一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

湯川邸新年会(後編)

2019-01-24 00:06:31 | 落語
私はそのまま、皆さんの話を楽しんでいた。
蝶谷氏といえば酒で、将棋ペン倶楽部や将棋専門誌にもその類のエッセイがあった。今回もその一端が披露される。たとえば、日本酒の熱さの中に「人肌燗」というのがあるが、その下は何というか。これを「日向燗(ひなたかん)」というらしい。温度は5度ごとに呼び名が変わるそうで、蝶谷氏はそれを諳んじる。
ほかにもいい日本酒を出す店の見分け方など、ちょっとした講義を聴いているようである。武者野勝巳七段、Iri氏、私は、湯川邸へ来るさい道に迷ったことを白状する。しかしIri氏は登山の経験があるとかで、まったく危機感はなかったらしい。
だがそのIri氏もかつて、登山中に友人とはぐれ、ひと騒動になったことがあるそうだ。
Iri氏には詩吟のリクエストが飛ぶが、それは後のお楽しみのようだ。
テーブルには揚げたてのエビフライが並ぶ。ボールには山盛りの千切りキャベツとミニトマトである。
エビフライはサクサクして、美味い。これがどんどん出てくる。食べても食べても減らないどころか、逆に増えてくる。恵子さんはどれだけ揚げているのだ?
Iri氏は料理人もしていたことがあるそうで、料理が残るのがイヤらしい。それで私にエビフライを勧めてくれるのだが、私のお腹も膨れてきた。
「それにしてもこの家はいい雰囲気ですねえ。2階はあるんですか?」
私は湯川氏に聞く。
「もちろんあるよ。2階が主生活場かな。ここは生活感ないでしょ?」
「ああそうですか。いえウチも昔は平屋だったもので……。釘は使ってるんですか」
「それはもちろん使ってるよ」
「ああそうですか。いや、ウチは使ってないもので……」
なんだか、妙な会話になってしまった。
そういえば湯川氏は4年半前、「開運!なんでも鑑定団」に小笠原桑の座卓と碁笥を出品したことがある。
「ふたつで450万だったかな」
あれはお宝を預けて、1ヶ月くらい戻ってこなかったらしい。
ここらで参遊亭遊鈴さんら3人が退席。遊鈴さんの噺がまた聞ければうれしい。
食べ物はまだ出てくる。恵子さんは乾杯の時以外は、台所につきっきりだ。
岡松さんは、元は別の名前を命名される予定だったが、同時期に生まれた親戚がちょうどその名前を使ってしまい、現在の名前になったそうだ。ここで左奥の男性も退席した。私もすぐに帰れる用意はしていないといけない。
「東映フライヤーズ」とかいう球団名が聞こえる。昔のプロ野球球団の話になったらしい。「ぶすじま」と蝶谷初男氏が言う。「毒の島と書いて毒島」。
私は今こそプロ野球は見なくなったが、昔は夢中になってナイター中継を観たものだ。
「毒島章一ですね。三塁打王の。三塁打通算106本」
つい私が口を滑らすと、みなが「えっ!?」と私を見た。「こいつは意外なところから声が出たねえ」
「白仁天、大杉、尾崎……。東映にはいっぱいスターがいましたよねえ」
「ええー? 何で知ってんの? アンタ昭和10年代生まれ?」
「ハイ」
私はなおも、「トンボ……高橋ユニオンズ……トンボには佐々木信也がいましたね」と、薄い知識をひけらかす(後の調べで、トンボユニオンズと高橋ユニオンズは同チーム。佐々木信也は高橋名義の時に入団したことが分かった)。
これには永田氏がすっかりハシャイでしまい、子供のころ好きだった歌手を聞かれて焦ってしまった。私の年代だと、花の中3トリオからピンクレディー、になってしまう。
国鉄スワローズ、を永田氏が知らなかったのは意外だった。
「ええ国鉄って、今のJRでしょ? それが球団持ってたんですか」
私たちは、そうです、と答えるよりない。
「昔は映画会社がプロ野球球団を持ってたし、その時代時代にカネがある業種がそうなってたよね」
と湯川氏が言った。
しばらく経って、私は蝶谷氏に改めて御礼を言う。私が「将棋ペン倶楽部」への投稿を始めたのは、ある年に会費を納めた時、振替用紙の通信欄に「私も投稿してみようかな」と書いたら、後日蝶谷氏から、原稿募集のハガキが来たことによる。当時は一般会員の投稿も少なく、幹事だった蝶谷氏は、新たな書き手の発掘に必死だったのだ。
だが蝶谷氏は記憶にないふうだった。まあ、送った側は忘却した、というケースはよくある。
「蝶谷先生は、女流名人戦の観戦記はですます調、それ以外はである調でしたよね」
「うんそうだね。文体は3つ用意してた」
「あ、そうなんですか」
さすがに専門家は違う。
「うん。だけど女流名人戦の時も、番勝負の時はである調だったね」
本当はこういう話をもっと拝聴したいのだが、こういう場ではそうもいかぬ。
奥様は日本酒の何かの免状を持っているらしいのだが、それが、セミナーを受講すると、誰でも獲れる仕組みなのだという。蝶谷氏はその体質が気に入らないという。
「ところがその免状を獲って店内に飾ってあると、何も知らない客は、その店がいい酒を出すと思うじゃない。大間違いだよね」
酒に一家言ある蝶谷氏らしい警鐘だった。
私は永田氏にずいぶん気に入られたようで、名刺をいただく。私も返したいところだが、情けないことに無職の身である。前の工場の時のものを渡させていただいた。
時刻は8時を過ぎたろうか。失礼することにすると、永田氏が表まで見送りに出てくれた。
最近他者との交流がなかったので、今回はいいリフレッシュができた。湯川氏夫妻、および出席者の方に、改めて御礼を申し上げたい。
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