今日もイキイキ

思うままに綴っています
ブログによって新たな自分を発見!?

2014年8月読書(2)

2014-08-31 22:32:51 | 感想
②「手塚治虫のブッダ いかにして救われるか実践講座」手塚治虫プロダクション(監修)
③「手塚治虫のブッダ 救われる言葉」手塚治虫(著)


手塚治虫さんの「ブッダ」は正確な仏典の漫画化ではなく、お釈迦様の伝記をかりたフィクションです。
でも、お釈迦様が伝えたかったことが描かれていると思います。

人間の不安や悩みや苦しみの原因は突き詰めると自分の外にあるものではなく、幸せや不幸は自分の心が考え決めている。

例えば、誰かに嫌なことを言われた。
とっても傷ついて苦しい、嫌なことを言った人が憎い、と、苦しみの原因は相手と思ってしまいますが、傷つけられたと思っているのは自分です。
傷つけられたと思わなければ苦しみはなくなります。

理論的には簡単な事ですが、自分に強く執着しすぎると、自分自身が自分を苦しめていることに気付かなくなってしまうのだなぁと思いました。

少し前に目にしたある記事が仏教の教えに似ているのではないかと思い、引用します。

(引用開始)
幸せな人が絶対にしない6つのこと

1. 他人に干渉する
2. 他人による自分の評価を気にして、自分にレッテルを貼る
3. 幸せを他人や外的要因に頼る
4. 恨みつらみに執着する
5. ネガティブな環境でぐずぐずくすぶっている
6. 真実と向き合わない
(引用終了)

つまり幸せな人は

1. 他人に干渉しない
2. 他人による自分の評価を気にしない、自分にレッテルを貼らない
3. 幸せを他人や外的要因に頼らない
4. 恨みつらみに執着しない
5. ネガティブな環境でぐずぐずくすぶらない
6. 真実と向き合う

ということになります
3、4、6はまさに仏教の教えだと思いました。

欲のない人間はいないし、ある程度の欲は必要だと思います。
でもその欲に縛られ執着しすぎないことが大事

これからの私の人生、「欲を認めて欲に執着しない」ことを実践してみようと思う

2014年8月読書(1)

2014-08-30 10:53:36 | 感想
①「病気にならない生活のすすめ 東洋の知恵は健康の知恵」渡部昇一・石原結實(著)
②「手塚治虫のブッダ いかにして救われるか実践講座」手塚治虫プロダクション(監修)
③「手塚治虫のブッダ 救われる言葉」手塚治虫(著)


①4年前に読んだ本を再読

西洋医学の進歩は凄まじいものがあります。
だからといって東洋医学が劣っているのではなく…
しかし、西洋医学は300~400年の歴史があり、日本での歴史は約100年
対し、東洋医学は2000~3000年もの歴史があり、健康の知恵が詰まっていると思います。

世間一般では「しっかりと朝食を取らなければならない」と言われていたので、主人は無理をしてしっかりと朝食を摂っていました。
しかし、朝、胃の目覚め(活動)が遅い主人にとってはそれが苦痛(ストレス)だったようです。
そこで、ダイエットも兼ねて5年前から主人の朝食は野菜ジュースと牛乳だけにしたところ、心身共に調子がよさそう…

本当にこれでいいのか?と思っていたところに、この本で「朝食は無理してとる必要はない」と理由も詳しく書かれていたのでホッとしました。
身体の声を真摯に聞くことが健康を保つ秘訣かもしれないと思いました。


今巷では健康食品がブームです
だけど、私は健康食品が好きではありません。
例えば、しじみエキス成分
いくら良い成分だとはいえ、しじみ数千粒分に相当するエキス(成分)が含まれているサプリってどうなの?と思ってしまいます。
一気にしじみを数千粒食べることを想像すると、本当に身体(全体)に良いのだろうか?と疑ってしまいます。
それに、そのしじみの出所が気になります。
日本産でも汚染された水の中で育ったものなのか、綺麗な水の中で育ったものなのか…

また、サメの軟骨のサプリメントの原料のサメは汚染されている海に住んでいたかもしれない
消費者にはそこまで分かりません。

だから私は健康食品を積極的に摂取しようとは思いません。
手軽ではありませんが、毎日の食生活を見直すほうが健康には近道のような気がします。
サプリはお金もかかるし…

健康を保つためにも病気にならない生活の実践をしていこうと思った1冊でした。

診察日(8月27日)

2014-08-28 09:10:47 | 子宮筋腫治療~不妊治療
D22の診察

◆ 前回採血結果
 エイズ 陰性


◆ 基礎体温表
 今周期は低温期が短く高温期は36.6℃台と低め
 「排卵してるんとちゃうかな…」と医師は言うが…
 基礎体温表は参考程度


◆ エコー
 排卵済み確認(遺残卵胞なし)


