今日もイキイキ

思うままに綴っています
ブログによって新たな自分を発見!?

2014年11月読書(2)

2014-11-29 17:55:09 | 感想
④「素直な心になれたら 松下幸之助が中学生に教えたかったこと」PHP研究所
⑤「日本初の個人救急病院院長が診断! 救急で死ぬ人、命拾いする人」上原 淳(著)
⑥「「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法」矢作 直樹(著)
⑦「99・9%が誤用の抗生物質 医者も知らないホントの話」岩田 健太郎(著)

命ってなんだろう?
命って誰のものなんだろう?
命の誕生や命の終わりってなんだろう?
命ってどれほど大切なものなんだろう?
死んだらどうなるのだろう?

以前病院に勤めていたからか、両親が早くに亡くなってしまったからなのか、こんなことを考えることがある。
母は胃がんで、父は突然死でこの世を去りましたが、父母の死を長く引きずることなく受け入れている自分がいます。
寂しいことは寂しいですが、なぜか不思議とまた会えるような気がするのです。
良い縁、悪い縁ともにこの世で縁が深かった人とは、目に見えない何かでつながっているような気がして…

だから死ぬことはそれほど怖れることではないのかも…と思っていました。

私の思っていたことと同じようなことを考えを持っている矢作医師の著書⑥に遭遇

医療現場でたくさんの方の死と向き合われ、死ぬことが一概に不幸なことだとは思わなくなったとのこと
そういう経験をされたのだと思います。


世間では死は不幸と思われていますが、100%の確率でいつか自分の人生で起こる出来事です。
自分の人生で最後の起こる出来事が不幸なんて悲し過ぎます。
不幸と思っているのは自分で、もしかして不幸ではないと思うのも自分

人生や死というものについて考える時、⑥の本がとても参考になると思います。
またいつか読んでみたいです。

ストレッチを怠り…

2014-11-28 15:20:41 | 日記(~2023年)
この1週間ほど、何となくお腹(筋腫)の調子がよろしくない。
調子が良かった時の生活を見直してみました。

調子が良かった時にしていたことといえば

・ ストレッチをよくしていた
・ 外出頻度が高かった
・ お灸を時々していた
 
これくらいしか思い当りません。
食生活はそれほど変わっていませんし…

ここ1週間、社会復帰のためにコタツで勉強する時間が長く、上に書いたようなことをほとんどしていませんでした。

久し振りにストレッチをしてみると身体がかなり固くなっていました。
血流が悪くなっていたのだと思います。
少しストレッチしただけなのに、身体が喜んでいるような感じです。

「おまたぢから」の講座でも、血流が悪くなると痛みが出てくる と言われていました。
外から温めるのもいいですが、やはり身体のコリをほぐすことで血流を良くすることのほうが効果が高いような気がします。

体調が悪くなる時といえば

・ 消化が悪いと感じる時
・ 尿の出が悪い時
・ 体重が増えた時

が思い当ります。

消化が悪い時は中脘(ちゅうかん)にお灸をしよう
尿の出が悪い時は利尿作用のある飲み物を飲もう
体重が増えた時は食事の量を調節しよう

身体が悲鳴をあげてしまう前に、メンテナンスを怠らないようにしよう




身辺整理(終了)

2014-11-26 15:41:08 | 前向き行動
治療をやめてから気持ちや物の整理をしてきましたが、本日ようやく終わりました。

大阪市の無料クーポンを使用して「子宮頸がん検診」「乳癌検診」を受けてきました。

9月に乳がん検診をしてくれる医療機関を探したところ、一番早くて11月26日でした。
子宮頸がんのクーポンもあったので、同時受診できるか聞いたところ、午前中に子宮頸がん検診、午後に乳がん検診になりますとのこと。

家から一番近い総合病院だったので、悩むことなく即お願いしました。

(午前)

