イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その40☆ハルマゲドン・シンキング-2010年に寄せて-☆

2010-12-30 22:31:19 | ☆むーチャンネル☆
                         
                          からっ風の吹きぬける「神」の最終戦争予定地・ハルマゲドン (上図)


 ハルマゲドンという言葉をはじめて耳にしたのは、いつだったでせうか---?
 それは、まったく耳慣れぬコトバであり響きでした。僕ら、一般のニッポン人庶民の生活圏からはるか離れた生活圏の、珍しい耳ざわりの、遠い言葉。最初、僕、これのことなんかの丼だと思いましたもん。
 永井豪の劇画「デビルマン」で見かけたのが最初だったのかな? それとも、平井和正の「幻魔大戦」を石森章太郎が慢画化したのを読んだときに見たほうが早かったっけ?
 うーむ…はっきりと限定はできませんが、そのうちのどちらかにまちがいなかったような気がします。
 僕が少年時代をすごした1970年代はいまとちがってのんびり牧歌的な空気が日本各所のあちこちにまだ残っていまして、情報の拡散なんてぜんぜん起こってもいませんでした。
 当時は、ハルマゲドンという言葉に、まったく知名度も市民権もなかったように思います。
 それが多少なりとも知られるようになったのは、僕の小6とときに出た、五島勉さんの「ノストラダムスの大予言」の爆発的ヒットが契機だったんじゃないですかね?
 それがSFファンやら漫画ファンやらの層に少しづつ結びついて、ハルマゲドン認識者の層の裾野をじんわりゆっくり広げていったような気がします。
 しかし、オームやなんたらの影響でいくらかオカルト・タッチで語られることの多いこのコトバなんですけど、元はといえばこれ、「聖書」に出てくる言葉なんですよね。
 ええ、出所は「聖書」---新約聖書のほうの「ヨハネの黙示録」の16章16節です。
 もともとはヘブライ語らしいんですが、いま多く使われているハルマゲドンの語源は、どうもギリシァ語の `Aρμαγεδων のようですね。
 意味は、ヘブライ語の「ハル Har」が山や丘陵、「メギド Megiddo」が地名で、「メギドの山、丘陵」の意。
 なお、「ハルマゲドン」というこの単語、「聖書」のなかでここ一箇所だけしか出てきません。
 実際に使われている部分をちょっと書きぬいてみませうか。

----第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを招集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを招集した。(「ヨハネの黙示録第16章12節-16節」新約聖書・日本聖書協会より)

 なるほど、ここが、ハルマゲドン関連情報の凡ての源泉だったのか。
 なんでも、現在のメギドはイスラエルの国立公園に指定されていて、この国立公園の入口看板には「聖書の預言では、この地で人類最終戦争が起きることになっている」と書かれているとか。
 さらに追加情報としてつけくわえますと、こちら、かのナポレオンがエジプト遠征でこの地に赴いた際、「世界中の軍隊がここで大演習できる」と感心したと伝えられているほど、軍事的に絶好の場所でもあるそうです。
 ま、いずれにしましても、こちらが多くの人々から「将来、人類の世界最終戦争が起きる場所」として認識されている、という事実は重要でせう。
 なぜなら、僕ら日本人は、一般的に「なに、予言? マジでっか、それ?(なぜか関西弁のイントネーションで)」なんてついからかいのまなざしを投げちゃうような、現実的な凡俗体質をわりかし持っちゃってますから。「ハルマゲドン」なんていわれても、その妙な語感に対してギャグで返しを入れたくなる、多神教民族ならではの、根っからの不謹慎茶々入れ体質とでもいいますか。
 しかし、これらの凡俗的な僕らの感性が、世界的規模でも通じるとは思わないほうがよさそうですね。
 というのも世界の大部分に生息している民族のうち、「聖書」を信仰のよりどころとしているひとたちの比率は、なんと地球総人口の半数以上を占めているんです。ユダヤ教徒、イスラム教徒、あと、キリスト教徒のすべてがそう---彼等にしてみれば、「ハルマゲドン」はギャグどころじゃない、マジそのものの場所ですよ。下手にギャグなんかやったら、命だって落としかねない。信仰ってコワイですから。その意味で、そういった全世界の諸々の、無数の信徒の信仰が雪崩れこんでいく場所としての、こちら「ハルマゲドン」は、やはり全地球史的な要所なのではないか、とイーダちゃんは考えないではいれません。
 ほんというといまでも「ハルマゲドン」をいささかオカルティックな、半ばSF的・残り半ば幻想的みたいなイメージをかぶせて見てみたい気持ちが自分のなかに少々残ってるのを感じるのですけど、たぶん、これって対岸の火事みたいに、あえて離れた場所から高見の見物を決めこんでいたい気持ちがいざなう、一種の自分だましなんでせうね。
 ええ、きっとそっち方面に解釈しちゃいけないんです。
 いわゆる「ハルマゲドン」を物語的な幻想としてじゃなく、厳然たる歴史的事実として向きあわなくちゃいけない季節が、近未来において巡ってくるような気がします。というより、あえてそっちサイドからの心的準備をしておいたほうが、これからの時代はむしろ現実的で生きやすいように思えてならないんです。
 予感? ええ、あえて言葉にすると予感というしかないでせうねえ。
 なんとなく---DNAからの警告みたいな漠然とした印象説明しかできなくて恐縮なんですが…。(^.^;>

 ただ、このようなおどろおどろしい「ハルマゲドン」なんかを表に出さなくとも、いわゆる「ハルマゲドン危機」めいたものを日常ひしひしと肌で感じてるひとは、いまの世の中にたくさんいらっしゃるだろうと思います。 
 高度経済成長のころ---あるいはバブリーな80'Sのころ---なら、そのようなことをいうとそれこそKYとして袋叩きにされたもんですが、さすがにいまじゃこの種の「人類文明の通せんぼ」を実感として感じていないひとはいないでせう。
 そんなものはまったく感じていない、人類の未来は薔薇色だ、とあくまでいい張るひとがあるとしたら、恐ろしく鈍感な方であるか、もしくはなんらかの利権のために白を黒といいくるめることを生業としていらっしゃるかの、たぶんどちらかでせう。
 あえて悲観論をもてあそぶつもりはありませんが、人類に明日がないというのは極めて明晰な判断だと思います。
 だって、どっからどうみても、このまま立ちゆく道理がないですもん。
 
 たとえば---
 ひとつ。いま現在、ほかの生物種が1年に5万~15万種! の規模で絶滅している。
 ふたつ。中国の経済成長に伴う超・公害の発生で、中国国内においての奇形児の出生率が本年度14パーセント! を突破した。
 みっつ。アメリカのサブプライム・ローン破綻の総被害額は、すでに6000兆円!---うわ。もうどうしようもないよ、この額じゃ---を超えているが、さらに2011年度には、シティ・バンクの倒産すら確実なものとして見こまれている。

 うわあ、どうするのよ、これら…?
 どれをとっても、とことん破滅的。ことごとくが国家デフォルトと戦争に行きつくような致命的な事実ばっかりじゃないですか。
 いささかうさん臭げなオカルト「予感」コース側からたどっても、反対側の事実列挙の科学的分析サイドのコースからまわっても、所詮はおんなじ「ハルマゲドン」的決着にもつれこんでいっちゃうというこのふしぎ---。
 せっかくの機会ですからオカルト・サイドからの「ハルマゲドン的証言」をもう二つ、三つ挙げておきませうか。
 
----日本の国は雛型であるぞ。 雛型でないところは真の神の国ではないから、よほど気つけて居りて呉れよ。 今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ。 まったく雨の降らない雷鳴が一日中鳴り響き、三日三晩続くとき、その後に三度の火の洗礼(火事と洪水)があり、恐るべきことが起こるぞ。 地震、雷の火を降らして大洗濯するぞ。 江戸がもとのすすき原になる日近づいたぞ…。(岡本天明「日月神示」より)
 
 ああ、怖い…。何度も読んでるけど、いざ、この文章を書き写すとなると、これ、はじめて試みましたが非常に怖いですねえ。
 日本には、聖徳太子の「未来記」のころから予言の伝統があり、これは、あの大本教の出口王仁三郎の弟子筋にあたる、岡本天明氏の手によるものです。
 これによると、近未来、ニッポンはどうも海外の勢力に上陸され、蹂躙されたあげく、さんざんな目にあうらしい。
 まったく雨の降らない雷鳴ってのが特に怖い。これは、ひょっとしてプラズマ兵器のことじゃないでせうか?
 さらにもうひとつ、日本の誇る大霊能力者にして大予言者でもあるところの、出口王仁三郎氏の言葉の引用いきませう。

----シベリヤ狐は死にたれど 醜の曲霊は種々に 妖雲を呼んで東天は 北から攻め入る非道さよ オホーツク海や千鳥船 カラフト島をゆさぶりて 暗雲低く仇鳥の 舞い下がり上がる恐ろしさ 北海道から三陸へ なだれのごとく押し寄せる ここを先途と連合の 戦いの場や神の国 華のお江戸は原爆や 水爆の音草もなき 一望千里の大利根の 月の光も哀れかし 残るは三千五百万 ○○○○○○の旗の下 どっと攻め入る○○○○の○○○○沿いや人の無く 非義非道の場所せまく ○○○○○○○○○○ あわれ崩るや○○○ 血汐に赤き続一も ○○○○の殺戮も ここに終りて神の子は、再び原子に還るぞかし (出口王仁三郎「霊界物語」より)

