一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ベテランの底力

2016-01-20 23:08:10 | 男性棋士
やや旧聞になるが、1月7日、剱持松二九段が永眠した。享年、盤寿の81歳。
剱持九段は振り飛車党で、四間飛車を得意とした。順位戦はB級2組が最高だったが、普及において多くの功績があった。
剱持九段を語るうえで欠かせないのが1988年度のC級1組順位戦で、ここで羽生善治五段に快勝し、結果的に羽生五段の昇級を阻んだ。
また現役晩年の竜王戦6組では2年連続してアマ強豪と当たったが、どちらも快勝してプロの矜持を示した。ふだんの成績はパッとしなかったが、勝つ時は勝つ。それが剱持九段の魅力を引き立てた。
1998年には加藤一二三九段の師匠になり、ちょっとした話題になった。心よりご冥福をお祈りいたします。

ところでC級1組で足踏みした羽生名人だが、けっこうほかの期でも「取りこぼし」をしている。1988年度の第47期順位戦から記してみよう。

1988年度・C級1組 8勝2敗(佐藤義則七段、剱持七段に負け)
1989年度・C級1組 10勝0敗→昇級
1990年度・B級2組 8勝2敗(前田祐司七段、吉田利勝七段に負け)
1991年度・B級2組 8勝2敗(東和男六段、佐伯昌優七段に負け)→昇級
1992年度・B級1組 11勝1敗→昇級

プロの実力は紙一重だからアレだが、羽生名人の後の活躍を考えれば、剱持七段、吉田七段、佐伯七段あたりには勝っておきたいところである。とくに剱持七段と吉田七段には結果的に、勝てば昇級していた。しかしそうは問屋が卸さないのが、ベテランの底力というものだろう。
が、もし、羽生名人のA級昇級が1年早かったとしたら――。
米長邦雄永世棋聖の「名人」はなかったかもしれない。「米長-羽生」ではなく、「中原誠-羽生」のタイトル戦が実現していたかもしれない。
そして、羽生名人が一足先に十八世名人の有資格者になっていたかもしれない。
勝負事にたらればは意味がないが、こういう想像もおもしろい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする