一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

大山の名局・7

2018-07-26 00:06:14 | 名局
日付変わって今日7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。1992年の没だから、早くも26年が経ってしまった。
今日は毎年恒例の、私が勝手に選ぶ「大山の名局」を紹介する。
今回は30年前の命日からピックアップした。第47期A級順位戦・塚田泰明八段戦である。
塚田現九段は奨励会を2年5ヶ月というハイスピードで駆け抜け、1980年、16歳で四段になった天才である。ものすごい攻め将棋で、「攻めっ気100%」「塚田攻めれば道理引っ込む」の異名があった。
順位戦はこの期にA級八段になり、名実ともに一流の仲間入りを果たした。いまで言えば、豊島将之棋聖のような存在感だったかもしれない。
大山十五世名人は当時65歳。1回戦では青野照市八段を破り、いつも通りのスタートを切っていた。

1988年(昭和63年)7月26日
第47期A級順位戦
持ち時間:各6時間
於:東京・将棋会館

▲十五世名人 大山康晴
△八段 塚田泰明

初手からの指し手。▲7六歩△8四歩▲7八飛△8五歩▲7七角△3四歩▲6六歩△4二玉▲6八銀△3二玉▲4八玉△6二銀▲3八玉△5二金右▲5八金左△7四歩▲5六歩△5四歩▲2八玉△1四歩▲1六歩△4二銀▲3八銀△9四歩▲5七銀△5三銀右▲3六歩△6四銀(第1図)

大山十五世名人は先手番の場合、三間飛車か中飛車が多い。塚田八段は2手目に△8四歩だったので、すぐに三間に振った。
塚田八段は穴熊に見向きもせず、△7四歩と急戦の意思表示。さらに△4二銀を挟んで△5三銀右とした。この△4二銀を保留して△5三銀(右)と上がるのも塚田八段の得意戦法で、高勝率を挙げていた。

第1図以下の指し手。▲6七金△5三銀上▲2六歩△4二金上▲9六歩△7五歩▲5九角△7二飛▲7五歩△同銀▲3七角△6四歩▲7六歩△8四銀▲9七香△7三銀▲7五歩△8四銀▲7六金△8六歩▲同歩△8七歩(第2図)

▲6七金と左金を増援するのが大山流。△7五歩には▲5九角と引き、数手後に▲3七角と上がった。大山十五世名人はここに角を据えるのが好きで、右桂を跳ねなかったのはこの手を指したかったから、という説もある。
塚田八段は右銀を捌こうと腐心する。△8六歩から△8七歩と、イヤミな歩を垂らした。

第2図以下の指し手。▲8五歩△8八歩成▲同飛△7五銀▲同金△同飛▲7七歩△7八歩▲7六銀△7四飛▲8四歩△7九歩成▲8三歩成△8九と▲8五飛△7九と(第3図)

大山十五世名人は▲8五歩。先の突き捨てを逆用して気持ちがいい。しかし塚田八段も右銀を金と交換し、これは攻めの構想が成就したと言っていいだろう。
大山十五世名人は▲7七歩から▲7六銀。一方的に受けに回っているようだが、飛車先を突破するまでの辛抱と見ている。

第3図以下の指し手。▲4六角△7八と▲7五銀△7一飛▲7六歩△7七と▲7二と△同飛▲8一飛成△7一歩▲4八銀△6七と▲9一竜△5八金(第4図)

△7九とはと金の活用を見たものだが、私ならすぐ△4五桂に飛びついている。
大山十五世名人もそれを嫌ってか、▲4六角とひとつ上がった。
△7八とに▲7五銀△7一飛。▲7五銀があるなら、前譜△7四飛ではすぐに△7一飛と引く手はあったかもしれない。
大山十五世名人は▲4八銀と自陣を引き締め、塚田八段は△6七と。ここ、△7六とと引くのはウソ手なのだろう。
△5八金にはどう指すか。

第4図以下の指し手。▲5九香△4九金▲同銀△4五金▲8四桂△7五飛▲同歩△4六金▲同歩△6六角▲7一竜△4一桂▲4七金△6八と▲3八銀△5九と▲同銀△3九銀▲2七玉△5七香(第5図)

このままでも駒損にはならないが、大山十五世名人は▲5九香と万全を期した。
以下、断続的に塚田八段の攻めが続く。数手かけた塚田八段のと金は▲5九香と交換になったが、これはどのくらいの得になったのだろう。
ともあれその香を△5七に据えた。先手を持ったら攻め潰されそうである。

第5図以下の指し手。▲6七歩△5九香成▲6六歩△4九銀▲3七金打△5八角▲1七角(途中1図)

△3八銀不成▲同金△4七角成▲同金△4九成香(第6図)

▲6七歩と、根元の角を取りに行く。△4九銀に▲3七金打。この地点に金を打って金が2枚並ぶ形というと、1970年8月24日・25日に指された第11期王位戦七番勝負第3局・▲大山王位VS△米長邦雄七段戦を思い出す。

塚田八段は△5八角と食いつくが、▲1七角(途中1図)が大山流の受けだ。
塚田八段はなおも攻め続けるが、価値の高い駒での攻めなので、意外に迫力がないのかもしれない。

第6図以下の指し手。▲3七銀△4八金▲同銀△同成香▲3七金△4七銀▲2五歩(途中2図)

△3八銀打▲1八玉△4四銀▲2四歩△同歩▲2二歩△2九銀不成▲同玉△2五桂▲2一歩成△1七桂不成▲1八玉△2九角▲1七玉(投了図)
まで、133手で大山十五世名人の勝ち。

▲3七銀は△4八金と張り付かれて同じようだが、▲同銀△同成香で金銀を換えたのがテクニック。そうして▲3七金と寄り、銀2枚では寄りがないのだ。このあたりは将棋マガジンで、川口篤氏が「対局日誌」に記している。
△4七銀に▲2五歩(途中2図)が待望の反撃である。
△3八銀打▲1八玉に△4四銀は、攻めの増員だろうか。
大山十五世名人は▲2四歩△同歩▲2二歩。これを△同玉なら▲2三歩△同玉▲3一飛であろう。
塚田八段は最後の突撃をし、▲1七玉に攻め手が尽きて、投了した。

私のようなヘボから見ると、まことに不思議な将棋で、大山十五世名人はほとんど受けの手しか指していない。敵陣への侵入といえば、飛車を成り桂香を取り、2筋の歩を突き捨てて歩を成っただけである。これで大山十五世名人が勝ってしまうのだから、訳が分からない。
気鋭のA級八段の攻めも、お釈迦様の掌の上で転がされただけだったわけだ。

大山十五世名人はこの期、6勝3敗で4位。最終局の星次第では、プレーオフ進出の可能性もあった。
もう一度書く。65歳でA級6勝。これがどれほどの快挙か、当時の私たちは、まだピンときていなかった。永世名人ならこのくらいの成績は当たり前、と考えていたのである。
コメント (2)
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