 聖書の「ハルマゲドン」とちがって、こちらの日本の2書が述べているのは、祖国・ニッポンの断末魔の未来のようですが、うわあ、マジ怖いですねえ…。
 岡本さんも出口さんも只者じゃないお方ですから、筆先にもただならぬ力があり、キーボードでこうして書き写しているだけで、なにか憑依されているような、イタコチックな重みを感じます。
 「ハルマゲドン」ならまだ遠い異国での破滅物語として、いくらかの心的逃避も可能なんですが、舞台が日本に限定されてしまえばそうもいかない。想像力の遊びの余地が取り払われてしまうわけで、目のまえで危険な刃物を振りまわされているような禍々しい感触がぐわーんと直接きちゃう。となると、これ読んで、なかには怒りだすひともでてくるんじゃないでせうか。
 しかし、イーダちゃんの予測と兼ねあわせてみるなら、この偉大な2書の警告、いよいよあたってきてるって感じがひしひしとしますねえ。
 予言というよりは、これ、もう近未来のデッサンかもしれない。
 僕は、「戦争」という産業でここ何十年と喰ってきたアメリカの軍産複合体が、だんだんジリ貧になってきたいま現在、ワシントンや各国政府のマスコミごと巻きこんで、起死回生の新たな戦争惹起をもくろんでいるような気がしてならないんです。
 新たなベトナム戦争っていうか、そういう類いの、ま、それは彼等なりの生業というか商売なんですが。
 で、今度彼等に狙われてるその舞台というのが、日本なんじゃないか、と僕は睨んでるわけなんです。
 相手国として想定されているのは、うーむ、中国あたりが臭いんじゃないかなあ…。(^.^;>
 根拠のない病的な空想といわれちゃそれまでなんですが、そうやって読むと、いま現在の世界の流れなんかと案外重なってくる気がしてきやしませんか? 2書の予言とも状況だんだんあってきてますしね。ま、ホントいうと、まったく重ならないというのがいちばんの理想なんですが---。

 いずれにしても容易ならぬ未来が我々のすぐ足元までやってきている、ということはどうやら否定できない事実のようではないですか。
 予言や「ハルマゲドン」をまったく知らなくとも、誰だってそれくらいは分かります。本能と勘と無意識とでね。
 アメリカの16都市が破産宣言をした、というニュースがいまさっきネットから入ってきました。
 なんというか、すさまじい流れですよ。まるで、人類の過去の業 (カルマ) の清算期にむりやり立ちあわされているような気分です。
 目のまえに次々と垂れこめてくるこの重苦しい暗雲の群れ---これらををどう払い、どう前進するのか?
 それが、2011年の僕等に課せられた、宿命的な課題なのではないか、と思います。

 超・重い話になっちゃってスミマセン---政治ネタは重苦しくなるから嫌いなんですが---いちどはこのネタを展開しとかないと、このブログ全体が嘘くさい綺麗事になってしまうような気がして、この年の瀬の際に、あえて苦いコトバを振りまかさせて頂きました。
 乱文多謝---最後まで付きあってくれてありがとう---どうか、良いお年を---。 M(_ _)M
 

 

 
 
 

徒然その39☆コンノケンイチ氏を擁護する☆

2010-12-26 06:40:47 | ☆むーチャンネル☆
                                
                             ----地上とは思い出ならずや?(稲垣足穂)


 迫害されてるひとが好きです---。
 と、こんなつぶやきを放り投げただけじゃ、いかにもマゾヒスティックな誤解を招いちゃいそうだけど、自分内部のこの根本の感情だけはどうにも欺けません。
 いつだってどこだって、迫害され苦悶してるひとを見ると、イーダちゃんの心は、迫害されているひとのほうに向き、即座に彼等に感情移入してしまう。彼等の内心の立ち位置につい寄りそってしまう。

----待って。君のいってるのは、ひょっとして判官びいきのことじゃないのかな?

 と、突っこまれたらにべもない、図星、これ、たぶん判官びいきなんでせうね。
 あえて否定はしません。こいつばかりは理屈じゃないんです、感性なんです、だから、なおのこと始末がわるい。
 以前から「トンデモ本」といった呼称には、イーダちゃんは、かすかな反感をずっともってました。
 しかし、誤解なきよう、これは「トンデモ本」と呼ばれている本側にじゃなくて、「トンデモ本」というレッテルを張って新鋭のひとびとの言説をからかい、おとしめようとする、いわゆる「トンデモ本」攻撃委員会といったような人々に対しての、半ば本能的な反感であり反発なのです。
 「トンデモ本」という呼び名自体、これは非常に政治的な呼称であると思いますね。
 内容を否定するためというより、笑い物にするために使われている呼称のような気がします。
 たしかに一般の「トンデモ本」と称される本のうちには、キテレツで、見るからに稚拙な内容のものもあります。
 スキャンダラスなはし書きでもって一瞬の注目だけかき集め、あとは野となれ山となれ的立場の本も結構多い。けれど、全部が全部そうであるわけじゃない、読みながら思わず、おお! と呻いてソファーから立ちあがっちゃうような、素晴らしい内容の、説得力にあふれた本もいっぱいある。
 なのに、そういった興味深い内容について吟味もせず、現行のいわゆる「科学常識」の枠に収まっていないという点だけをあげつらい、それに「トンデモ本」というからかい風味のレッテルを押しつけて、嘲笑い、さらにはおとしめる---このような動きって、ある意味、もの凄く権威的な押しつけなんじゃないでせうか。
 要するに、イーダちゃん的視点から見るなら、彼等はある程度「権力サイドの走狗」として見えちゃうわけなんですよ。
 そこまでいわないにしても、彼等のやっていることは、とどのつまり「思想警察」みたいな役割じゃないか、と思っちゃいますよね。なにより、この手の「トンデモ本攻撃サイド」系の本には、特定の著者のないケースが多い。いわゆる匿名の共著といったようなケースがあまりに多いんです。
 匂いますよね---なんともいえない、かぐわしくて怪しい政治の薫りが。
 率直にいわしてもらうなら、共著ってよくない形式だと思うんですよ。アメリカあたりでは特定の著者でない、寄せ書き形式の教科書は学校じゃ使わないっていいますもんね---著者がないと感動もないから。
 しかし、いわゆる「トンデモ本攻撃サイド」系の本の大部分がこの形式をとってます。
 そうして、この手の本を読んだあとの印象といえば、後味がいつもわるい。要するにまっとうな議論じゃなくて、陰口を集めてアルバムに仕立てたモノをむりやり見せられたような気になっちゃうんですね。感動はおろか、学びのかけらすらあまりない。
 月刊「ムー」さんとか、こちらの代表的な書き手であるところの、サイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄さんとかが、よくこの手の「トンデモ本攻撃サイド」の標的にされてますよね。飛鳥先生の場合なんかは「トンデモ本攻撃サイド」との争いがもつれにもつれ、たしか裁判までいったんじゃなかったっけ?
 はて? たしかニッポンっていうのは言論の自由が保障されていた国のはずだけど…。
 と、ここでそのような素朴な疑問が湧いたとするなら、貴方の勘はなかなか鋭い。
 ええ、たしかに建前ではそういうことになっています。僕等はどんなことについても自由な意見を表明できるはず。ただ、実際に「大衆的良識」といったゾーンからあまりに乖離した言論を特定の個人が表明した場合、我らがニッポンはそれを封殺しようと動きだすケースがあまりに多いような気がするんですよ……。

 というわけでいささか枕が長くなりましたが、コンノケンイチさんです---。
 この方、自分では空間物理研究家と名乗っておられます。
 この肩書きだけでもそうとうユニークなのに、前職が雀荘の親父だったというんだから、もうサイコー。
 アカデミックな堅苦しい学者さんタイプとはまるきり異人種の方だっていうのが、この経歴だけで充分判ります。市井の暮らしをたくましく生き抜いてきて、世情にもよく通じた、肝の太い佇まいと度胸とが感じられるじゃないですか。
 さらにはこのコンノ先生の提唱してられる2大主張っていうのが、また傑作なんですよ。

 その1:アインシュタイン相対性理論の否定
 その2:ビッグバン宇宙論の否定

 おいおい、そんなこといっちゃっていいの? と思わずこっちの腰が引けそうになるくらい。
 なんと、20世紀最大の学者といわれる、アインシュタイン、ホーキング両氏の提唱したそれぞれの2大理論を、コンノ先生は20世紀の2大虚妄としてきっぱりと退けてるわけなんですよ。
 これは、はっきりいって凄いことです---アカデミズムに対して完璧弓を引いてるわけですから。
 すわ。現代のドン・キ・ホーテかって感じですよね。ドン・キ・ホーテが嫌だというなら別にガリレオでもいいですけど。
 ただ、権威的な視点から見るとたしかに異端っぽく見えるんですが、いざコンノ先生の論旨を聴いてみると、あれれ、案外これがまともなことをおっしゃっているんですよ。というか、最先端の量子力学の研究成果を踏まえたうえでの、非常に説得力にあふれる、科学的な論旨を展開してられるんです。
 たとえばそれはこういった設問です。

----われわれが見ていないときは、空にかかる月は存在しないのでせうか? (アルバート・アインシュタイン)

