
 
 というわけで、とても難しい問題なのだ。
 言えることは、中東の問題や北朝鮮の問題もそうだけど、世界は未だに植民地~世界大戦の時代の呪縛からはまだまだ全然自由になっていないということ。むしろ植民地~世界大戦の亡霊が活発化し、そいつに憑依されてとんでもない災いが世界中あちこちで立ち上がっているというのが21世紀なのだと思う。日本もそこからは自由ではない。あの3.11の福島原発メルトダウン事件も、結局「核」という20世紀の亡霊による、とばっちりなのだ。

 こいつを一掃しないと、ホモ・サピエンスも、なかなか次の時代に入っていけないだろう。
 
 ミャンマーという国は思っている以上にすごく難しいけれど、でもダライ・ラマも言っているように、スーチーは今この目の前で起こっている虐殺をなんとしてでも止めなきゃいけない。他にそれができる権限を持つ人間はいないのだから。
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