滋賀県 高島市安曇川町常盤木 三重生神社宝塔
常盤木三重生神社社殿背後の玉垣に沿いに立派な石造宝塔がある。土手状にわずかに高くなった場所に直接地面に立つ。白っぽい花崗岩製。表面のざらついた感じは風化によるものだが、湖西から湖北に割合多くみられるきめの粗いこの石材の特徴である。相輪の上半を欠損し現高約215cm、基礎は西側から南側にかけては1/3程埋まっているが幅約83~85cm、下端がやや不整形で高さは約39~43cmと非常に低く安定感がある。側面は四面とも輪郭を巻き、整った格狭間が輪郭内に大きく配される。輪郭は束部の幅約10cm、葛部の幅約6cm、地福部の幅は下端が不整形なためはっきりしない。輪郭、格狭間ともに彫りはあまり深くない。格狭間内は平坦に仕上げ装飾文様は見られない。塔身は高さ約69cmで首部と軸部からなる。軸部はやや下がすぼまった円筒形で、正面に幅約3cmの平らな突帯により高さ約46cm、上端幅約37cmの鳥居型を大きく表している。鳥居型といっても上部は鳥居型だが下部に敷居部があり、中央には召し合わせの線があって扉型との折衷意匠である。首部は高さ約16cm、基底部径約38.5cm、上端径約36cmで風化が激しいが素面ではなく匂欄の表現と思しき凹凸が見られる。笠と塔身首部の間には斗拱部を別石で挟みこんでいる。幅約51cm、高さ約13.5cmで繰形座を天地逆にしたような形状だが下端に高さ約1.5cmの首部受座を円形に削りだしている。笠は軒幅約76~78cm、軒口の厚さ中央で約9cm、隅で約12cm余とあまり厚みを感じさせないが隅近くで力強く反る。四注には隅降棟が見られるが断面の形状は風化で判然としない。適度な屋だるみが軒先に伸びやかさを与えている。 隅降棟の突帯は笠頂部で連結しているが、笠の頂部には露盤は見られず、相輪の最下部に露盤を設けている。例がないわけではないが珍しいつくりである。露盤の幅約25cm、その上に伏鉢と下請花と続き九輪の5輪目までが残る。 請花は風化が激しく単弁・複弁の判別ができない。露盤を含む相輪の残存高は約51cm。なお、すぐ東側に相輪の先端と思しきものが残っている。6輪目以上で、サイズ、石材の質感とも合致している。相輪の先端と見てまず間違いない。高さ約39cm、上請花と宝珠が一体化して見えるが、これは元々くびれが少なく宝珠の重心が低いものであったものが風化のせいでこうなったのであろう。これをあわせると総高は250cmを超える。細かい相違点はあるが低い基礎、縁板の框座を持たない塔身、高い首部、伸びやかな笠の軒先、全体のフォルムの印象、きめの粗い白い花崗岩を使っている点は三尾里の満願寺跡鶴塚塔や近くのコウセイ寺跡塔に共通する作風で、守山市木浜町福林寺の双塔にも通じる構造形式と意匠と思う。造立時期について、佐野知三郎氏は「鎌倉時代も盛期を過ぎたおだやかな姿で、末期の造立であろう」とされている。小生としては、共通する作風を感じている満願寺跡塔が鎌倉中期、福林寺塔は鎌倉中期末から後期初頭に位置づけられていることから、やはり三重生神社塔も従来言われてきたよりもやや古いものと考えたい。鎌倉中期終わりないし後期でも中期に近い時期、概ね13世紀後半頃の造立と推定するがいかがであろうか。
なお、北に数メートル離れて塔身と相輪を失った宝篋印塔の残欠が残っている。基礎幅約68cm、笠軒幅約64cmで、基礎は輪郭を巻いて格狭間を配し、折損しているが大きい隅飾とかなり分厚い軒、笠上各段の低い特徴的な形状で、鎌倉後期でも古い頃ものと思われ、規模もけっして小さくない。
写真右上:別石の斗拱部、写真左下:傍らにある相輪の先端部、写真右下:宝篋印塔の残欠
参考:佐野知三郎「近江石塔の新資料」(五)『史迹と美術』425号
例によって法量値はコンベクスによる実地略測値ですので、多少の誤差はお許しください。湖西は宝塔の宝庫ですが、よく見ていくとフォルムやデザイン、石材などにさまざまな個性があり、似ているもの似ていないものいろいろあって見飽きません。この三重生神社の宝塔も実にスッキリして美しく、特にお気に入りのひとつです。ちなみに市指定文化財です、ハイ。それにしても、湖西では神社の本殿背後に宝塔があるパターンが多い気がします。