 こんな問いを投げられた場合、僕等のとる反応はまあ決まっています。
 僕等は自分の住む世界の普遍性を常識として信じてます。自分が生まれるまえからこの世界は存続してきたのだろうし、自分の死後もその存続はつづくのだろう、と、あたりまえのように思ってる。
 この考えはあまりにも僕等の頭脳深くまで染みついてしまっているため、あえて取りだしてこの考えを検討するという行為自体がかえって難しく感じられるくらいです。いうならば経験則ですね。
 しかし、この経験則、量子力学の世界じゃすでに否定されているとしたら、貴方、どうします?
 実をいうなら、先端科学の分野では、もうとっくに唯物論は「科学的に」否定され切っちゃってるんです。
 しかも、幾度にもわたる実験と追試のおかげで、その事実が証明までされちゃってるんですよ。
 唯物論は否定され、古-いにしえ-の唯心論がみるみる息を吹きかえしてきたというわけ。
 ですから、量子力学的視点で、さきほどのアインシュタインの問いに答えるとこうなるのです。

----貴方の意識が、夜空にかかる月を創造しているのです…。

 えーっ!? と思いますよねえ。
 僕もそうです、まったくの話、経験則じゃあこの理屈は絶対に理解できない。
 けれども、これは思考実験なんかじゃなくて、れっきとした最先端科学の、すでに証明済みの結論なんですよ。
 うーん、僕がこれ以上言葉を連ねても、五里霧中の度合いが深まるだけと思えますので、そろそろコンノ本から引用いきませう。

----「シュレディンガーの猫」のパラドックスに見るように、観察するという意識と行為がなければ、「この世」は存在しないと考えることを余儀なくされるからである。科学者が研究して観察するという行為そのものが、本当は自然を究明しているのではなく、想念によって客観的な存在を造り出しているというわけである。
 まことに呆然とすべき幻想的な結論ではあるが、いまだかつて量子力学の予言は外れたことはない。これまでの量子力学の統計的予測に基づいた実験検証は常に的を射ており、したがってこれはまさに正しい結論だといえる。この世はバーチャル・コンピュータとホログラムが合体した幻覚的リアリズムの世界という考え方を受け入れなければ、量子力学は科学として適用できなくなるのである。
 いま最先端科学が認識つつあることは、古典科学では考えられなかった人間の精神力(主観)というものが、エネルギーとして深く潜在しているということだ。
「この世」の実体は、我々の意識とは無関係に形成されているのではなく、人間の精神と自覚そのものが「存在」を創り上げていたことになる。こうした意味で量子力学は、まさに「悟りの哲学」である仏教と区別できなくなってきているのである……。(徳間書店「死後の世界を突きとめた量子力学」より)

 どうしてどうして……「トンデモ本」なんてトンデモない、立派な、いい内容の本ではないですか。
 たしかにいくらか気ち○いじみてるきらいはあるけど、最先端の科学が市民的常識から乖離していく傾向なんて、ほとんどもう常識でせうから、いまさらそれに声を荒げる理由がいまいち飲みこめませんねえ。
 アインシュタイン---否定されたってべつにいいじゃないですか---相対性理論だって所詮は仮説なわけですし。
 仮説は「眼鏡」---いわば、この世を認識するための覗きからくりではないですか。
 「眼鏡」が現実に合わなくなってきたなら、新しい「眼鏡」を新調すればいいのです。
 ビッグバンにしたって、いま欧米で「ゴー・トゥー・ヘル・ビッグバン」というのが最先端科学の合言葉になってきていることくらい、そっち系のアカデミズムに興味のあるひとなら誰でも知ってます。
 なぜ、「眼鏡」の新調をそうまでして渋るのか。
 というより、なんだって「眼鏡」自体をそこまで聖化しちゃうのか。
 所詮は「眼鏡」、世界を覗くための人間のからくり道具にすぎないものなんですよ。
 イーダちゃん的視点からいくと、いちばん分からないのは、異端的とされる言説にむやみやたらと噛みついていく、貴方たちの狭量で凶暴な精神構造のほうだよ、とまずはいいたいですね。
 どうしてあれほどコンノ言説をヒステリックに叩かなくちゃいけないのか。
 コンノ理論を否定して、相対論の権威の城中に閉じこもることでなにか利点でもあるんですかね。
 ちょっと嫌味ないいかたになっちゃいましたけど、「眼鏡」のブランドにこだわってヒステリックに吠えたてる貴方たちの態度ってあまり科学的ではないと思います。

 ま、ほんとに科学通の方から、じゃあ、お前は相対論を理解しているのか? 理解しているなら説明してみろ。
 といわれたら僕も弱っちゃうんですけど…。(^.^;>

 しかしながら、コンノケンイチ氏の本は実際面白いですよ。
 それに、量子力学のいってることって、晩年の三島由紀夫がよくいっていた「唯識」仏教の啓示する世界観に、なぜだかとてもよく似てるんですね。
 うーむ、ふしぎ。むかしのひとのほうが聡明だったんでせうかねえ……。
 そのへんはちょっと分かりかねますが、巷にいう「トンデモ本」の代表選手であるところのコンノ氏の著作を、正月向けの推薦図書として是非にも押したいなあ、と目論んだりもしている師走の町のイーダちゃんなのです。(^.-)v

徒然その38☆独断と偏見の Beatles ベストテン! PART1☆

2010-12-25 09:11:31 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                                  

 あのー あらかじめ断っておきたいのは、これはあくまでイーダちゃん主導の遊びのランキングだということです。
 ですから、あまり本気になって怒ったりされませんように。4人グループなのにポールの曲が1曲もないのはどういうわけだ! とか、後のロックの礎となった後期の曲が少ないのはどうにも解せん! とか---むきにならないようお願いしたいと思います。
 むかしっから僕は骨の髄までのジョン・レノン・フリークなんですから。
 死んだってこれは矯正できないと思う。でも、とどのつまり、批評の主軸は、主観をよりどころにするしかないですからね。
 客観的たろうとするのはいい。しかし、そのために主観を捨てたら、これは本末転倒というものでせう。
 完璧な客観なんて哲学的にいってもギャグ以外の何物でもないですしね。
 異論があるのははなから承知---しかし、どうでもいい能書きはあとまわしにして、そろそろ本番いきますか。はい。

----じゃーーーーん! (トここでア・ハードデイズナイトのイントロのG7sus4が鳴ったつもり)

<No.1 I Want To Hold Your Hand >
 さんざん迷ったんですが、ナンバーワン・ソングは、やはりこれ以外にないでせう。
 何度聴いても歌いだしが覚えられない謎のイントロといい、C→G7→Am→Em という影を含んだやや無茶でふしぎな展開といい、それらの音楽の展開のうえに安々と大股で乗っかって、極上の張りに満ちた声を心もちかすれさせながら、青春の喜びと苦みとを同時にふりまきつつぐいぐいと強引に邁進していく、若きジョン・レノンの味わいここに極まれり、の一品です。
 これ、ジョンのベスト・ヴォーカルのひとつだと思うな。
 書の名人でもときどきいるじゃないですか---筆を紙からもちあげる際の、ほんのわずかな墨の歪みですら表現として光り輝く、みたいな。
 この時期のジョン・レノンがまさにそれですね。小林秀雄流にいうなら「吐いた泥までが輝く」---明るい場所から暗い曲がり角(Am→Emの部分)に入るときの声の一瞬の翳り具合が、全力でシャウトする直前の声の一瞬のため加減が、首をふってロングトーンの雄たけびをあげるクライマックスの声の爆発が---すべてが極上の表現としてここに結実している。
 これはどうやっても、狙ってできるような類いのものじゃありませんや。
 アタマ始発のプロジェクトじゃぜんぜんない。頭と身体が同時進行で進んで、最終的におんなじエクスタシーを共有してる。
 まれにみる奇跡といってもいい。そういう意味でイーダちゃん的には、このころのビートルズは、後期の「サージェント・ペパー」や「リボルバー」も及ばないはるかな高みにいたような気がします。後期のはある程度狙ってやってますからね。少なくともまるきりの無心じゃない。ところが、このころのビートルズはまっさらの無心ですから。その差はでかいと思います。
 そんなジョンの極上ヴォイスをさらに際立たせるように鳴ってる、ポールの声もとてもいい。いい仕事してます、ポール。ポールの声はいつでもジョンをよく引きたたせてくれます、極上のトロを引きたたせるワサビみたく。
 あと、リンゴのドラム。これが極めて並じゃない。何度聴いてもうまいとは思えないんだけど、ビートルズのドラムはやっぱりこのひと以外はないでせう。
 ブラックで、後ノリでいて、しごくシンプルなんだけど、いかにもハート・ウォームであり、ときとしてほんのりキュート、あと、立ちあがりの上りの部分がちょいとシャイでいて---。
 いずれにしてもグーなコンビネーション、いいバンドで、いい曲ですよ。
 青春期特有の青さと苦さの両面を、これほどみずみずしく表現した曲って少ないんじゃないかな。
 そういう意味でこれは、イーダちゃんにとって「恩寵」みたいな、いまも特別な1曲となっています。唯一無二の凄い曲ってわけ。
 最後のコーダ前のE7---I Wanna Hold Your Hand~! の ~の伸ばし部分では、いつでも聴いていて心ごとぐにょりとよじれます。ああ、胸がイタイ…。フルヴェンやマリア・カラスより上かもね。ほかの曲と同一線上で比べることのできない、一期一会の、スペシャルな王冠ソングです---。