子宮がん検診で産婦人科病棟に行き、問診票に記入し看護師さんに渡すと

「子宮筋腫もあるのですね…
 子宮頸がん検診ではエコーはしません。
 今日なら頸がん検診を受けられると同時に保険診療で診察できます。
 診断書がないのでお金はかかりますが、どうされますか?」

もちろん、すぐ「お願いします」と返事

先月大学病院へ行った時、代診の医師に「家の近くの病院でフォローされても構いませんよ」と言われました。
今後も大学病院でフォローをしてもらおうかと思ったのですが、主治医はとても忙しくて外来は休診のことが多く、今後どうしようか悩んでいたのです。

今日のエコーの結果

 右卵巣に 2.5×2 のチョコレート嚢胞
 5㎝を筆頭に多数の筋腫あり

チョコレート嚢胞は今はまだ小さいですが、ガン化の可能性もあるので定期的に様子を診たほうが良いとのこと
検診を受けた病院は大学病院の系列病院だし、家から近いし、定期的なフォローはこれからこの病院でお願いしようかな…


(午後)

乳がん検診は初めてで、この病院では初めての検診を受ける人はスライドで乳がんの基礎知識、自己検診の仕方の説明を受けます。
その後、マンモグラフィと触診を受け、終了
マンモグラフィは痛かったです。(涙が出るほどではありませんが)
あんなに乳房がペタンコになるとは…

検診結果は3週間後くらいに郵送されます。
結果が待ち遠しいです。

埃まみれ

2014-11-22 09:16:22 | 日記(~2023年)
主人の仕事も一段落し、この連休は3連休となりました。

でも、連休初日は主人の会社(工場)の掃除を手伝うことになりました。

不景気の中、売り上げを増やすことも大事ですが、どうやったら従業員が安全で効率よく気持ちよく働けるかを考えることも大切だと思うのです。
すぐには売上にはつながらなくても、ゆくゆくは売上につながっていくと私は思うのです。
主人も同じ考えですが、社長はとにかく売上の話ばかり…

ま、とにかく職場を綺麗にすることから始めようということで、不要品の整理をしていると、昭和50年代の新聞に包まれた器具を発見
埃まみれになりながらお宝(ガラクタ)発見を楽しみ、片づけていきました。

使わないもの、要らないもの、それが埃を被って部屋にあると、よどんだ重苦しい空気に感じるのですが、これって感じない人は感じないんですよね~
価値のない古すぎるものがたくさんあると、それらの目に見えないパワーに縛られて新しい考えやつながりができないような気もする。

社長(姑)に言ってもなかなか理解してもらえない…
いや、分かっているけど、自分が自ら動くことが嫌なようで片づけはいつも後回し
床に置いているものが多く、そしていつもマイナス思考

これって悪循環だと思うのだけど…


主人が望む整理整頓された工場にするにはまだまだ時間がかかりそうです。
私も時間があるときは手伝いをしていこうと思います。


いつつめ(最後)の整理

2014-11-21 12:13:04 | 日記(~2023年)
これで私のドロドロした気持ちの保存メールは最後となりました。
これが一番辛かった時の私の気持ち
1回目の手術の8ヶ月前に書いたもので、心身ともに限界でした。

信仰に絡むことなので、第三者に相談することは難しく、当時は主人も姑も私の気持ちを理解してもらえなかった。というか、私の気持ちより信仰に対する思いが大事だったように思います。

洗濯を干す時、ベランダから地上を眺めて、飛び降りたらどうなるだろう…と何度も思いました。

このメールを書いてから約2ヶ月後、夢に母が現れ「もう大丈夫だから」と言ってくれました。
それからまもなく状況が一変し、積極的な治療ができるようになりました。

辛かった時の気持ちは忘れたいですが、でも忘れてしまうとまた同じことを繰り返してしまうかもしれない。
ドロドロした気持ちを持ち続けるのは辛いですが、整理した気持ちを持つのはそれほど苦にはならないと思う。