◆ 採血 
 確実に排卵しているかどうか、また、次の治療の参考にするためP4測定
 →排卵済み確認


◆ プラノバール錠返品
 クロミッド錠と一緒に処方されたプラノバール錠
 プラノバール錠は今回必要なかったので領収書とともに返品
 100円の返金でした。


◆ 生理がきたら3日目に受診(2日目でも4日目でもOK)


◆ 医師へ質問
 私 :チョコレート嚢胞あると卵胞が育ちにくい??
 医師:あなたの場合、チョコレート嚢胞があること自体はそれほど問題ない
    ただ、育ちにくいことはあるかもしれない
 そして育ったとしてもチョコレート嚢胞の奥に卵胞があれば採卵できないとのこと 


今日はエコーの時、
「何もせずに奇跡は起きないけど、タイミングを取ったのならもしかしたら奇跡があるかもしれない」と医師が言ってくれました。
私の子宮の状態では自然妊娠の可能性はゼロに近いけど、こんなこと言ってもらえてなんだか嬉しかったです。


妊娠していなければ数日で生理がくるでしょう。
治療中ではないので、本当にラフに過ごしています。

あと採卵1回頑張ってみたいと思います。

こんな代行業が…

2014-08-27 09:03:48 | 感想
今朝、ある報道番組で「宿題代行業」があることを知りました。
子供の筆跡をまねて、ドリルだけでなく、自由研究や読書感想文まで…
高額なお金を払い、入賞するような自由研究をお願いする親もいるそうです。

代行業をお願いする理由として、
塾や塾の宿題等で学校の宿題をする時間がないとか、
家族で旅行に行きたいからとか…

聞いていて呆れるを通り越して腹が立ちました。
本当に子供の将来を考えているのでしょうか??

私の小学校時代でも、明らかに親が手伝ったような自由研究がありましたが、まだ親が手伝うという形
今はお金を払い代行業者に頼むという、お金で解決しようとすることに疑問を持ちます。

お金で宿題をしてもらうことに当事者である子供はどう思うのでしょう…
そして将来どんな大人に成長するのでしょう…

需要はどんどん増えているようです。

日本の将来が心配です


義実家の防災??

2014-08-26 09:54:38 | 日記(~2023年)
主人と義実家の防災について話したことがあります。

義実家は物であふれています。
避難通路は物で塞がれています。
建物も古く、台風がきたらいつ壊れてもおかしくないと愚痴を言うのに、リフォームや引越しをする気はありません。


「もし災害が起こった時にすぐに逃げられるように通路や廊下は物を置かないほうがいい」
と主人が10年以上前から言っていますが改善される様子はなく…
その避難通路が大切だと分かっているのに、どこか自分にそんな災難が起きるとは思っていない様子
また、片づけるのが億劫なようで何年たっても変わりません。

災害のニュースがある時に、片づけたほうがいいと、それとなく言うのですが…

義実家に住む3人が3人ともアレルギーも20年以上患っているのも、片づけられない、掃除が行き届かないことが原因だと思うのですが…
アレルギーに悩まされているのに、それを改善しようとするわけでもなく
誰かに掃除をしてもらうのも拒否

全身痒くてかさぶたになるまで掻き毟っているのをみると、何とかしてあげたいと思うのですが、今は私も静観するだけ
原因が分かっていて「痒くてたまらない」と言うのに、改善策を考えたり行動に起こすことはしない。
おそらく分かっているんだけど、きっと今のままの方が楽なんだと思う。
環境を変えるってことは大変なことだから…


地震や災害で物の下敷きになって死んでも仕方ないと主人は覚悟を決めているようです。
痒いのも好きでなっていると言うまでに…

私も最近は主人の考えに近くなってきました。
まずは義実家の住人が真剣に考え行動しないことには始まらないと思いました。


私にできることはいつ別れが来ても後悔しないように接することかな??

山も元に戻りたかったのかも…

2014-08-25 10:20:30 | 感想
広島市で発生しました集中豪雨により被災された皆様へ、心からお見舞いとお悔やみを申し上げます。

20日深夜から未明に掛けて記録的な豪雨に見舞われ、大規模な土砂崩れが発生

行政の対応が批難されていますが、深夜ということもあり様々なニュースで避難対応の難しさが言われていました。
行政の指示がなかったから逃げなかったでは済まされません。
命が奪われた後に、行政を責めても命は戻りません。
普段から防災意識を持たないといけないと思いました。

今、住んでいるところは大阪市内で、土砂災害の危険はありません。
津波や水害の危険がありますが、我が家は6階なので浸水被害の不安はありません。
緊急避難用具とペットボトル(2L×6本)は常備しています。
もし、災害に遭ったら他県に住む妹達に世話になろうと思っています。

