(タイ南部カヤックトリップの続き記事です)。
スリン島には海の民、モーケン人の集落があります。
もともと彼らは何百年にも渡って定住せず、
カバンという家船に乗り、船の上で生活する人たちでした。
ミャンマー、タイ、マレーシア、インドネシアに至る海域を
国境を越えて移動し、その時々に貝やナマコ、魚などを採集して
つつましやかに暮らしていました。
ミャンマーのモーケン人は未だそのようなシージプシー的な暮らしをしていますが、
タイ側の彼らはタイ政府によって半ば強制的な定住政策を施され、
南スリン島で暮らしています。
ぼくは北スリン、南スリンとカヤックでくまなく漕ぎまわった後、
彼らの集落を訪れました。
気の優しい人たちで、一人の青年の家に招かれ、コーヒーをごちそうになりました。
定住するようになった彼らが幸福なのか不幸なのか、
もちろんぼくにはそんなこと詮索したり言ったりする権利はありません。
ただ、海上を小舟で移動する生活について、色々想像したりしました。
先日の記事でも書きましたが、ここ10年ほど自分がカヤックに携わってきたことについて、色々まとめる作業をしていまして、スリン島でも10年前にシーカヤック日本一周した時の日記なども読み返していました。
当時、ちょうど毎日毎日海に出てカヤックを漕ぎ、夜は海岸際でテントを張って寝るという生活をしていました。はじめは大変でしたが、だんだんそっちの方の生活に慣れてくると今度は逆に、家の中で寝るのが妙な感じで落ち着かない、というリズムに変わっていきました。テントならば薄皮一枚で外の風や海の状況がすぐに分かります。自分が一連の気象の流れの中にいることを皮膚感覚でとらえながら過ごすことができます。ところが家の中っていうのは空気が止まっているでしょう?
それがすごく気持ち悪く感じるのでした。
というのも、海生活してると、どっちから風が吹いてきてそれがどのように変化するか、
波に変わった兆候が表れていないか、そいつを常に把握していないと不安になるんですよね。
海は荒れたら危ないわけだから、未然に変化の兆候を察知しなきゃいけない。
というと何やら苦行のように思えるかもしれませんがそうではなく、
そっちの方が大いなる世界に属している感じがして、気持ちよかったのです。
だからむしろ喜んでテント暮らしをしていました。
実は今でもそんな傾向はありまして、
風がどっから吹いてるかというのを基本的に把握しながら日々を送っています。
(シーカヤックのガイディングの基本でもありますね)。
都会でそれを感じないで日々を過ごしたとすると、
自分が本当に意味のない歯車以下になった気がして、
気持ち悪くなってくるところがあります。
で、きっと彼らもそういうところ、あるんじゃないかなあと思います。
だって、ぼくよりも遥かに長時間海にいるわけですから。
しかもメディアの天気予報なんてないわけだから。
また元来、あまりモノを持たない人たちですが、
それも、偉大なる海に抱かれて生きていると実感していると
それだけで満ち足りてしまって、あまり余計なものは
いらなくなるんじゃないかという気がしました。
それも幸福なのか不幸なのかこちらが取りざたする権利はないですが、
2004年のスマトラ島沖地震の際に津波が襲ったとき、
海の兆候の変化にいち早く気づいた彼らは先に高台に上がり、
ほとんど被害がなかったと言われています。
要するに海のリズムとどっぷりで生きていたから、
察知できたわけですね。
もし中途半端な海との付き合いだったならば、
一族もろともやられちゃってたかもしれません。
彼らは今でも基本的に漁をしていますし、また、
海岸線のキワキワに家を建てています。
完全に海から離れるというのはなかなかできないだろうと思います。
子供たちが大人になる頃、どんな状況になるのでしょうか。
海岸線スレスレのモーケン人の集落
村の女性たちは賭けごとに夢中でした。実際に現金を賭け、みんな必死な顔していました。
男たちはのんびりしていました。言葉がなかなか通じないのでコミュニケーションは難しかったけれど、言葉がなくとも、同じアジア人特有というかモンゴロイド特有というのか、なんかこう空気が重々しくならない感じがありましたね。
彼は子供のころから海で泳ぐことが最大の遊びなので、小さいころから潜るのが上手い。大人になると素潜りの達人になる。