あの頃の気持ちを忘れないように、心の整理と一緒に辛かった時のメールを残そうと思います。

40歳でもこのままの状況なら離婚して、新しい人生を歩もうと思っていました。
しかし、少しずつ主人も姑さんも変わり、離婚するまでには至りませんでした。

そして41歳2ヶ月、これからの人生を前向きに考え始めました。
辛かったことも私の人生の1ページ

ようやくそんな風に思えるようになりました。




(メール保存日 2010年2月18日)

私は生きている意味があるのだろうか?
何のために生きているのだろうか?
分からない
分かればそれに向かって生きていけそうな気がする

私がいなくても仕事はどんどん進む

私でないとダメなものはない?
私生活でも私でないとダメなものはない?
つまり私は必要とされていない?

もし私がしたいことができれば私の気持ちはどうだっただろう…
テニスしたり、ドライブしたり、旅行したり、自分が好きな服をきたり、自分が欲していることが満たされれば私はもう少し穏やかにいれただろうか…

素直に人の幸せを喜べないのは思うように人生がいかないから?
子供そして病気、病気による様々な制限された生活
もしこれらが改善されれば嫉妬もなくなる?

人の幸せを喜べない心の狭さに情けなくなる
そんな自分が嫌でたまらない
自分の幸せを誰かと比較してしまう自分もいやだ
今の私にはこれというものがない
自分は必要とされていない?
生きていると実感できるものがない

心の底に自分が優位に立ちたいという気持ちがあるのだろうか?
今はそういう私のダメなところを直すための時間かもしれない
日常にこれだけの制約がないと私は理解できないからこういう状況なのかもしれない

もしこの制約が少なくなれば気持ちも変わるかもしれないが、こんな状況でもそういう心を持つように今があるのかもしれない

我を忘れるくらい夢中になれることができない…体を動かせればしばし忘れることもできるだろう
したいことができない自分が惨めに思う
走ったり、自転車、自動車の運転すらできない
旅行や運動はもちろん外出することさえままならない

病気だけれども必死に生きている人の特集とかがある。
障害を持っていても登山やマラソンや水泳など頑張っている姿を見てもらう事で誰かを励ます。
しかし、反対に嫉妬や妬みも出てくるような気もする

自分が思い描いていた人生とは180度違う
でも他の人は私のような制約に縛られずにそれなりに進んで行ってる

生きている意味が分からない
頑張るって何?
魂を進化させるために必要な苦なのか?
自分らしい人生を歩みたいと思うのは我が強い?
どんなに悩んでも誰かが変わってくれるわけではないし、気持ちを理解してほしいと思うことは以前ほどない
だから余計に孤独に思う

心が孤独ならいっそ独りでいるほうが気が楽かもしれない
誰かに責任転嫁することもなく自己責任だから…
今の私はまだ誰かの責任にしようとするだろう

今になって母が入院してたときの気持ちが少し分かる
もっと母の気持ちに寄り添っていれば、母ももっと穏やかに生きれたかもしれない

40歳になれば第3の人生を歩みたい
そんな私を責める人が身近にいれば私はおそらくそこから離れるだろう
天罰だとか宿命などと言われるかもしれない

もし私の気持ちに寄り添うことなく責められれば私は独りで生きる
それを許されないのならお母さん早く迎えにきてください

『させる』ものではなく『する』もの

2014-11-20 09:33:55 | 日記(~2023年)
昨日の朝刊の人生相談コーナー

「ウソと浮気と現実逃避、離婚話もできない婿を改心させる方法はないでしょうか」

という相談に対する回答の一文

「彼を改心させる方法はありません。そもそも改心は『させる』ものではなく『する』ものなのです」

もっともだ!と思いました。
どんなに、周りが改心させようとしても、本人がその気にならなければ改心にはなりません。

それなら本人が改心するまで周りは指を咥えて待つだけしかないの?

