石造美術紀行

石造美術の探訪記

石造美術の難しいところ

2007-02-18 10:31:20 | 石造美術について

石造美術の難しいところ

石造物は、身近であるがゆえに状況や環境が変わりやすいものである。これが石造美術研究の難しさのひとつとされる。正しい理解を進める上で混乱を招き、時には保護保存を考える妨げになる。

①さまざまな残欠が適当な部材と組み合わされ寄せ集めになる。②地震などで倒壊し組み直す際に寄せ集めになる。③バラバラになっていたものが復元され本来の形に戻る。④場所が移動する。⑤廃棄される。⑥盗難にあう。などなどが考えられる。偶然か作意か、また善意か悪意かは問わない。状況や環境の変化が多少あろうとも、後世に正しく伝えられていけばそれでいいわけだが、破壊、散逸、誤解を招くような改変は避けなければならないことは当然である。残欠や希少価値の少ないもの、時代が下るものといえども歴史的、文化史的な資料であり、地域における生涯学習や観光の資源たる、「文化“財”」なのである。こうした価値認識が地域で、もっといえば所有者や管理者、住職や檀家、自治会有力者、行政などを含んで正しく理解され、引き継がれていくべきなのだが、数十年や百年の単位でそれを期待していくことは不可能に近い。結局のところ、文化財保護を担う自治体など公的機関の責任において悉皆調査し記録保存し、定期観測していくしかないと考える。そのために公的機関がすべて人やお金を出すということではない。専門家や研究者と連携し地域やボランティアの力などを活用していけば、公的な「持ち出し」を最小限に押さえることも不可能ではないと思う。そして、価値認識を普及させるために、大衆向けに説得力のあるものとして、美術的に優れた石造物の構造形式や時代変遷を明らかにし、背景にある祖先の信仰や思想、生活と伝統などにも思いをいたすことができるように総合的に研究するのである。そしてそうした優品をいわば「広告塔」として石造物全般に価値認識を広く普及させていく、つまり美術的に優れた石造物を研究する目的は、実は残欠や美術的には劣るとされているような石造物の価値を再発見させることにあると思う。川勝博士がそうした考えに基づいておられたことは「石造美術入門」など普及を目的にした著作の前文などを読めば理解できると思う。石造美術研究は価値観を優品だけに特化集約し優品以外は省みないことではない。それでは創始者川勝博士の趣旨を見失った木をみて森をみない姿勢だと思う。


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