京都の伏見と言えば、京都市の南の端っこ。京都市内の人から見れば、伏見から南は田舎っぺ。昔からの交通機関は京阪電車(京都-大阪)と近鉄(京都-奈良)。その両方の路線の交差しているのが丹波橋駅で、もう一駅南に伏見桃山駅(京阪)と桃山御陵前(近鉄)があり、ここは、昔から大手筋と納屋町と呼ばれる広域の中心的商店街として栄えていた。
私は、この大手筋に小さい頃から縁があった。地元商店街になかったときには、この伏見の大手筋へ行く。しかし、デパートとかは無いために、何となく田舎臭くいいものが無い。しかたなく次の段階では、京都市内へ足を延ばすのである。たいがいは、このパターンだった。
京阪電車で通学するようになってからは、急行が停まらないためもあってか、伏見はただ車窓から眺めるだけで、ますます縁遠くなっていた。そのころは制服姿で、もっぱら四条河原町周辺をウロウロしていた。
だが子どもが小さい頃の10年間程、この伏見のニュータウンに住んでいた。生活圏がまた大手筋や納屋町になった。その頃の友人のグループが、楓会(昨年、穂高に登ったメンバー)といい、未だに続いている。今年はそれぞれ事情があり、夏山に一緒に行けなかったので、食事でもしようではないかということになり、この伏見桃山駅に集合した。
久しぶりのこの界隈は懐かしい。昔の面影を探しながらキョロキョロしていると、全体にはとても綺麗になり、以前にも増して活気があるように感じた。最近は地方の商店街が寂れる一方なのに、優秀だなぁと思った。
昼食後、懐かしくてもう少し歩いてみた。御香宮神社に行き、月桂冠が移転して昔の本社が夢百衆という喫茶店になってるというので、そこでお茶でも飲もうかということになり行ってみた。歩きながら、ほんとうに道路も整備されていて綺麗になったと感じた。
その月桂冠の以前の本社はそのままの建物で、夢百衆というレトロな感じの喫茶店と伏見の清酒を置いた土産物店になっていた。喫茶店に入ると着物にエプロン姿のお嬢さんがウェイトレスで、タイムマシンで大正時代に行ったようだった。私の注文したパフェも、あんこと白玉、抹茶アイスなどで盛りつけられ、ウエハスの代わりに八つ橋が添えられていたのは京都らしい。これは、パフェというよりは善哉アイスが相応しいのでは…。日本酒も飲ませるようで、ホットケーキやアイスなどに日本酒の入ったメニューもあった。
出るときに、ずらりと並んだ伏見の清酒の中に、昔夫が愛飲していた銘柄の「振り袖」を見つけた。「いい奥さんしてるやん!」と友人に冷やかされながらも、懐かしくてお土産に純米吟醸を買う。もう20年以上前だが、ここの純米酒は美味しくて安いと、お気に入りだった。
そこから、運河沿いを宇治川に通じる水門まで歩いて来た(三栖閘門資料館HP)。運河沿いも綺麗になり、水もきれいで観光用の十石舟や三十石舟が浮かんでいる様子は、柳と酒蔵とよく調和し美しく風情がある。この舟は、千円で乗れるらしい。
そしてずっと昔、車窓からいつも眺めていた水門にも歴史があるのを改めて知った。寂れていると思っていた伏見が、観光の町としてよみがえってるのを見てとても嬉しかった。もう一度、ゆっくりと歩いてみたいものだ。
伏見は、第二の故郷である。

私は、この大手筋に小さい頃から縁があった。地元商店街になかったときには、この伏見の大手筋へ行く。しかし、デパートとかは無いために、何となく田舎臭くいいものが無い。しかたなく次の段階では、京都市内へ足を延ばすのである。たいがいは、このパターンだった。
京阪電車で通学するようになってからは、急行が停まらないためもあってか、伏見はただ車窓から眺めるだけで、ますます縁遠くなっていた。そのころは制服姿で、もっぱら四条河原町周辺をウロウロしていた。
だが子どもが小さい頃の10年間程、この伏見のニュータウンに住んでいた。生活圏がまた大手筋や納屋町になった。その頃の友人のグループが、楓会(昨年、穂高に登ったメンバー)といい、未だに続いている。今年はそれぞれ事情があり、夏山に一緒に行けなかったので、食事でもしようではないかということになり、この伏見桃山駅に集合した。
久しぶりのこの界隈は懐かしい。昔の面影を探しながらキョロキョロしていると、全体にはとても綺麗になり、以前にも増して活気があるように感じた。最近は地方の商店街が寂れる一方なのに、優秀だなぁと思った。
昼食後、懐かしくてもう少し歩いてみた。御香宮神社に行き、月桂冠が移転して昔の本社が夢百衆という喫茶店になってるというので、そこでお茶でも飲もうかということになり行ってみた。歩きながら、ほんとうに道路も整備されていて綺麗になったと感じた。
その月桂冠の以前の本社はそのままの建物で、夢百衆というレトロな感じの喫茶店と伏見の清酒を置いた土産物店になっていた。喫茶店に入ると着物にエプロン姿のお嬢さんがウェイトレスで、タイムマシンで大正時代に行ったようだった。私の注文したパフェも、あんこと白玉、抹茶アイスなどで盛りつけられ、ウエハスの代わりに八つ橋が添えられていたのは京都らしい。これは、パフェというよりは善哉アイスが相応しいのでは…。日本酒も飲ませるようで、ホットケーキやアイスなどに日本酒の入ったメニューもあった。
出るときに、ずらりと並んだ伏見の清酒の中に、昔夫が愛飲していた銘柄の「振り袖」を見つけた。「いい奥さんしてるやん!」と友人に冷やかされながらも、懐かしくてお土産に純米吟醸を買う。もう20年以上前だが、ここの純米酒は美味しくて安いと、お気に入りだった。
そこから、運河沿いを宇治川に通じる水門まで歩いて来た(三栖閘門資料館HP)。運河沿いも綺麗になり、水もきれいで観光用の十石舟や三十石舟が浮かんでいる様子は、柳と酒蔵とよく調和し美しく風情がある。この舟は、千円で乗れるらしい。
そしてずっと昔、車窓からいつも眺めていた水門にも歴史があるのを改めて知った。寂れていると思っていた伏見が、観光の町としてよみがえってるのを見てとても嬉しかった。もう一度、ゆっくりと歩いてみたいものだ。
伏見は、第二の故郷である。