<No.2 She Loves You >
 No.1 が「抱きしめたい」でNo.2 が「シー・ラブズ・ユー」となると、月並すぎてがっかりするひとがあるいはいるかも---。
 でも、御免なさい、この2曲だけはどうあってもちょっと譲れません。
 僕がこの曲をはじめて聴いたのは中学の昼休みの校内放送だったのですが、校内スピーカーからの極悪モノラル音だというのに、ジョンとポールのイェーイ、イェーイに、心、ざわざわ震えましたもん。
 聴いた瞬間のインパクトの強さに限っていうなら、この曲、抱きしめたいより上かもわかりません。
 いま思ったんですが、60'Sを吹きぬけたビートルズという現象を誰かに説明する場合、もっともふさわしくて分かりやすい名刺代わりになるのは、もしかしてこの曲かもしれませんね。
 そのくらいこの曲には、ビートルズというバンドの魅力がみっしり詰まってます。
 爆発寸前なくらい、ギチギチに詰めこまれている、といってもいい。
 前のめり気味に駆けだすドラムロールに、いきなりかぶってくるジョンとポールの全力コーラスがまずたまらない。
 ほんの5、6秒の、イントロぬきのこの歌のはじまりに、すべてを賭けちゃってるんですからねえ。この関を切ったみたいな熱気と尋常じゃない勢い---ペース配分まったく無視のこれだけでも相当に無茶な試みなのに、それが歌の終りまで萎むことなく、うねるように疾走しつづけるんですからあきれちゃう。普通、こんなことやれませんって。
 ビートルズの上り調子の爆発的ベクトルを象徴するような、極めつけの1曲---。
 これ聴いて、胸がイタなくならないのは、ひととしてどこかまちがっている気がします。(^.^;>

----ぜんぜん関係ないんですけど、RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」のなかで主人公が屋上で聴いていた曲って、たぶんビートルズの初期ナンバーじゃないですかね? 僕は、「抱きしめたい」か「シー・ラブズ・ユー」あたりが臭いと思う。ストーンズも考えたんだけど、初期のストーンズに青空はちょっとばかり似合わんでせう? 「フロム・ミー・トゥー・ユー」や「プリーズ・プリーズ・ミー」でもむろんありなのですが、やっぱり「抱きしめたい」系であってほしいなあ。

<No.3 I Feel Fine >
 イーダちゃんは、この曲、中学のとき、TVかなんかのCMで偶然聴いたんですよね。
 一瞬でブッ飛びました。
 なんですか、これ? 以来、ずーっとブッ飛びっぱなしです。
 まじめな話、これだけ「翔んだ」曲に出会ったことはあれ以来いちどもないんですよ、残念ながら。
 なんというか、これ、幻視者の曲ですよね---僕は、これ聴くごとにランボーの「見者の手紙」なんかを連想するんですよ---だって、明らかにこの曲、常軌を逸してますもん。ジョンの後期の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」とか「ルーシー」より翔んでるんじゃないかな。ジョンはもともと幻視者一族の末裔のような立ち位置の詩人なんですが、いま挙げた2曲では、まだ書こうという意志が結構感じられたりするじゃないですか。レコーディングという仕事に対する、一種の息苦しい義務感みたいな。いうなれば計画出産みたいな、役所の香りがかすかにするんです。
 でも、この曲は、なんか天気のいい日に、プール際でクスリをキメながらギターをいじっていたら、たちまちポカンと1曲できちゃいました、みたいな安産の気配がするんですよ。つくった、というより、できちゃった、というような---ある意味、とっても南国的な---。
 そういった自由気ままな風情が、たまらなくカッコいい曲です。
 国籍不明のリンゴのラテン・ドラムがまた実によく効いてます。
 この曲でジョンが見せてくれる、いなせな歩きっぷりの見事さときたら!
 音楽の定石に絡めとられたベテラン・ミュージシャンには絶対生みだせない曲でせう、これは。
 イントロの落下フレーズは、強いていうならブルース・コードのブレイク・パターンの変形と読めないこともないのですが、ジョン・レノン独自の超・半音階が(あれ。なんか、ここの部分モーツァルトの記述みたいだゾ)無茶苦茶に多用されているせいで、ブルース的世界からはるけく隔たった、サイケデリック・ワールドみたいな白日の異世界を現出させちゃってる。
 この曲は、まぶしいです。
 サングラスをかけても、レンズの隙から漏れてくる夏日がぎらぎらとまぶしい、あの感じ…。
 この日差しは、季節も、時間も、世間のルールも超えて、貴方の魂をまるごと照らしだします。どんな嘘も隠れられない。この日差しから隠れる場所って、たぶん、ないんじゃないでせうかねえ。
 あらゆる意味で、天才ジョン・レノンを実感できる怖い曲だと思います---。

<No.4 Rock And Roll Music >
 天性のヴォーカリスト・ジョン・レノンを味わうのに、これは格好の1曲です。
 元々は恩師チャック・ベリーの曲なんですが、チャック・ベリーのオリジナルがどこかスカスカのしょぼい印象が否めないのに対し、ジョン全盛期のこのカバー・ヴァージョンは、もう硬質硬派の極みみたいな見事な出来に仕上がっています。
 この路線のカバー名曲はそれこそビートルズ初期には腐るほどあって、「ユー・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」とか「デイジー・ミス・リージー」とか、どれを選ぼうか少々迷ったのですが、結局これにしました。「ツイスト・アンド・シャウト」もなかなかに捨てがたかったんですが、まあ、たまたま今日はこっちの「ロックンロール・ミュージック」のほうを選んじゃった。けど、本来的には日替わり順不同ということとで処理してくれれば、それでいいかも。
 だって、ここでのジョン、ぴかぴかにきらめいてるんですもん。
 なにをやっても決まっちゃう---歌いながら含み笑いすれば、そこがカッコいい。音程がじゃっかんフラットすれば、今度はそこに投げっぱなしみたいな、かすかにニヒルな風情が生まれてみたり。
 いうなれば自由自在。これだけできれば、そりゃあ歌ってて楽しいだろうと思います。それに加えて、ジョン独特の、ナイフみたいな攻撃性が加味されるわけでせう? これは、やっぱりロック・ヴォーカルの教科書とでもいうしかないですよ。
 この曲を歌うジョンは、ええ、さながら光の国から脱藩してきた不良王子のごとし、です。
 しかも、これ、ワンテイクのみの、ほぼぶっつけ本番のレコーディングだったというんですから、びっくりの二乗です。
 イーダちゃんはよく思うのですが、ジョン・レノンのベスト・ヴォーカルって、自分の声を見せびらかすように歌っていたこのころに尽きるのではないかなあ。後年になると、このひと、自分の声を加工しはじめるじゃないですか。ちょうど「リボルバー」のあたりからでしたっけ? これだけいい声してるのになんで? と僕なんかは思うのですが、どうやら話を総合してみると、ジョンはどうも自分の声が嫌いだったようですね。
 むーっ、もったいなすぎ---天才の考えることはよく分からん…。(xox;>

<No.5 Tell Me Why >
 アルバム「ア・ハードデイズ・ナイト」のなかの1曲---。
 作者であるジョンは「NYの黒人ガール・グループみたいな曲」といっていたそうですが、なーるほど、いわれてみればたしかにそっち系のニュアンスもままありますね。ただ、いちどこのビートルズ・ヴァージョンを聴いちゃうと、団子状の音のインパクトがあまりに強すぎて、NYのガール・グループのことなんて<のほほん>と連想している余裕はまずないですね。
 トリプル・トラックのジョンのひとり3重唱の歌いだしだけでも、これは相当のインパクト---。
 というか、うるさいくらいにパワフルなんです。中学生の僕は、最初にアルバムでこの曲を聴いたときは心底たまげました。
 ロックがうるさい、とはたぶんエルヴィスのときなんかからいわれていた一般的意見だったんでせうが、それでも当時の白人ロック・シンガーは、やっぱり過去の Jazz Vocal の伝統をはみださないように、意外と丁寧に、滑らかに歌っているんですね。ヴェルベット・ヴォイス的に声にまずよそ行きの衣装を着せて、さあ、舞台で歌ってきなさい、みたいなニュアンスといいますか。
 そういったリスナーへの上品な配慮といったものが、この曲においてはかけらもない。
 地声で思いっきりがなりたてる、ジョンの声のこの無礼な轟きを聴け! とでもいいたいですね。
 特に後半部、If there's anythin' I can't do のところの裏声の3声スキャット---ねえ、これ、まったく揃ってないんじゃないの、ジョン?
 プロの歌でこんなハチャメチャなのを聴いたことがなかったイーダちゃんは、これ聴いたときは、マジびっくりでした。
 で、またレコードをとめて---レコードって単語に泣けますね、嗚呼、レコード時代!---針をもどして、もう一度この曲を聴きなおしたもんです。そしたら、またまたびっくりした。2度目なのにね。いまじゃもう300何度目あたりになるんでせうが、いま聴いてもまだちょいびっくりしますもんね。ここに封じこめられた音楽パワーは凄いもんですよ。
 まったくもって耳に優しくない---そのあたりの感性がとっても素敵です。
 いまでこそラップとかオルタナティヴとかさまざまな音楽ジャンルが生まれてきましたが、ここまで尖っている音楽はそうないように思います。音楽が商売になってしまってからというもの、シンガーはまずスポンサーやらレコード会社やらに配慮するようになっちゃいましたから---あと、PTAとか都条令とかにもね。
 それじゃあいかん、いかんぞう、とイーダちゃんは心から世情を憂います。
 管理された、誰の耳にも優しい、誰の立場も傷つけない、甘口の、お利口な音楽に未来はありません。
 本当の自由がつまっているのは、ジョンのこの< Tell Me Why >のコーラス部みたいな、ハチャメチャな音楽のなかじゃないか、と思います…。
 
