先日の福井高浜ツアーは前線接近による荒天が心配されましたが、
意外と穏やかなコンディションとなり、楽しむことができました。
四国から紀伊半島南岸にかけて前線が掛かり
そちら方面では大雨強風に見舞われたようですが、
近畿北部には掛かっておらず、
ちょうど前線から逃げてきた格好になったわけです。
この海岸線も洞窟海岸、白砂&松林海岸、神々しい断崖絶壁海岸と、
見どころの多いよいフィールドなのですが、
右に行くと大飯原発や美浜原発や敦賀原発、左に行くと高浜原発というふうに、
右を見ても左を見ても原発だらけで、
やはり非常に複雑な気持ちになりました。
そして今回、大飯原発再開が決定したというタイミングでのツーリング。
一番上の写真は高浜原発そばの音海の断崖で、
そのスレスレを漕ぐと、
人間の領域を遥かに越えた圧倒感に神秘性を覚えます。
二番目の写真はそのそばにある高浜原発を海上から眺めたものです。
原発をこんなに間近に見ると、
その底しれぬ不気味さというか超越感に、
また別の意味での神秘性のようなものを覚えます。
そして自分の中で両者のフィーリングがクロスしそうになり、
それに必死に抗おうとする意識が芽生えます。
「自然のフィーリングに敏感な、
シーカヤッカーとしてのおれの詩的な感性が、
こんな妖怪じみたものにレイプされてたまるか」
という意識です。
感覚の鋭いシーカヤッカーはみんなそうなるんじゃないかな。
よくよく考えるとこの岬には縄文時代の遺跡があり、
岬の圧倒的な迫力、スケールに神々しいものを見た古代人は
神を祭っていましたが、
そこに原発を建てるというのは非常に象徴的なことだなと思えてきます。
聖地的場所において・・・、
①自然を尊ぶ縄文人は神をまつり、
②便利文明を尊ぶ現代人は原発をまつる・・・。
誰か優れた深層心理学者の考察を聞いてみたくなる、
興味深い事象だと思います。
また和歌山から福井までダーっと走ってきてまず気付くことは
建物の豪華さ、きれいさですが、
これも原発誘致による豊かさだと考えると、
複雑な気持ちになります。
和歌山の原発候補地は、
全て反対され白紙撤回されたことによって、
この福井に関電の原発が集中することになったわけですが、
そう考えると、
魂を売って裕福さを享受するより、
ビンボーのままを選んだ和歌山の
ダサさも捨てたもんじゃないなと思えてきます。
今回の高浜ツアーでは大飯原発の再稼働のニュースと重なる時期の催行ゆえに、
楽しく過ごしつつも、
色んなことを考えさせられました。
また同じタイミングでオウム真理教の高橋容疑者が逮捕されましたが、
ぼくはオウムのサリン事件よりも原発事故や再稼働の方が遥かに罪深いと思っています。