石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 高島市マキノ町上開田 称念寺(薬師堂)宝塔

2008-09-15 00:24:28 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 高島市マキノ町上開田 称念寺(薬師堂)宝塔

旧マキノ町上開田集落の東端、民家から少し上がった山裾に、称念寺(浄土宗)に属する薬師堂と阿弥陀堂が東西に並んでいる。21現地案内看板によると、元ここは西明寺という天台寺院で、廃絶後、称念寺に属する飛び地境内になったらしいが、昔から地元の人たちにより手厚く保護管理されているとのこと。06手入れがいきとどき明るく静寂な雰囲気に好感が持てる。参道入口、小川を挟んで反対側に小宇のあるのが称念寺のようだが現在無住の様子である。薬師堂に祀られる一木彫7尺余の薬師如来立像は像内に延久6年(1074年)8月25日の墨書銘があり、近江における11世紀後半の基準作としての重要性に鑑み、国の重要文化財に指定されている。ちなみに荘園整理令で知られるこの延久という年号は、6年の8月23日に承保元年に改元されている。したがって厳密には延久6年8月25日という年月日は存在しない。わずか2日の違いなので改元の情報が届いていなかったのであろう。また、阿弥陀堂の丈六阿弥陀如来坐像も平安末期のもので県指定文化財との由である。付近に比定される開田庄は、天元元年(978年)には既に存在しており、建長8年(1256年)、同5年に焼失した延暦寺実相院の造営料所となったとのこと。この実相院は薬師如来を本尊とし、当地との結びつきに何らかの薬師信仰が介在した可能性を指摘する説もある。参道の西側、杉の巨木の根元に立派な石造宝塔が立っている。14宝塔の東側には自然石を組んだ小祭壇が設けてあり、地元の方によると思しき香華が絶えない。相輪先端を亡失しているが現在高約260cmあり、元は10尺に及ぶ巨塔である。石材はやや褐色がかった花崗岩で、表面観察による印象の域を出るものではないが安曇川の三重生神社塔などに見る白っぽいきめの粗いものとは異なる。原位置を保っているかどうかは不明だが、基礎を直接地面に据えている。基礎側面は四面とも壇上積式の輪郭を巻き、羽目いっぱいに大きい格狭間を配する。格狭間内は比較的平坦に調整され素面で近江式装飾文様は確認できない。花頭中央の幅が広く伸びやかで、古調を示す。基礎幅約92cm、基礎下端が不整形で基礎高は一定ではないが約60cm前後。左右の束部の幅約12cm、葛部の幅約10cm。輪郭、格狭間の彫りはさほど深くない。04 塔身は首部と軸部を一石彫成し、高さ約71cm、軸部の径は下端で約62cm、肩のやや下で約63cmとほんの少し裾がすぼまるもののほぼ円筒形。表面は素面で縁板の円盤框座も見られず、首部は基底部径約42.5cm、高さ約10cm、基底から4cm余の高さのところに段があって、下段は匂欄を表現しているものと思われる。笠は軒幅約87cm、高さ約60cm、笠裏に2段の段形を設けて垂木型を表し、さらに径約49cm、高さ約2cmの円形の受座を最下面に削りだして首部を受けている。これはあまり例の多くない手法である。軒口は中央で厚さ約14cmと厚く、隅に向かって厚みを増しながら力強く反転する。頂部には基底幅約35cm、高さ約4.5cmの露盤を刻みだしている。四注には隅降棟を断面凸状の突帯で表現し、露盤下で左右の隅降棟の突帯が連結する通例を踏襲する。屋だるみはあまり顕著ではなく、照りむくりは認められない。相輪は総じて大きめで、九輪の8輪目までが残り、残存高約71cm。伏鉢の側線はやや直線的で硬い。下請花は複弁で九輪の凹凸はハッキリしている。10尺塔というと近江でも屈指の巨塔に数えられる。この規模の大きさに加え、全体に受ける豪放感とでもいうべき生き生きとした力強さ、しかも重厚でどっしりした印象があり、逆に繊細さや脆弱さは少しも感じさせない。無銘ながら笠の軒反や厚み、屋根の勾配、段形の彫りの鋭さ、格狭間の形状などを見ても石造美術が盛期を迎える鎌倉後期の作風が看取され、14世紀初め頃の造立と見て大過ないと考える。相輪の欠損が惜しまれるが湖西から湖北にかけて数多く分布する石造宝塔の中でも屈指の優品である。このほか薬師堂周辺には層塔の笠数枚が無造作に集積され、石仏、小形五輪塔の残欠などが若干見られる。

参考:川勝政太郎『近江歴史と文化』69ページ

   平凡社『滋賀県の地名』日本歴史地名体系25 1068ページ

   滋賀県教育委員会編『滋賀県石造建造物調査報告書』 188ページ

(なお、『滋賀県石造建造物調査報告書』に基礎幅72cmとあるのは明らかに誤りで92cmが正しく7と9の錯誤と思われます。平成5年3月に発行された同書は、小生も近江の石造美術を訪ねるにあたりその恩恵に浴することひとかたならぬものがありますが、平成2~4年度にかけて866万円の事業費をかけ調査記録され、滋賀県下の石造建造物を悉皆的に網羅した労作です。取組として高く評価されるものですが、石燈籠や石仏は対象外で、報告書には紀年銘があろうとも残欠はまったく含まず、概ね主要部位が揃った優品に限っている点は惜しまれます。また個々の記述内容にばらつきがあり、この種の錯誤・誤植が結構多いので注意を要します。ま、錯誤や誤植が多いのは当サイトも同じ、よそのことは言えないですね

※ 写真左下:笠裏の丸い首部受座の様子、右下:相輪下請花が複弁なのがおわかりでしょうか。法量数値は例によってコンベクスによる実地略計測によるものですので、若干の誤差はご容赦ください。知る人ぞ知る(ほとんどの人が知らないともいう…ウーン、とにかく)素晴らしい宝塔、一見の価値ありです、ハイ。


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