一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「7人7タイトル」はあったのか

2018-07-10 00:20:58 | データ
6月30日の第89期棋聖戦第3局、羽生善治棋聖対豊島将之八段の一局は、先手・豊島八段の勝ち。豊島八段は羽生棋聖をカド番に追い込んだ。
そして今日10日の第4局、もしくは17日の最終第5局に豊島八段が勝つと、豊島八段が初タイトル。すなわち8大タイトルを8人で分け合う形となる。
では7大タイトルの時代に、7タイトルを7人で分けたことはあるのか。
答えは「ある」。
1987年10月21日、第35期王座戦第5局で塚田泰明八段が中原誠王座に勝ち、2連敗3連勝の大逆転で奪取。7人7タイトルが実現した。内訳は次の通り。

名人 中原誠
十段 福崎文吾
棋聖 桐山清澄
王位 谷川浩司
王座 塚田泰明
棋王 高橋道雄
王将 中村修

その後11月25日~26日の第26期十段戦第4局で高橋棋王が福崎十段に勝ち、「7人7タイトル」が崩れた。よって「7人7タイトル」の期間は、
「1987年10月22日~11月26日」
の36日間となる。
ちなみに、それぞれの次の期のタイトル保持者は、

名人 谷川浩司
十段 高橋道雄
棋聖 南芳一
王位 森雞二
王座 中原誠
棋王 谷川浩司
王将 南芳一

と、すべて変わっている。このころの将棋界は羽生善治永世七冠登場前。まさに戦国時代だった。
では、6大タイトルの時に6人タイトルだったことはあるのか。
これも、「ある」。

1982年12月21日、第21期十段戦第6局で、中原前名人が加藤十段に勝ち、奪取。これで「6人6タイトル」となった。内訳は次の通り。

名人 加藤一二三
十段 中原誠
棋聖 森雞二
王位 内藤國雄
棋王 米長邦雄
王将 大山康晴

指し盛りの棋士の中で、59歳の大山王将の名が目を惹く。
王座戦はこの時第31期を数え予選の最中だったが、前期までは準タイトル戦で、第30回の王座保持者は内藤王位だった。
この「6人6タイトル」も、1983年1月21日、第41期棋聖戦第4局で中原十段が森棋聖に勝ち3勝1敗、棋聖を奪取したことで終了となる。
すなわち「6人6タイトル」期間は、
「1982年12月22日~1983年1月21日」
で、わずか31日間だった。
ちなみに、こちらの次の期のタイトル保持者は、

名人 谷川浩司
十段 中原誠
棋聖 中原誠
王位 高橋道雄
王座 中原誠
棋王 米長邦雄
王将 米長邦雄

となる。こちらも王座戦を含め、5タイトルが移動している。
ちなみに5大タイトルの時は、最多で3人(訂正:1973年に、1ヶ月だけ4人だったことがある)。大山名人の全盛時代で、タイトルの分散は考えられなかった。
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