「シーカヤックで再発見 紀州の海」というテーマで毎月一回、毎日新聞で連載させてもらっている記事ですが、今回で5回目となり、11月2日に掲載していただきました。湯浅湾最南端の「白崎海岸」についてのものです。新聞記事ってやっぱり、淡々とした文章が求められて苦手だけど、まあこんなもんでしょう。
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なお、ズームできない方のために元原稿を下に記しておきますので、もしよろしければこちらもご拝読ください。
「特異さ漂う岬 太古の面影、時空越えて」
海の世界は、岬のあちら側とこちら側とで、大きく変わる。
風や波、潮はもちろん、生態系、海水の色彩、航行の安全性や難易度、景色や空気感までもが変わる。シーカヤックの荷室にテント、寝袋、食料を積み込み数日以上の海旅に出る際にも、岬が大きなターニングポイントとなる。ひとつの海域を過ぎ去るちょっとした感傷と安堵感、そして新しい世界に突入する期待と不安とが心の中で交錯する、旅情がひときわ掻き立てられる特別な場所なのだ。
中でも湯浅湾南端の「白崎海岸」は、岬の持つ特異感が際立っている。湾内から外海へ、いざ漕ぎ出でようと気持ちを引き締め直し、紀伊水道の向こうに霞んで見える対岸の四国や淡路島の方角に目を向ける。凪ならば徳島まで6時間、淡路島まで5時間で行ける距離だ。船首を動かし、コンパスが南西を指し示すと、複雑に入り組んだ南徳島の海岸線が脳裏に描き出される。北西方向に向くと、鳴門の渦潮やさらに彼方に展開される瀬戸内海の島々の形が心に浮かび上がってくる。
少し角度を変えただけで想い描かれる世界が大きく変わる。シーカヤックで使用する「デッキコンパス」は想像力を喚起する道具なのだ。
そしてコンパスが南を指すと、黒潮の世界である。紀伊半島では岬一つ南に向かうごとに、グラデーションのように黒潮の影響が濃くなる。美浜町の日ノ御碕、印南町の切目崎、白浜町の市江崎が大きな境目となる岬であるが、ここ白崎はその起点だ。そして最南端の潮岬まで来ると黒潮はダイレクトにぶち当たり、亜熱帯の海になる。ぼくは熱帯の海より、まるで絶妙な絵筆のタッチのように南国風情の濃淡が感じられる紀伊半島の海が好きだ。そしてそれを肌身でリアルに捉えられるシーカヤックは素晴らしい乗り物だと思う。
白崎の岬としての特異性は、航海の起点という意味だけではなく、空と海の青をよりシャープに引き立て異彩を放つ、珍しい白亜の石灰岩が担っていることはもちろん言うまでもない。2億5千年前に赤道付近にあったものがプレート移動によって今ここにあるという不思議。その地球のダイナミズムは、リゾート化された陸からよりも、人工物が目に入らない海からの視点の方が、より心に響く。シーカヤック特有の、水面すれすれの目線でそばに近づくと、まるで時空を越えてやってきた太古の巨大生物のような存在に思えてくるのだ。