「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

秋の夜長に思う

2007-09-13 23:25:00 | クライミング
ここのところ,平日クライミングをさぼっていたが、昨日はたまたま予定が空いていたところにFさんからのホシダへのお誘いメール。
特にホシダのハングは、か弱い私に取ってはたえず登っておかないと、前に登れていたところも登れなくなってしまう。
それでも、いつものホシダでの仲間は久しぶりでも、気持ちよく受け入れてくれる。
もっと、壁が気分よく受け入れてくれれば嬉しいのだが、さぼっている分冷たい仕打ちをされるのが悲しい。
クライミングとはなんとシビアなものなんだろう。
だが登れなくても、私が楽しいのだからそれでいいのではないか、ということで結論が出る。
「いくら頑張っても、たかがしれてるやんか。そんなら,楽しいのが一番。チャンチャン!」である。
また、いつもの居直り。
しょせん、クライミングは自己満足の世界なのだ。

昨日の夜、「もうそろそろ山は秋やなぁ~、紅葉のええ山はないかいなぁ~」と、ゴソゴソと『岳人』の秋の山の特集をしている本を本箱から引っ張り出してみていたら、2003年9月号の表紙に大きな字で、「第1特集 クライミングを楽しむ」とあるのが目に留まりついページをめくってみる。
そこに、「クライミングの価値が、グレードだけで語られるのはさびしい。「登れた?」から「楽しめた?」へ。もっとおおらかに、もっと無心に、岩を攀じることそのものを楽しもうではないか。」と書かれている。
菊池敏之さんの「「大人のクライマー宣言!」もっとおおらかにクライミングを楽しもう」と渋谷正利さんの「「グレード」より「ルート」を登ろう」は、クライミングについて考えさせられた記事だった。この特集は、私の居直りを「そうや! そうや!」と肯定してくれたようで、むさぼり読んでしまった。
モチベーションが高いときには、果敢に自分の最高グレードを追うのもそれはそれで楽しいクライミングでもあるが、グレード至上主義でクライミングに取り組むのは、私には辛い。まるで営業マンが、早くノルマを達成しなくてはならないというような悲壮感を感じてしまう。
人に迷惑をかけるようなことや危険なことはしてはいけないが、自分流のクライミングを楽しんだり、またその人流のクライミングも認めなくてはいけないと思う。狭いクライミング観を人に押し付けるようなことは、やはりいけないという気がして来た。
たとえば分りやすい例は,トップロープで楽しむ人を否定してはいけないとは思うが、トップロープでルートを占拠してしまって、他の人が登れないような状況はいけないというようなことだ。
青空と紅葉。そんななかで楽しく岩と戯れてみたくなった。
そういえば、昨年の大台の中の滝は、楽しかったなぁ~