いやいや、本人が改心しなければならないと思わせるような状況を作ればいいと思うのですが、これがなかなか難しい。

例えば、勉強をしない子供に対して「勉強しなさい」と言うのは簡単です。
でも、それだけで子供は勉強するでしょうか?
言って勉強するような子供でしたら、「勉強しなさい」なんて言いませんよね…

「勉強しなさい」といっても勉強しない子供に対して、まずは「なぜ、勉強をしようとしないのか?」ということを考えないといけないと思うのです。
もしかすると、体調が悪いのかもしれない、何をどう勉強すればよいのかわからないかもしれない、等の様々な要因があるやもしれません。そういうことを考え、勉強しようとする気持ちを起こさせるようなことを考えることが必要なんだと思います。


先日、主人の知人が重症な副鼻腔炎と診断されました。
主人も似たような症状があったようですが、知人のようなひどい症状ではなかったし、仕事も忙しかったのですぐに病院に行こうとはしませんでした。
姑は毎日のように「早く病院に行きなさい」と言ってたようですが、これぐらいでは主人は行動を起こさないことを分かっていましたので、どうすれば面倒臭がりの主人が病院へ行ってくれるのか考えました。

たぶん、どこの病院へ行ったら良いのか分からないのだと思いました。

 仕事が終わってからでも行ける診察終了時間が遅い病院
 通院しやすい病院
 それなりの検査機器がそろっている病院(二度手間にならないように)

条件に合うような病院を調べ、診察時間も調べ、主人に提案するとすぐに病院へ行ってくれました。
姑さんは「私の言う事は聞かないのに、○○ちゃん(私)のいう事はすぐに聞くのね」と言いますが、姑さん自身は病院を調べたり、病気のことを調べたり、誰かに病院の評判を聞いたりすることはしません。

「勉強しなさい」「病院へ行きなさい」と言うのは簡単です。
相手に対して、本当に心から勉強してほしい、病院に行ってほしいと思うなら、こちらも考え、それなりの労を費やすことが相手の心を動かすことに繋がるのかもしれない

よっつめの整理

2014-11-19 10:10:36 | 日記(~2023年)
携帯電話に書き溜めていた私のドロドロした気持ち…
思い出しては書き足し、更新し、そんな保存メールが溜まっていました。
少しずつ気持ちの整理をし、残り2通となりました。

読み返してみると、あの時の辛さが思い出されます。

苦しみの中にいるときは、どうにかしてそこから抜け出したくて、でもそのことに捕らわれてしまい、正常な考えが出来なかったし、自分の思いを行動に移せませんでした。

周りの意見に自分を見失うのではなく、どんな状況においても、まず自分自身というものをしっかりと持つことが大切だと思いました。

自分自身とは何か、自分はどういう性格なのか、自分はどういう人生を生きていきたいのか、とことん考えると自分の中に芯が通る感じがします。

その芯は細くて構わないと私は思います。
あまり太すぎると周囲との軋轢が生じるような気がするから…

人生の中で‘つまずく’ことも大事ですが、自分の中に芯があると、つまずいても立ち上がれるような気がします。
私はこれまでの‘つまずき’を無にしないよう、自分の人生をしっかりと生きていきたい



さて、メールはおそらく2回目の手術直後あたりに書いたもの
当時の信仰への不信感、Aさんへの怨みが詰まっています。
それから年月が経ち、不思議なものでAさんへの思いは薄らいできました。
私が知らないうちに犯した罪の償いの苦しみだったのかもしれませんし、Aさんもいつか自分のしたことを悔んだり苦しんだりする時がくるのではないかと思えるようになりました。

因果応報には時間のずれが生じるらしい
それを知っていれば誰かに対する憎しみや怨みが薄らぐような気がします。



(メール保存内容)

今の私は信仰によって救われ幸せになるどころか、Aさんに心身を傷つけられ、人生を縛られ、Aさんのご機嫌とりに疲弊してしまった。そして、あの時点から怨み憎しみが増幅し、人の不幸を願うような鬼のように醜い心になっている。鬼になるくらいなら私はAさんから遠ざかりたい。

