石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県 奈良市高畑福井町 新薬師寺地蔵十王石仏

2011-06-17 23:51:12 | 奈良県

奈良県 奈良市高畑福井町 新薬師寺地蔵十王石仏

新薬師寺(華厳宗別格本山)は著名な天平寺院であり今更説明の必要はないと思うが、ここには見るべき石造物が多いことを知る拝観者は少ないだろう。01山門を入ってすぐ左側の塀沿いにある吹さらしの覆屋に居並ぶ石仏群に注目して欲しい。天平仏の面影を伝える尊格不詳の如来立像、舟形光背を負った典型的な室町時代の地蔵菩薩立像が2体、鎌倉末期の作風を示す丸彫りに近い厚肉彫りの阿弥陀如来立像は作風が尼ヶ辻の阿弥陀像にそっくりでこれを模したものかもしれない。01_2このほか室町末期の大きい六字名号碑が2基ある。錚々たる石造美術が居並ぶ中で一際小さいのが今回紹介する地蔵十王石仏である。下端が地面に埋め込まれているが高さは約1m、縦長の丸い光背面を平らに整形し、中央に地蔵菩薩立像を厚肉彫りしている。通常の地蔵像では右手に錫杖を持つことが多いが、胸の辺りに差し上げており、一見すれば施無畏印とも見えるが、よく見ると親指と人差指で輪を作った来迎印である。02左手は大きめの宝珠を胸元に捧げ持つ。この印相はアジサイで著名な大和郡山市の矢田寺(金剛山寺)本尊と同じで、矢田()型の地蔵と呼ばれる。石造でも時々見かけるスタイルで古い地蔵石仏に多い。体部は全体に厚みのある板彫り風に仕上げ、印相部や衣文はやや平板ながら丁重に刻まれる。03_2面相はほとんど摩滅し鼻筋部分だけが残る。やや頭が大きいが撫肩で肘の張った体側線は東山内に見られる鎌倉時代の地蔵石仏の雰囲気を伝える。光背面左右に五体づつ中国風の衣冠姿の立像を平板陽刻風に薄肉彫で表現している。足元に一対、肘の辺りに二対、肩の辺りに二対で計十体、いうまでもなく閻魔王や泰山府君(太山王)などの冥府十王である。さらに地蔵の頭部の左右と頭頂部を取り巻くように蛇行する突帯陽刻があってその突帯の上部にも小さい像容が陽刻されている。向かって左端は馬で、頭頂部をめぐるように4人の人物が右に向かって歩いているように見える。右端は何か判断できないが炎に包まれる釜だという。02_2これらは地獄で獄卒に呵責される人畜を表すものとされる。蛇行する陽刻突帯は三途の川かもしれない。あるいは左の馬を畜生、右の釜らしいのを地獄とし、中央の4人の人物風に見えるのを天、人、餓鬼、阿修羅とみて六道を表すとの説もある。Photo十王を脇侍に配する地蔵石仏は白毫寺、大和郡山城から発見されたものなど大和にはいくつか例があるが、地獄ないし六道の様子を刻むのは独創的で、中世の地蔵信仰のあり方を端的に示すとともに当時の死生観をも凝縮して表現する点でその価値は高い。無銘で造立時期は不詳だが、鎌倉時代後期とされる。平板な衣文表現ややや頭の大きいプロポーションを考慮するとあるいはもう少し新しいかもしれない。

このほか本堂正面にある石灯籠、お寺や神社で見る石灯籠は左右一対になっていることが多いが、対にするのは概ね中世末頃以降になって普及したスタイルで、古い石灯籠は堂宇や社殿の真正面に一基あるのが基本。新薬師寺の石灯籠は古い位置を保っている。ただし竿以上は後補と考えられ、古いのは基礎だけで鎌倉時代中期のものとされている。さらに地蔵堂の裏手には箱仏、双仏石の類がたくさんあり、中に作風優れたものも少なくない。地蔵堂横の凝灰岩の層塔(伝・実忠和尚供養塔)は後補部材が多いが平安後期のものと思われる。また、本堂裏の毘沙門天の石仏町石、長谷寺型観音石仏も見落とせない。

 

参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』

   川勝政太郎『石の奈良』

   太田古朴『大和の石仏鑑賞』

   清水俊明『奈良県史』第7巻石造美術

 

写真右上:居並ぶ石仏達、阿弥陀像の量感溢れる体躯、衣文表現は特筆に値します。光背上部の色が違うのは近くの川から上の部分が偶然発見され、ぴったりくっついたとのこと。

左下:奈良時代末の造立とされる如来像、優美なプロポーション、儀軌に基づかない特異な印相や裳裾の窄まり具合など芳山石仏によく似ていると言われてます。右下:自然石の名号碑は永禄11年の紀年銘があり念仏講一結衆敬白と刻まれています。蓮華座の蓮弁の出来はこの時期のものとは思えない優秀なものです。

 

中国の偽経などを元に鎌倉時代初め頃、日本で成立した偽経とされる所謂「地蔵十王経」が伝える恐ろしい地獄の様子、六道輪廻する衆生を救う地蔵菩薩への信仰がこうした地蔵十王石仏の背景になっていると思われます。地獄や六道と地蔵を結びつけた信仰は中世以来今日に至るまで宗派を越えた拡がりと根強さを見せています。地蔵菩薩は最も救われない境遇の者に身を挺して救いの手を差し伸べると言われています。辛く苦しい境遇と同じ目線にまで降りて来て身代わりになってくれる、つまり他の仏様よりも上から目線的でないというのが地蔵さんだと言えるのかなぁ…。無数に残る地蔵石仏には救いを求める祖先達の祈りや思いがこもっていることを忘れてはいけないと思います。この覆屋に居並ぶ石仏群は近年まで地蔵堂(現観音堂)内にあったもので、元はお寺の周辺から集められたものと言われています。赤い前掛けを着け金網フェンスで保護されていたため、詳しく観察することができませんでしたが、最近訪ねたところフェンスは取り除かれ、前掛けも無くなって観察し易くなったのは喜ばしい限りです。もっとも、祖先の信仰や思いを伝える貴重な遺産であることに鑑み、むやみに触ったり擦ったりするのは控えましょう。ちなみにこの地蔵堂(現観音堂)は方一間の小さいお堂ですが鎌倉時代の建物で"蟇股"の素晴らしさにご注目ください。


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