できることをしないで被害に遭ったら絶対後悔します。
これだけ準備していても被害に遭えば、仕方ないと諦められるかな…



ニュースをみてふと思ったのですが…

「1日でも早く復旧・復興してほしい…」

これは人間誰しも願う事です。
しかし、これは自然にとっても同じなのかもしれないと…

柔らかい「まさ土」という地質を生かし、山を切り開き宅地開発がされたとあります。
山にとっては、以前の山に戻りたかったのかもしれない。

被害を受けた地区の中には、15年前にも大規模土砂災害が発生しているところがあります。
そういう場所に住むのなら、そういう災害に遭う事を覚悟して住まなければならない。

しっかりと現実を見て考え行動することが自分や大切な人を守ることにつながるのだと思います。
もう一度、主人と防災について話し合いたいと思います。

似ている?(2)

2014-08-23 09:18:45 | 感想
お腹に手を当てるとソフトボールの半球くらいの塊が触れる。
身体を動かすとズーンとした鈍痛も時々ある。

子宮筋腫か、チョコレート嚢胞が大きくなっているのだろうか…


ところで、女優の中山美穂さんが離婚の真相について明かしています。

(引用開始)
離婚に至った理由として「長年患っていた子宮筋腫の状態が限界に達していた」時期に「好きな人に出会いました」とし、日本に短期間滞在した際に「彼はそこに合わせて適切な治療方法を探し、病院に頼み込んで入院手術の手配、付き添いまでしてくれました」と献身的に側にいてくれたといい、それから「また元の生活に戻り同じことを繰り返すことは考えられなくなってしまった」
(引用終了)

私もあの時、手を差し伸べてくれる人がいたなら、中山美穂さんと同じように離婚していたかもしれない。

間違った信仰の仕方によって、自分で考え判断することができなくなっていました。
でも、肉体的苦痛が強くなるにつれ、義実家の信仰のあり方に疑問を持ちはじめました。
主人や姑さんに辛さを訴えても、「もう少し我慢しなさい」としか言われない。

病気のことをもっと知ろうとするわけでもなく、医師や病院を探そうとするわけでもなく、神仏に祈る(お経を唱える)のみ
私の為に1日1時間近く必死に祈ってくれることは大変有難いことなのですが、筋腫が消えるわけでもなく、むしろ数年でとんでもない大きさになっているのに、現実より祈ることが最優先でした。
「一心に祈れば救ってくださる」の一点張り

目の前に今にも死にそうな大きな怪我をした人が横たわっているのに、救急車を呼ぶことも、他の誰かに助けを求めることも、手当もせず、側で必死に祈られても…という状況と同じ
今の自分に何ができるか、どう行動すればいいのか考えない点、そして自分で実際に奔走しない点で、じっと座って祈ることは簡単なことのように思えます。
これは本当に相手のことを思っていることになるのでしょうか?


限界に近い時に、状況が変わり手術することができましたが、あのままあと半年我慢しなければいけない状態だったら離婚届を主人に渡していたと思います。
既に、限界に近い時に離婚届を区役所でもらい、書けるところは記入していました。


主人はそれまでの信仰の仕方について間違っていたかもしれないと今では冷静になれていますが、その当時はマインドコントロールのような状態だったのでしょう…
私もマインドコントロールされていたかもしれませんが、肉体的苦痛があった分気づくのが早かったのだと思います。
しかし、姑さんは今も自分の信仰(の仕方)について間違っていないと思っているような感じ…
だって姑さん自身には実害がないのだから仕方ないのかも!?
それにしても普通に考えればおかしいのに、やはりここでも考えること想像力の乏しさが浮き彫りになる。


中山美穂さんも夫のサポートがあれば、ここまで追い詰められなかったかもしれない。
だって、発言の中に出てくる彼がしたことは本来なら夫がすることのはず

親権を放棄して離婚するという決断までかなりの葛藤と覚悟がいったはず
辛い事もあろうかと思いますが、乗り越えていってほしいと思います。



前のブログはこちら→ 「似ている?」(2014年7月12日)

考える・想像する(2)

2014-08-22 09:30:17 | 日記(~2023年)
昨日の続きです。

姑さんは真面目で意地悪なところもありません。
決して根性も悪くはありません。
ご先祖さまや仏様に対する思いは普通の人より強いです。
信仰に対する思いも強いです。

でも、度々、姑さんの発言を不快に感じたり、傷ついたことがあります。
私だけではありません。
事実、姑さんの言動で絶縁状態になっている義姉さんがいます。

悪い人ではないのに…
なぜ、人の気持ちが分からないの?
なぜ、気が利かないのか?
なぜ、空気が読めないのか?

