石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 大津市大石富川町 富川磨崖仏(その1)

2010-11-07 01:47:33 | 滋賀県

滋賀県 大津市大石富川町 富川磨崖仏(その1)

琵琶湖唯一のアウトレットである瀬田川が南下し大石で西向きに流れを変える。その手前に架かる鹿跳橋を渡り国道422号を信楽川に沿って遡ること3km余り、標高432.9mの笹間ヶ岳の南約1km、大石富川町の西端で渓流が大きく北向きに流れを変える所、案内看板に従って川側に下り、すぐに架かっている岩屋不動橋を北岸に渡る。03_2漁協の建物のある広場を経て山道を10分ほど登っていくと高さ25mはあろうかと思われる花崗岩の巨岩が露呈する場所に着く。01巨岩は南面して垂直に切り立った壁面となり、総高6.3m余の阿弥陀如来坐像を中心に観音、勢至両菩薩の立像、西側に少し離れて不動明王の立像が刻まれている。この磨崖仏は古く戦前に佐々木利三氏や川勝政太郎博士が紹介され広く知られるようになったものである。ここに岩屋山明王寺という寺院があったと伝えられている。詳細は不明だが現地には不自然なテラス面がところどころにあって寺院跡というのも首肯できる。02中央の阿弥陀如来像の像高は目測でおよそ4m、頭光円を浅く彫り沈め、さらに仏身のアウトラインを約15~20cmの幅で外から内に向かうに従って深くなるように彫り沈めて像を浮き立たせ、像容本体が平板陽刻の板彫風にする特異な手法をとっている。像の向かって右側壁面は像容面より少し高くなって段差があり、段差面にも鑿痕が認められることから、像容面が平らになるよう下処理されていると考えられる。06平板ながら折り重なる衣文の襞が下向きに急角度に鎬立てるように段を設けているので影が下側にでき見上げる者にとって視認しやすく配慮されているようである。螺髪は表現されず、側頭部が張って肉髻が大きい。髪際線が真っすぐでなく中央を低くした曲線を描くのは宋風の影響を受けた鎌倉時代以降の特長とされる。眉間の穴は白毫であるいは玉石が嵌め込まれいたかもしれない。つりあがった切れ長の両眼とあぐらをかいた大きい鼻も平板陽刻で、下唇が薄く、窄ませているかのようにも見える口は小さい。04よく見ると口元と顎には髭がある。お世辞にも眉目秀麗とは言い難い面貌であるが、その表情に独特の厳しさを漂わせている。左眼(向かって右側の眼)中央には瞳状のくぼみがあるが右眼(向かって左側)には同様のものは確認できないのでウインクをしているようかのようである。05しかしよく見ると右眼にも下瞼に接して瞳のような浅い彫り沈めらしいものがある。恐らく左眼の瞳と見えるのは自然にできた欠けであって本来の形をよく残しているのは右眼と考えるべきかもしれない。首はやや細く三道が鮮やかで、撫肩だが肘が張って身幅は広い。定印を結ぶ手先も巧みに表現され、結跏趺坐する体躯は全体に破綻なくよくまとまっている。像下には線刻と平板な薄肉彫りを組み合わせ雄大な単弁蓮華座を描く。各蓮弁の曲線は柔らかくふくよかで写実性を兼ね備え優れた表現といえる。さらに蓮華座の下には、幅約135cm、高さ約39cmの横長な長方形の彫り沈めを2つ並べ、それぞれ内に格狭間を配してあたかも二区輪郭の須弥壇側面のようにしている。07長方形区画は外側にだけ幅10cm弱の一段を設けている。横長の長方形区画に制約されるために格狭間は自ずと低平にせざるを得ないが花頭中央をあまり広くとらず外側の弧をやや大きくしている。肩は下がらず側線にも概ね硬さはないが下半が若干たわんだようになり、脚間は広くとっている。向かって左の頭上から肩口を通り膝下中央に向かって大きいクラックがあり右耳付近からは水が滲み出て石肌が変色している。このためか俗に「耳垂れ不動」とか「耳不動」などと呼ばれ、耳の病に効験があるとされる。09この磨崖仏の前の錐を持ち帰り自分の耳を突くまねをすると効験があるといわれている。そしてお礼参りの際に新しい錐を納めるのだそうである。中尊の前には小祠があり香華が絶えない様子で周囲も掃き清められている。ただ、この小祠は最近新調設置されたようで、それに隠れて中尊の蓮華座以下を正面から見ることができなくなったのは残念である。もっとも中尊は阿弥陀如来で不動明王ではない。両脇侍は通常の薄肉彫りで蓮華座と頭光は線刻である。また、像容面を平らにする下地処理は基本的に行なわず、壁面の凹凸にはおかまいなしに彫り込んでいる点は中尊と異なる。いずれも踏み割りの蓮華座に立ち、顔と体を少し中尊の方に向け、外側の手を胸の辺りに差し上げて蓮華を執り、内側の手は下に垂らして掌を見せている。大きさや手足の位置、持物印相などほとんど左右対称に作られ配されているが、向かって右の観音菩薩は宝冠上に化仏、左の勢至菩薩は水瓶を飾っている。観音菩薩が蓮台を捧げ、勢至菩薩は合掌する形が多い阿弥陀三尊であるが、ここの脇侍はそれと異なる。ただ、こうした形も古い事例に見受けられるとのことである。像高は中尊とほぼ同じくらいなので4m近くあると思われる。宝冠、瓔珞などの細部に抜かりはなく足指の爪まできちんと表現されている。また、衣文にも形式化したようなところは見受けられない。体躯は雄偉でバランスもよく、むしろ小さい頭に比して下半身がやや大きいように感じられる。特に観音菩薩の表情には見るべきものがある。(つづく)

 

 

写真右上から2番目:中尊の蓮華座と格狭間です、格狭間ははっきり言っていまひとつかなぁ…逆に蓮華座は抜群です、写真右上から3番目:踏み割り蓮華座に立つ観音菩薩、写真左上から3番目:観音菩薩のお顔がいいです、写真左一番下:勢至菩薩はちょっと表情が硬い。写真右一番下:口元と顎に注目、S字状に薄い帯状のものがあります。西陽の斜光線で判明、おひげがあったんですね。どことなくお顔に宋風の趣きがあるように感じます。

 

 これもいまさら小生がとやかくいうようなものではない著名な石造美術ですが、前に磨崖仏の話が出たついでにご登場いただくことにしました。笠置寺や大野寺のように流麗典雅なものではありませんが、ゴツゴツした岩肌によくマッチする磨崖仏ならではの味わいがあります。静かな山間にある割りに車なら交通の便がよくお薦めできる一級ポイントです。続編にも請うご期待。参考図書類は続編でまとめて掲載します。なお、法量について一説に中尊1丈2尺(約3.6m)、両脇侍1丈3尺(約3.9m)とあるそうです。もっと大きく見えますが…ともかく像自体が高い位置にあるのでコンベクスで測るのは到底ムリです。梯子が要りますね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。