                                                               (第一部、了) 
  P.S.ちょい遅れたけどハッピー・クリスマス。 (^.^;>

 

 
 

徒然その37☆安達哲の初期作品「キラキラ!」について☆

2010-12-17 14:13:21 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                              

 安達哲さんといえば、あの大ヒット作「お天気お姉さん」とか、キュートなのか枯れてるのかよくわからない、日なたぼっこみたいな佳品ともいうべき「バカ姉弟」だとか---がなんといっても有名ですが、デビュー作から2作目にあたる初期作品に「キラキラ!」というのがあるんですよ。
 20代の後半のある1時期、イーダちゃんはこの作品にめっちゃハマっておりました。
 これだけひとつの作品世界にのめりこむことはもう2度となかろうって思えるくらいのハマりよう---朝から晩までこれの全8巻に読みふけっていて、気づいたらまる1日が暮れちゃってた、みたいな週末がたしか2度ほどあったように記憶してます。それくらい、この「キラキラ!」が好きでした。
 安達哲さんは、胸がきゅーんと痛くなるくらいの切なさが身上の抒情作家です。
 抒情作家の旬って案外短いんですよね---なんといっても「感性」一発の世界ですから。
 その旬をめいっぱいつめこんで、恥ずかしげもなく思いきり青春の汗やら涙やらを振りまきながら輝いているこの「キラキラ!」---私見でいわせてもらうなら、僕はこれ、安達さんの最高傑作と思っています。

 ストーリーはというと、ま、ありふれた学園青春モノという分類にあたると思うんですけど。
 主人公は、冒頭にUPした表紙写真のむかって右側にいるほうの男の子。彼、作品内で自己紹介めいたことをちょっといってるんで、それ、ここでちょい使わせてもらいませう。

----オレ 杉田慎平 都立高普通科の二年生 生活は毎日煮つまってる…。 (講談社「キラキラ!」より)

 だそうです---うむ。
 
 この杉田慎平クンが煮つまった退屈な高校日常に活路を求め、青晶学園というという私立の芸能科に転校するところから、この物語ははじまるんですね。
 物語全体の舞台であるこの青晶学園というのは、芸能科の存在をウリに生徒を募ってる高校なんですよ。
 客引きパンダならぬ生徒集め用特別部隊といったところです。学園側も特別扱いして甘やかしているし、まあ、彼ら自身も甘やかされることに慣れきっている。そうして、華やかで刺激もいっぱい、芸能人が半数近くもいて、恋バナもそこいらじゅうにあふれているような、この新たなる学園生活のなかで、慎平クンは表紙の左側にいる美少女、当物語のヒロインであるところの戸田恵美理とまずもって出会うわけ。
 で、さまざまな人間模様とロマンスをはらんだ物語世界のはじまりはじまりーっ!
 てなわけなんでありますが、この漫画、スタートからほんとに瑞々しいんですわ。
 最初は、芸能界関連の話なんかがやたら理想化された憧れの世界みたいに描かれてて、「うわ。なに、このミーハー!お水っぽー」とか思っていたのですが、読み進むにつれ、だんだんそんな軽口がたたけなくなってきた。
 感情移入しきったキャラクターの性格づけのリアルさとか、あと、ときどきストーリーがふと立ちどまって、慎平と恵美理とのあいだに刹那の愛情がキラリ! と通うあたりのデッサンとか。
 切実でした。繊細でした。漫画のなかの恵美理の表情にあわせて、いちいち胸がきゅっと締まるんですよ。
 作りモンじゃない、裏側にかすかな痛みの気配の伴った、物語の生き生きした展開に、もう、魅了されました。
 旬の抒情作家の、疾走する抒情の勢いをとめられる奴なんて、どこにもいやしません。
 たとえば、このページなんてどうです---?

                               

 ちょっと思ったよりだいぶ小さくなっちゃって、判別、難しいかと思うんですが、これ、彼氏のいる若菜に惚れて訪ねてきたけど夜中に部屋から追いだされた主人公・慎平と、彼氏と小競り合いして落ちこんでる若菜を心配して訪ねてやってきた恵美理とが、偶然若菜邸まえで出会ったときのシーンなんです。(知らんひとはなんのこっちゃ、ですよねえ。スミマセン m(_ _)m )
 このふたり、なんとなく気のあう同士なんですよ。それは当人同士もうっすら気づいてる。
 でも、若さと、思わぬ夜中の出会いだというシチエーションが、ふたりの態度をふだんよりぶきっちょに固くしてる。
 ふたりともお互いにちょっとづつ警戒してて、あと、わずかばかりの照れもある。
 特に、電信柱のうえの恵美理にむかって、

----おまえこそなにやってるんだ、バーカ…。

 なんていってつっぱって、わざと乱暴な口調でもって内心の照れを気取られないようにしている、主人公・慎平---マフラーとコートで電柱上の恵美理を見上げている少年です---の可愛いことったら。
 ああ、覚えある、ある! と、あらゆる男子は自らの少年時を思い出し、頭を掻きむしるべきシーンですよ、ここは。
 ここで頭を掻きむしんないのは、碌な大人じゃありません。
 それにしても、安達先生、青春期特有の恋愛への甘い憧れと、それと相反する不安とを実にうまくコンパクトに処理されたもんですねえ。ええ、グッド・ジョブです。安達先生は詩人ですね、根本のところが。

 しかし、詩人で繊細だということは、恋愛時の極上のハッピー波動も感知するけど、それと同時に、恋愛最下部のドロドロのマイナス波動をも感知して反応してしまうということです。
 繊細ってたぶん、諸刃の剣なんですね。
 この「キラキラ!」においても恋愛のそっち面への降下というか、人生の影の面に没入していきがちな、この作者特有の「堕ちたがり」の性癖が、すでにあちこちに兆しているのが感知可能です。芸能界にデヴューして次々と認められていく恵美理に恋して破滅していく秀才キャラ・奥平クンとか、あと、慎平から恵美理を奪ったものの、運命のイタズラから暴力団の刃に倒れ夭折してしまうケンだとかがいい例ですね。
 こうした闇側の破滅キャラが大きく育っていって、遂には作品そのものを飲みこんでしまうほど「無明」が濃くなったのが、恐らく次作の「さくらの唄」だったのではないでせうか。
 あ。ちなみにイーダちゃんは「さくらの唄」は苦手。
 連載されていた「ヤンマガ」でも、あれ、後ろのほうに掲載されていたことが多かったんじゃないかな。だって、あまりに暗すぎましたもん。
 最終的に作者は「藝術」を人生の常闇からの脱出口として設置したかったようだけど、最期まで読んでいくと結局「藝術」も闇側に呑まれちゃってますよねえ。安達さん自身もくたびれてて、人生で迷子になったみたいに足場も分からず、途方に暮れてる感じとでもいいますか。
 あれ、画いている本人さんも「藝術の勝利」なんて信じてませんよ。
 いちばんいけないのは「青さ」がないこと。「青さ」と背伸びは若者の特権ですもん。それを手放したら若者なんて、ただの野犬といっしょです。だから、後味わるいんですよ、この漫画。

 おっと、話がとびました、「キラキラ!」にリターンをば。
 「神は細部に宿る」なんて有名な言葉がありますが、この「キラキラ!」においても注目すべき細部はいっぱいあります。
 超・個人的にイーダちゃんが推薦したいのは、ここ---。

                            

 これ、先輩タレントの別荘に若菜といっしょに連れこまれて、貞操の危機をひしひしと感じている恵美理が、先輩タレントが部屋を出たすきにとりあえず救いを求めて内線の電話をとったら---携帯のない時代、なんか懐かしいっスね---たまたま皆と遊びにきていた下の部屋の慎平に繋がったったという場面なんですが…。

----恵美理:あんたンとこのメンツじゃないの? 何匹かこっちきてるわよ。うるさいからさっさとひきとりにおいで!

----慎平:だれだ おメー? 高ビシャにざけんなよ ここおめーんちかよ----- これでもくらえっ はっはっはっ! (ガラガラうがいしながら送話器にむかって大笑い)

----恵美理:これ どこのバカ? (あきれながら受話器から耳をはなして)

 この慎平のうがい笑いのギャグは、いまでも好きっス。
 というかぜひとも実地で使いたい。携帯時代になってから飲み会で何度か使ったことありましたけど、相手とシチエーション顧みずにおなじ流れだけやってみせてもねえ---ええ、あんまり受けませんでした。ぐっすん。

 あと、安達先生、夜の描写がいいんですよ、とても。いま僕が紹介したほかにも---慎平が恵美理とふたりで夜の街をはじめて徘徊するシーンとか、公演をバックれた恵美理をむかえる慎平の仲間たちが、皆で、夜中の青晶学園で突発的なライヴをはじめちゃうところとか---胸がきゅんとよじれるような、極上ポエジーがつまったシーンがそこいらじゅうに目白押しです。
 さすがに89年の作品ですからいまじゃあまり見かけなくなりましたが、ネットで探すか大きなネットカフェとかにいけば、たぶん、なんとかなると思うんですけど、どうでせうかね?