遠ざかったことによって奇跡がもらえなかったことを誰かに責められても平気ではないが、以前のように傷つかない覚悟もできた。
もしこのことで離婚になることも覚悟できている。
鬼になるくらいなら恩知らずと罵られてもいい。


奇跡を願い、その奇跡に縋り、現在の人生を犠牲にする生き方もありなのかもしれないけど、保証されていない未来のために今を犠牲にする生き方なんて私にはできない。今自分に置かれた状況の中でささやかに生きてはいけないのだろうか…

Aさんにお願いすることで、観音さまの大きな奇跡をもらえるのかもしれないが、大きな奇跡は分不相応の奇跡ではなかろうか。それならいつか歪みが出てくるし、その恩に一生縛られるようになる。そして分不相応の見返りを要求をされる。これはもはや信仰ではないと思う。

幸せや奇跡は自分の中にあるものだから、それを外に求める限り本当の幸せに気づかない(青い鳥と同じ)。そんな人生を送るほうが虚しい…

私は鬼になりたくない

2014年11月読書(1)

2014-11-18 09:13:44 | 感想
①「ブッダがせんせい 心を育てるこども仏教塾」宮下 真(著) まつおかたかこ(イラスト)名取 芳彦 (監修)
②「人に聞けない 大人の言葉づかい」外山 滋比古(著)
③「小学校に入る前に親がやってはいけない115のこと」立石 美津子(著)



いい話をいっぱいしてあげたい 2014年8月1日のブログに書いた本をようやく自分自身で読むことが出来ました。
親子で読んで、いろいろ考えられる本だと思います。
善悪の判断や、生きていくうえで大切なことを、物心つくまえから習慣として身につければ歳をとって苦労しません。
子供を思いやりのある優しい子供に育てたいのなら、親がそういう人間にならないといけません。
②にも、③にも親の影響が大きいことが書かれています。
当たり前の事なのですが…
子供の言葉遣いは普段の親の言葉遣いが大いに影響します。
良い習慣は親が口で言うだけでは身につきません。
いつもそばにいる親が実行しなければ、子供は何を参考にできるでしょうか?

「親になるのは簡単だが、親であることは難しい」

親になれば親であるために子供と一緒に成長していくんだろうな~と思います。



私の言葉はとても拙い事を感じさせられました。
言葉にも余所行き、普段着、部屋着があり(これはかろうじて使い分けができていると思うが)、言葉にも化粧が必要とありました。
最後の章の「ことばの顔を美しく」では、人の評価は‘ことば’によって決まると言っても過言ではないことが詳しく書かれています。

(引用開始)
ことばは意志・思考を伝達する手段であるけれども、それとともにわれわれの子ことをあらわす顔のようなものでもある。
物質的にいくら豊かであっても、心貧しき人のことばは美しくない。心豊かな人はことばが豊かで、まわりに好感を与え、ときとして感動的である。
その心は外から見えないが、その人の使うことばが、その顔である。
その表情によって、われわれは、その人の心に触れ、感ずることができる。
(引用終了)

昔から言われている「歳をとったら自分の顔に責任を持て」というのは、こういう所以なんだと思いました。

私の今年の目標の一つに「きれいな言葉を使う」としましたが、最近乱れ気味
気を引き締めよう



伯母バカにならないよう、甥や姪と接する時の心構えを学ぼうと思いました。
著者は幼稚園・保育園を運営する会社の最高責任者として7000人以上の子供と接し活躍されています。

上から目線の文章が少々気になりますが、なるほど と思えるような内容がほとんどでした。

親の立場だけで考えるのではなく、自分の子供時代の気持ちや行動を思い出してみることが大切だと思いました。
結構、忘れてしまっている人が多いように思います。

昔は家事を手伝うのは当たり前でした。兄弟姉妹も多かった。
家事を手伝う事で、知らず知らずのうちに様々なことを学んでいたように思います。

読み聞かせが必要な絵本として
「猿蟹合戦」「桃太郎」「一寸法師」「北風と太陽」「赤ずきん」「狼と七匹の子ヤギ」「大きなカブ」「かちかち山」「因幡の白ウサギ」「三匹の子豚」「白雪姫」