と、ずっ~と疑問に思っていました。

その疑問がようやく解けました。
様々な嫌な事の根源は、考えること・想像力が乏しいことのようです。

考えているようで実はほんの表面的なことしか見ていないし考えていない。
本人はすごく考えていると思っているので、自分の考えが浅いかもしれない等、疑問にも思わない。

自分はこうであると思い込んでいるので、そこからの発展がない。


姑さんが信じる信仰は、導いてくれる人に意見を求め、その通りに生きる事が救われることと思い込んでいて疑問には思っていない様子。

深く考えないから、いつも同じことの繰り返し

例えば、数学の問題で、解き方を教わるのではなく答えを教えてもらっているのと同じ
いつも他人に答えを教えてもらっているので、ちょっとした応用で解ける問題でも解けない
答えを教えてもらうのは手っ取り早いのかもしれません
でも、自分で問題を解くしんどさを味わったり、自分で問題を解いた時の喜びのようなものが、人として成長するためには必要なのではないでしょうか…

本当の信仰は、問題の答えではなく解き方、つまり困難な問題にぶつかってもそれを自分で乗り越える方法と勇気を導いてくれるものではないかと思うのです。


もう姑さんの意識を変えることは難しいし、すべての根源が「考えること・想像力の乏しさ・思い込みの激しさ」という事が分かったので、言動にイライラすることは少なくなりました。


お孫さんに会えない姑さんが気の毒ですが、姑さん自身が意識改革をしないと難しいだろうな…

考える・想像する(1)

2014-08-21 09:31:58 | 日記(~2023年)
「信仰」って何だろう…

「信仰を持つこと」は悪い事ではない。

しかし、「私は信仰を持っている」と断言する人は、自分が信仰しているものが絶対的に正しいものだと信じて疑わないところがあるように思う。

私の親は特に何かを信仰していたわけではなく、本家ではなかったので仏壇もありません。
でも父親はご先祖さまに対しての思いは強く、お墓参りは欠かしませんでした。
母は辛い時期、さまざまな信仰の場に行きましたが、結局自分の納得できる信仰に出合えず、自分自身で辛さを乗り越えようとしていました。

さて、義実家(特に姑さん)は「信仰を持っている」ことをとても誇りに思っています。
私は結婚してから本格的に義実家の信仰に付き合うことになるのですが、私は10年経っても義実家の信仰は受け入れられないところがあります。

信仰の対象と義実家の間にはAさんという人がいて、姑さんは何でもAさんに相談し、その通りに行動することが救われることと思っているようです。

Aさんは観音様の生まれ変わりだとか、すごいお力があると言っていて、そういう力を頂きたい一心に見えるのです。
確かに、人の力ではどうにもならないこと、不思議なことがあります。
そういう力に頂くために信仰をしているような気がしてなりません。
その力を頂くためにはAさんの理不尽な行動にも我慢し、Aさんの導きに従わなけばならないと思っています。

姑さんは小さい頃からこのように誰かの導きに従って生きてきたようです。

自分で物事を深く考えないうちに、Aさんに意見を求め、そのまま実行してしまうことが多々あります。

それによって義姉さんとトラブルになり絶縁状態…
可愛い孫にも会えなくなっているにもかかわらず、義姉さんの頑固さを責め、自分がしたことを反省する様子はあまりない

姑さんは義姉さんの為に良かれと思っているのですが、それが実は義姉さんを傷つけていることに気付いていない。
これまで何度も引用してきた『「良かれと思って」の罪深さ』
本人がそのことに気付かないといけないのだけど…

姑さんは信仰によって自分で深く物事を考えることができなくなってしまったのだ。
相手のことを思っての言動であっても、結構自分中心の考え方である。
自分の発言が他人を傷つけるかもしれないこともあまり考えていない。


『「良かれと思って」の罪深さ』は、考えること・想像力の欠如で、それを本人は気づいていないことによる。


私も姑さんの言動に悩んだり、傷ついたりしましたが、悪気はないし、望んでもどうにもならないことだと割り切れるようになりました。

信仰ってなんだろう…

私は姑さんの信仰の仕方は何だか間違っているような気がする
でも本人が素晴らしいものと疑わず信じているので、何を言っても聞き入れはしない。


信仰とは神仏の力を頂くためのものではなく、どんな状況でもそれを受け入れ生きていく勇気を頂くものではないだろうか…

なんだかな…

2014-08-19 10:03:45 | 日記(~2023年)
お盆の14日は、義家族と共にお世話になっている方のご主人の初盆のお参りに行かせていただき、その後は義実家でお盆のお参り。

姑さんはその方の初盆のお参りに行かせて欲しいとお願いしたようだ。

私の実親の葬儀や初盆、回忌法要の時はお供えを頂きましたが自ら出向いてお参りしたいとの申し出はなかった。
少し遠いとはいえ車で1時間半ほど…

なんだかな~と思ったお盆でした。