 安達先生じゃないけど、結局、ニンゲンって「キラキラ!」なんじゃないでせうか。
 この「キラキラ!」の瞬間をもとめて、僕らは生きてるんじゃないかなあ。
 少なくとも僕はそうですね。恋をするのも旅をするのも温泉巡りするのも音楽を聴くのも---すべては、生命がぱっと燃えあがる、この「キラキラ!」の瞬間のためだと思ってる。
 残りの人生であと何回「キラキラ!」できるかはわかりませんけど---ねえ?---なるたけ多く「キラキラ!」していきたいものですねえ。(^o^)/


  

 

 

徒然その36☆悲しいときはカリーを食べに…☆

2010-12-17 09:13:42 | 身辺雑記
                        

 皆さん、お元気ですか?
 昨日、僕は、ライヴの打ち合わせに新橋に出るとちゅう、銀座線のなかに携帯を落として紛失しちゃいました。
 2日前には家の鍵を紛失して全部作りなおしたりしてますし、先週には、古くからの友人との絶縁事件が重なったりで、どうもここのところプライヴェートが低気圧きりもみ飛行中のイーダちゃんです。
 携帯とか鍵なんかはあくまでモノですから、まあ、なんとでもなりますが、古くからの友人と決裂したのは応えました。
 ええ、いままで経験したどんな失恋よりきつうおました。(ToT)

 突然ですが、貴方、悲しいときはどう処理されてますか?
 海を見にいく? 遠いところに旅にでる? あるいは酒?---気絶するほど飲みまくるとか。
 ハード・トレーニングなんてのもなかなかいいですね。
 温泉湯治なんてこんなときは理想的なのかもしれない---しかし、イーダちゃんは、今年の8月に超・豪勢な北海道一周温泉旅行をすでにやっちゃってますからね。あまり温泉ばっかり行きすぎてると、そのうち贅沢しすぎだとバチをあてられそうな気がしてきちゃう。
 だもんで、日本橋にカリーを喰いにいきました。

----えっ、日本橋?

----ええ、日本橋に。

----なぜに日本橋? 神田とか中野じゃなくて?

----ええ、神田とか中野とかじゃなくて日本橋。どしても日本橋なんです。こちら、地下鉄からあがって永代通りからちょこっと入ったところに、「紅花」ってレストランがありまして、そこに、そんじゅそこらじゃ味わえない、見事な絶品カリーがあるんです…。

 ええ、たしかに「紅花」さんは印度料理屋じゃありません。
 基本的には洋食のレストラン。しかも、店のウリは、日本橋における鉄板焼きの老舗の看板だというんですから、ますますカリー世界からは遠去かる理屈です。
 印度料理フリークのイーダちゃんが推薦するにはふさわしくないお店かもしれない、でも、1度ここのカリーを食べちゃいますと---たぶん、貴方も後々までこの魅惑の味覚にハマることになると思われます。
 こちらのカリーは、通称「ココットカレー」と呼ばれておりまして---。
 注文すると、しばらくして、大きな茶色の壺に入って運ばれてくるんです。給仕のお姉さんが自分のまえのテーブルにことんと壷をおいて、目のまえで壷の蓋をあけてくれまして……その瞬間、プワーッと惜しげもなくあたりに振りまかれる、超・極上のスパイシーな芳香ときたら! ブラックペッペーとクミンと、メティとカルダモン、その他もろもろのスパイスが混じりあった、鼻腔をきゅっと切なくさせる、ちょっとたまらん種類の香りなんです。
 カリーのソースは見ての通りのサラサラ系---でも、そうとうこれは辛めの感じ。
 お値段は、1人前で 1,575円、やや高だけど、旨さがマジで並じゃない。
 昼時は近郊のサラリーマンでどの席もいっぱいに埋まります。しかも、育ちのよさげな彼等---エリート・サラリーマン系がこぞって注文するのは、ほぼ80パーセント以上がこの「ココットカレー」だっていうんですから、もう凄い人気ってことですよ。
 彼等・スーツ系の「ココットカレー」のマニア連が---彼等はなぜか単独で来店する例が多いようです---テーブルにドカンと置かれたおのおのの壷と相対しながら、無心になってカリーを食してる情景は、なぜか神聖な儀式みたいに見えたりもしてきます。
 ふだんだったらイーダちゃんとまったく生活圏のちがう、仏教的にいうなら「縁なき衆生」なんでせうが、おなじように極上のカリーを食しにきてるお仲間ということで、何気に流れる客同士のまなざしも、駅のホームで交わすそれよりも暖かくて柔らかめの感じです。
 僕はこちらのお店の2階席で食したのですが、食事どきのこの風雅な感じ、なかなかよかったですよ。 (^O^;/

                                 

 左上が、日本橋紅花別館さんの通りの写真、そして、右上のが「ココットカレー」入りの例の壺ですな。
 ちなみにレストラン紅花さんの別館のホームページは www.benihana.jp/nihonbashi:/spicy.html であります。
 僕はここ、湯島の「デ○ー」さんより上だと個人的には思ってるんですけど---。 

 さて、人間って現金なもので、さまざまな悩みからよろめくようにレストラン入りしたというのに、いざ、本当に美味しい、好みの食べ物をいったん喰いだしたら、それまでの悩みのあれこれが一瞬脳裏から消失するんですよ。ええ、頭のなかも心中もひたすら「ココットカレー」一色になっちゃう、そんなありがたい無心の時間がどこからか訪れてくるんです。
 20種類のスパイスの瀟洒な芳香と、皿と口内とを行来するスプーンとお皿のかちゃかちゃいう音以外はなにも存在しえない小宇宙が、ふいに目前に現出する、とでもいいますか。
 飯喰ってるときって基本的に無心で、特定のことを考えてるわけじゃないんですが、いざ食しおえてみると、自分がなんだか凄く有意義な時間のすごしかたをしてきたみたいな充実感が、胸のへんにこう残っているんですね。
 で---勘定をすまして、北風のくるくる舞ってる舗道にでてみると……なぜか、自分の気持ちがさっきよりほんの少しばかり楽になってることに気づいたりして---。   

----ああ、うまかった…。

 ちょっと伸びして、視界の右斜め上にお午すぎの光の気配、それからまたアスファルトの道、歩きだして---。
 生きてりゃ誰でもいろいろあります。でも、ま、まえむいて、旨いもの喰って、ぼちぼちトコトコ行きませう。(^^)


 § 落とした携帯、でてきました。新橋駅銀座線のホームと電車との狭い隙間にホルダーごと落ちちゃってたようですね。
   事実は小説より奇なり。よくあんなとこ落ちるよ。夜間作業のひとが見つけてくれたらしく、新橋駅の駅員さんから今朝7時に電話がありました。いや、どうもありがとうございます。助かりました。M(_ _)M


 

徒然その35☆やあ、ジョン、元気ですか?☆

2010-12-14 00:53:23 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                           

 やあ、ジョン、元気ですか---?
 貴方が亡くなってから30回目の冬の到来です。
 信じられないでせう? 貴方がいなくなってから30回目の12月8日がやってくるなんて。
 YOKO さんや息子さんからいろいろ聴いているとは思いますが、貴方が亡くなってから、ずいぶん多くのことが変わりました。
 80年代は素晴らしい時代になるって貴方はいってましたよね。
 ほかならぬ貴方がそういうんだから、僕もきっとそうなるって思ってました。いや、思いこんでました。
 でも、あれは、手放しでいい時代と呼べるような時代ではひょっとしてなかったかもしれません。
 むしろ、貴方のいっていた Bad Times というコトバで呼んだほうがふさわしい時代っだったかもしれません。
 80年代はニッポン史上もっともリッチな時代でしたが---ディスコとか六本木とか---そのように華やかな若者文化が、70'Sの純粋さを失い、大人の商業主義の波に呑まれ、吸収されていく時代でもありました。
 70'S にいまだに郷愁を覚える僕なんかにとっては、生きにくい時代だったという感触がいまだ残ってますね。
 そうして、21世紀の初頭には、貴方のいたNYで 9.11 なんてのも起こった。
 それに引きつづいて勃発したイラク戦争---目を覆うような悲惨事です---一説によれば100万人あまりの市民が死んだとか。
 悲しいことに、我が国の首相はこの戦争を支持することを公言し、僕はどうにもできない無力感と脱力感のなかで、貴方がこのニュースを知ったらどう思うだろう、と自問してました。
 ええ、貴方が死んでから、僕は自分のなかでこの秤----メジャー---を多く使うようになったのです。

----こんなとき、John ならどうしたろう? どう感じ、どう行動したろう?