これらは面白いうえに、よいことと悪い事、どうやって生きていかなくてはならないのかを教えてくれる絵本としてが紹介されていました。
物心がつく前に子供にこういう話を聞かせることで、善悪の基準や生きていくための知恵が潜在意識の中に刷り込まれるのだと思います。物心がついてしまうと、教えるのが難しくなります。子供って親のいう事には反発することが多いですし、そうなると子供を説得させるだけの理屈や説得力が必要になります。

物心つく前の絵本の読み聞かせと物心ついてからの善悪の基準や生きていくための知恵を教えるのとどちらかを選ぶとしたら…

はじめての野点

2014-11-14 16:41:46 | 日記(~2023年)
今日は同じマンションの知人に誘われ野点

私はおむすびを作り、知人は野点セットを持って、家から自転車で20分程のところにある中之島公園に行きました。

気温は下がりましたが、とても気持ちのよい天気で、寒いということはなく、おしゃべりしながら楽しい時間を過ごしました。

知人は山が好きで、野点も慣れています。
私は野点は初めてだったので、いろいろ教えていただきました。
今度主人とハイキング行くときに、是非試してみたいと思います。



帰り道に100均ショップに寄り、お尻に敷くマットを買おうと思ったのですが、店にはなく、材料を買って自分で作ってみることにしました。

8mmの厚さがあるアルミマットとエコバッグを買い、型紙も作らずミシンで適当に作ったわりにはなかなかの出来



主人と私の分 2セット作成
1セットの材料費は200円

使い心地は如何に!?

社会復帰に向けて(3)

2014-11-13 09:14:50 | 日記(~2023年)
社会復帰に向けた生活を始めました。

まずは、働きに出ている時間を想定し、なるべくその時間外に家事をすることにしました。

主人の朝ごはんは牛乳と野菜ジュースだけなので手間がかかりません。
なので朝は結構余裕があります。

夕方は5時からご飯の準備と洗濯をし、就寝は11時半を目標にしました。

これまで週初め(月曜日・火曜日)に集中していた家事を土曜日・日曜日にシフト
主人が家にいる時に掃除をするとイヤそうな顔をするのですが仕方ありません
主人にも少し手伝ってもらわねば…

約1週間続け、テレビを見る時間やネットをする時間を減らせばやっていけそう
今までは時間に余裕がある中での家事でしたが、これからは限られた時間で終わらせないといけません。
脳トレになりそうです。

子育て・家事をしながら働いている主婦の方々には頭が下がります。
こんな私が時間がないと言っていたら笑われます。
まずは、自分の出来る範囲で頑張っていこうと思います。


さて、就活するために必要な履歴書

履歴書に貼る写真を綺麗にとるために、まずは美容院で髪をカット

証明写真用の適切な服がなかったので、商品券3,000分の商品券を使い洋服の青山でブラウスを購入

遠慮なく何度も撮り直しをしてくれて、綺麗に映してくれるところで撮影
実は、それは運転免許更新の時に写真を撮ってくれる交通安全協会なのです
ここで何回か撮ってもらったのですが、いつも95%以上の満足度
街の写真屋さんより綺麗に撮ってもらえます。

必要事項を記入し履歴書は完成

ネットで様々な病院のホームページの職員募集サイトを調べてみると、パート募集は少なく、その中で働いてみたいと思った3か所の病院の雰囲気を外から視察
私の望む条件と通勤時間を考え、一番現実的な病院に電話で問い合わせ、履歴書を送ることになりました。

10年のブランクがあるので難しい事は覚悟しています。
でも前を向いてやれるだけやってみようと思います。