 この問いは、ほとんど僕の指針になりました。
 貴方は黄金の声をもつ天性のロックンロール・シャウターで、優れたソングライターであると同時に繊細な抒情詩人でもあり、ときにはラジカルな平和運動家ですらありましたが、僕が何より魅かれていたのは、それらすべての才能の底に流れていた、驚くべき「率直さ」の奔流です。
 貴方は、もの凄い正直者でした---。

----ほんとの僕はひどい臆病者さ。生きてることを愛しているし、やりたいこともある。殺してやるって脅されたらキ○タマでもなんでも見せちゃうよ。

 なんていってるのを見つけたときはマジびっくりしました。あの天下のジョン・レノンだというのに全然カッコつけてない、どころかキ○タマですよ、キ○タマ!
 だいたいの男性諸氏にとって「臆病」っていうのはいまだ禁断の一句ですから、各人がおのおの流の虚勢の張りかた、ビビリ風情の隠し方、みたいな化粧パターンをたいてい用意してるわけ。
 でも、ジョンはそんなの使わないんですよ。
 この愚直なまでのスッピンの率直さは、絞りたてのレモンみたいに瑞々しく、まぶしいくらい魅力的でした。
 あと、ウーマン・リヴ関連ではこんなこともいってましたね。

----僕は、男が偉いと思ってるブタだった…。

 うわ、と思いましたよ。
 僕、当時はほんの中学生でしかなかったんですが、このセリフは革命的でした。
 ただの一言なんですけど、このつぶやき自体がもう完璧ロックンロールしてましたもん。
 実は、当時の僕、ロックとか急進的なモノがやたら好きな神奈川の一少年だったんですけど、それはそれとして、根っこの部分では非常に古典的な価値観をもっている少年でもあったんですよ。すなわち、ロックに夢中になっているような最先端部分と、女は男にかしずくものである、みたいな超・古典的な価値観が矛盾なく共存してるようなところがあったんですよ。
 いまでもこいういうタイプってけっこう多いと思いますよ、ニンゲンって案外芯の部分では変わりがたい生き物ですから。
 ファンションだけのロックをするなら、それは簡単です。
 それっぽい服で全身をキメて、LIVE をしたり、見に入って踊るなり、あと、なにかにつけアナーキーなふるまいだけでもすればそれ風に見える。端的な話、ま、誰だってできる。
 しかし、こういう身のまわりの、代々引き継がれてきて、ほとんど血と肉と化しているような「しきたり」めいた価値観まで、ロックでゆさぶるっていうのは、これは大変な難事です。
 自分の慣れ親しんできた感性、生活、癖といったそういうものから、もういきなり急カーブを切らなきゃいけないんですから。
 内面から変われっていうことですから、これは甘くない。
 人生のなあなあ部分、そのすべてにいちいち決着をつけて自分なりに進んでいけってことですから。
 でも、考えてみれば、ジョンのいってたことって、いつだってそっち側からのアプローチだったんですよ。
 しかも、ジョンが偉いのは、それらをすべて実行しちゃうこと---それに尽きます。
 躊躇なんてないのよ。ベトナム戦争がまちがってると思えばマスコミを集めてベッド・インを敢行し、「平和を我らに」なんて歌をつくって皆と一緒にもう街を行進してる。
 ショーンが生まれ、男女平等思想にかぶれると、たちまちのうちにロックミュージシャンを廃業し、YOKO 不在のダコダハウスの家事一切を取りしきり、1日がかりでパンを焼いたり洗濯したり掃除したりしている。
 いまのひとにはわかりにくいかと思いますが、当時、ハウスハズバンドなんて言葉はまだ生まれたばっかりだったんですよ。
 最前線の超一流のロックミュージシャンが引退して家事に専念するなんて、それまで誰も想像すらしたことがなかった。
 あらゆるひとの予想をこえてたわけですよ。あのミック・ジャガーですら「!」みたいな感じになっちゃった。機会があるごとに雑誌のインタヴューなんかで、ジョン、そこから出ておいでよ~ と呼びかけて、主夫たろうと家庭内で苦闘中だった当時のジョンを何度も苦らせています。 
 ジョンの主夫時代って、それくらい新しくて革命的だったんですよ。

----君もみんなもぜんぜんわかってないよ。赤ん坊の世話を焼いたり家事をしたりするのは1日がかりの大仕事なんだぜ…。

 ジョンのこのひとことで家事全般に対する見方が変わったというひとは、とても多いはずです。
 僕もそのうちのひとり。それまで料理なんかに興味はなかった。でも、ジョンがいうんだからと自分から料理を覚えようという気になって、実際はじめてみて、ある程度覚えもしました。そしたらね、これが案外楽しいの。そういう意味でジョンには凄く感謝してますね。
 あと男のひとりとして、僕も、社会的なあれこれの活動を無意識のうちに家事や子育てより上位に置いていたんですが、心のうちのそんな暗黙のカースト制度---これの順位にも「?」マークをつけて考えてみるクセがつきました。
 
    外で闘って喰いぶちを探してくるのは たしかに大変なお仕事---
    でも1日家にこもって 終りのない無数の些事仕事を次々とこなしつつ
    子供を育てたり皿を洗ったり夫の世話したりするのも 結構な難事なんじゃないかな?
    どっちが大変なの? そして、どっちの仕事をこなしているほうが人として偉いの?

 コレ↑は自家製のカルトン(4行詩)なんですけど、僕の当時の悩みはだいたいが上記通りのものでした。
 いまじゃむろん解決してますけど---つまりは、どちらのほうが偉いのか、なんて発想自体がまちがってたってこと。
 偉いというなら---偉いなんて観点自体ややへんなんですけど---まあ、どっちもそれなりに偉いんですよ。ただ、どちらかがどちらより偉い、とかいうようなことはない。
 つまりは比較級の「秤」自体が、そもそも「ヘン」の元だったってこと。
 それを教えてくれたのが、ジョン・レノンって男だったんですよ---。

 フツーだったらそんな説教じみたこと、誰がいったって聴きゃあしませんって。
 でも、ジョンの場合、自分の生活者としてのピュアな苦しみを、シンプルで虚飾のない、自分なりの必死のコトバでもって語りかけてきてくれましたからね---しかも、いつの場合でもソリッドなロックバンドのご機嫌なリズムに乗って。

----生きなくちゃいけない
  愛さなきゃいけない 偉くならなくちゃいけない
  突っこまなくちゃいけない
  でもとても難しい ほんとうに難しい
  ときどき僕はダウンな気になる
  
  食べなくちゃいけない
  飲まなくちゃいけない
  何かを感じなくっちゃいけない
  心配しなくちゃいけない
  でもとても難しい ほんとうに難しい
  ときどき僕はダウンな気になる
                (ジョン・レノン It's So Hard より)

 リアルです。ジョンの歌っていつでも身を切るくらいリアルで、痛い…。
 Beatles が革命的な何事かをなしたとするなら、その支柱になっていたのはまちがいなくジョン・レノンでした。
 ジョンは正直でした。そうして、自分のその正直さに対してとても誠実でした。
 正しいと思ったことはいわざるを得なかった。胸に隠したまま上手に老いていく方法なんて論外でした。というか、そのような「楽に生きるための処世術」一般を憎み、対決してきたのがジョンだったといえるのではないでせうか。
 誠実に、正直に生きるって、たぶん、途轍もない難事です---。
 それを徹底してやったら、たぶん会社ではトラブリはじめ、迷惑がられ、下手したらそのまま排除されちゃう。
 ジョンほどの世紀のスーパースターですら撃ち殺されちゃうんですから。
 これはつまり、正直と誠実とを憎んでるひとの勢力もこの世には確実にあるということです。
 不景気、倒産、失業、借金……こういう暗い時代のあとには、歴史的に戦争が追っかけてくるのが常でした。
 ですから、いまこそ僕らも用心しながら歩かなきゃ、と思います。
 
----君らはSEXとTVと宗教とに酔わされて、自分は利口で階級なんかとは埒外の自由な人間だと思いこむ。
  でも、僕にいわせれば、君らはしようがない百姓さ…。 (ジョン・レノン「労働階級の英雄」より)

 ジョン・レノンは身体を張って激動の時代を誠実に生き抜き、僕の見本となってくれたひとでした。
 ジョンの声は本当に美しく、切なくて眩しかった。
 暗雲のたれこめたいまのような時代にこそ、僕らはジョンの歌に耳を傾け、ジョンの正直さや率直さを見習っていかなくちゃ、と思います。(^.^;>


 なんか、熱入れて書いてたら、ちょっとシリアスすぎる内容になっちゃったゾ。
 近いうちに、Beatles ベストテンとか、そういった軽めの企画モノ---コード進行なんかも入れたマニアックなやつ!---にもチャレンジしてみるつもりです。(^^;





徒然その34☆イーダちゃんの手作りマザーグース☆

2010-12-14 00:30:36 | スケッチブック
         

     
        ルシュフェラージュ・ドドンパ
        早く起きてよ---もうお昼だよ!

        ルシュフェラージュ・ドドンパ
        早く起きてよ---
        Dr.ランジェリンが来てるよ!

        ルシュフェラージュ・ドドンパ
        起きてよ
        起きてよ---いますぐに!


 なんのこっちゃって感じですが、これ、過去のイーダちゃんの作品なんですよねえ。
 懐かしいな---10代のころの詩(?)ではないでせうか。
 当時からマザーグースやアリスの「不気味可愛いナンセンス世界」がとっても好きでして---だって、こういう感触のナンセンスって日本の土壌にはないもんですからね---それなら、と自分なりに試作してみたのがこれだったというわけです。
 いや、厳密にいうと日本にもナンセンスはなくはないんですが---「かごめかごめ」とか地方の囃し歌とか---どうしても向こうさんほどポピュラーじゃないし、日本の風土の影響を受けて、湿度というか、どこかでやっぱり「濡れ」ちゃうんですよね、日本のナンセンスの場合には。
 そういう湿気やニンゲンの「情」のぬめりを排除して、ちょっぴり苦めの残酷なナンセンスがやりたかったんですよ。
 もっとも、実際の出来は、理想からほど遠いモノになっちゃいましたけど。
 詩の文字群で表現しきれなかった不気味感の残りの部分を、せめてイラストで補填してる感じ---あ。このイラストもイーダちゃん作であります---が、まあ微笑ましいといえば微笑ましいかもしれないけど…。
 上の詩の出来は自分でもどうかと思いますが、この詩の主人公の「ルシュフェラージュ・ドドンパ」という名前だけはけっこう長いあいだ気に入ってて、愛着もありました。この名前、生まれるまでにまる2日かかってるんですよ。大学の講義のとき、教科書のうしろでずっとあーでもない、こーでもない、と模索してたんです。一度はこの主人公の少年が活躍する、国籍不明の学園メルヘンを書こうと思ったこともあったかな---「第1章:ドンちゃんの遅刻」とか「第2章:ドンちゃん雲にのる」とかね。
 ま、古い話です。もうひとつ、試作いってみませうか。
 今度は、マザーグースをもうちょっと湿らせて、それに少女漫画を軽く絡めた感じ。


                    


                  「尻軽娘のバラッド」
        
        そうよ---アタシは尻軽娘
        お尻はとっても軽いけど
        心の軽さはそれ以上!

        そうよ---アタシは尻軽娘
        心はいつも飛んでいる
        縛れるモンなら縛ってごらん!

        だけど---アタシは尻軽娘
        羽根より軽いこの心
        ホントはいつでもゆれている---

        そうよ---アタシは尻軽娘
        毎夜3時に眠るとき
        いつもちょっぴり想うこと…

        明日………きっと
        優しいひとがアタシのまえに---

        そしたら…
        そしたら…
        心を3度 ノックして---


 うわ。読みなおしたら、これ、全然マザーグースになってないゾ。
 かろうじてイラストだけがそれっぽいけど、あとはイカンですな、むーっ…。
 もうひとつだけ、英国風なの、いってみませうか。


                    「紳士スティーブンソン 」

        紳士スティーブンソンは火事が好き
        いつも弁当もって駆けつける

        火事だ!
        火事だ!
        消防車が駆けつけると
        スティーブンソンはいつもいる
        ニタニタ見物うれしそう

        ---ひとの不幸がそんなにうれしいのか?
        ある日誰かがそういった
        ---失礼ですが
        スティーブンソンは答えた
        ---ひとの不幸ほどおもしろいものはありません

        次の日 
        スティーブンソンの家が火事になった
        スティーブブンソンも焼けた

 
 うーむ……。まとまっちゃいますが、なんというか、なんでこんな勧善懲悪にしちゃったんだろう?
 たぶん、勧善懲悪という節理そのものの残酷さ、みたいなのを表したかったように思うのですが、成功してるとはいいかねますな。わざと意地悪く書こうとしてる努力がちらちらとほの見えて、そのへんの小市民性がややいじましい感じというか。
 本物の天才はまるきりそのへんがちがうの---たとえば、寺山修司---。

----色鉛筆にまたがっていくぞ地獄へ菓子買いに (寺山修司「ぼくのつくったマザーグース」より)

 うおー、と叫んで、黙りこむしかない出来です。なんだ、こりゃあ。(ToT;>
 なぜ、色鉛筆なんだ? なぜ、地獄で菓子なんだ? といったような諸々の疑問をこえて、寺山修司ワールドの血みどろの不条理なポエジー群が、説明するよりさきにこっちの心の岸にもう上陸しちゃってる。
 なんちゅうスピーディー。 
 はっと気がついたら、もう咽喉のあたりに赤いマチバリなんか刺しこまれてる感じ。
 かなわないよ、こんな無邪気には---でも、さらにひとつ、追加オーダーいきますか。

---ねんねんころり ねんころろ ねんねんころころ 皆殺し (寺山修司「田園に死す」より)

 す、凄すぎる…。(xox;/ ←(絶句マーク)
 かたちは全然マザーグースしてないんだけど、精神がこれマザーグースの詩群の集合無意識界にまでまっすぐ到達してますね。
 なぜ、子守唄の「ねんねこ」いう民族的な遊戯フレーズがラストの皆殺しという単語に逢着するのか?
 そうして、その展開に、なぜ、違和感や無理強い感がちっとも伴わないのか?
 これは、冷や汗モンの怒濤の詩才であり天才ですよ。ただの2行でしかないのに超・寺山修司してる。これは、脱帽するしかないですね---。

 こうして、マザーグースの詩句に寄せて、自らの才知をさりげなくアピールしようとしたイーダちゃんの計画は中途で座礁したのでありました…。(ToT)
 けど、まあ挫折してよかった。妥当な終り方と思いますよ。
 最後に、ホンモノのマザーグースから詩片をひとつ引用して、このページを締めようと思うんですがいかがでせうか。
 
         ゴータムむらの おりこうさんにん
         おわんのふねで うみにでた
         もしもおわんが じょうぶだったら
         わたしのうたも ながかったのに
                         (講談社文庫「マザーグース」より)

 シンプルで、気取りがなくて、分かりやすくて、しかも、余韻が残ります。凄い。
 さすが、250年も歌い継がれてきた本家の実力は伊達じゃないですね---マザーグース、やっぱり好きです、イーダちゃん。(^.^;>
  
 
            

徒然その33☆花形敬のレクイエム☆

2010-12-10 21:33:19 | ☆格闘家カフェテラス☆
                             

 この☆格闘家カフェテラスのコーナーは、ここだけの話、あんま人気ないんですよ。
 自分的には非常に気に入ってて、前回のルー・テーズ以外にもいろいろと暖めているネタはあるんですが、なにせ人気がない。アクセスしてくる方がとんとおられない。
 というわけでいま現在、必然的にやり甲斐のない、秋口のとぼとぼ散歩道的なたそがれページとなりつつあるんですが、実をいうと僕、どうにも好きなんですよねえ、このページ。
 ブログ、というジャンルであることを最大限利用してこれからも細々とやっていけたらなあ、なんていまのんきに思ったりしているのですが、今回のカフェテラスのゲストは凄いですよ---なんと、あの伝説の喧嘩師!---花形敬さんなんであります。
 うわーい、ぱちぱちぱち。(口笛、指笛等の高い音も)
 なぬ、この方をご存じない?
 話のそとだ、そんなのは、おとといおいで! と勢いにまかせていいたいところですが、そんな傲慢対応かましていた日にゃあ僕自身の明日もないし、わざわざ訪ねていただいたお客さんに対しても申しわけない、ということで改めて初心にかえって、この方のプロフィールを紹介させていただきませう。

  -----花形敬。
     1930年小田急沿線の経堂に、良家の子息として生まれる。
     千歳中学校を自主退学ののち国士舘中学に移籍。そののち明治大学予科に進みラグビー部に所属。身長182センチ。
     1950年、渋谷の安藤昇の舎弟となり、無類の喧嘩の強さから大幹部に引きたてられる。
     前科7犯、22回の逮捕歴あり。相手が何人いようが刃物をもっていようが、自らは決して武器をもたない
     「素手喧嘩(ステゴロ)」で通し、いざ喧嘩となった際の凄まじさは、あらゆる暴力団関係者から例外的な
     伝説としていま現在も語り継がれているほどの特別の存在。いわば暴力世界のカリスマ。
     漫画「グラップラー刃鬼」の花山薫のモデル。
     東映映画「疵」では陣内孝則が、「安藤組外伝」では哀川翔が、それぞれ花形役を演じた。
     全盛期の力道山をビビらせたこともある。1963年9月27日、組関係の抗争から刺殺される。33才だった。

 どのエピソードも人間離れしていて凄いんですが、現(?)住吉連合常任相談役の石井福造氏のこの回想が極めつけにすさまじいので、この場を借りてちょっと紹介しておきませう。
 渋谷の盛り場で、この石井さんが若い衆に命じて、なんか金品巻きあげのようなことをやっていたらしいんですよ。
 で、ひとりになって靴磨きに靴を磨かせていると、いつのまにか10人をこえる土方の一団にまわりをすっかり囲まれていたことに気づくんです。めいめいがツルハシとかハンマーをもってて---要するにお礼まいりにやってきたというわけなんです---石井さんも普通のおひとじゃない、腕には自信がある、しかし、いくらなんでも相手が多すぎるし、皆、武装までしてるんだからこれは分がわるい。

----靴磨いてんだ。終るまで待ってろ。

 とはいったものの、さて、どうしたものかと困っていたら、そこに花形敬が現れたというんですよ。
 以下、本田靖春氏の著書より引用します。

「兄貴、どうしたんですか」
 花形は石井を立てるように、丁寧な物言いをした。
「いや、この連中が話したいというもんだから」
「ああ、そうですか。じゃあ、ここはまかせておいて下さい」
 土方たちをうながして先に立った花形は、渋谷大映裏の空地に入っていった。
 ここでも片がつくのに「何秒」しかかからない。リーダー格と目される男の顔面に、いきなり花形の右ストレートが伸びた。その一発で、男は横倒しになり、完全に失神した。
 パンチの勢いに驚いて、他の連中は四方へ逃げた。その中の一人を追い掛けた花形は、追いつきざま、相手の腰に飛びついた。千歳の生タックルである。
 三メートルは飛んだと石井はいう。地べたに叩きつけられた男の顔を三つ、四つ踏みつけておいて花形は石井に声を掛けた。
「さあ、行こうか」
 息も乱れていない。
「そういうとき、花形は格好つけないんですね。何事もなかったような顔してる。強いのも強かったけど、度胸が凄い。十人くらいいたって、平気なんだから。負けるなんて、全然、考えたことないんじゃないですか」
 これは、いまになっての石井の感想である…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)

 ああ、楽しい。花形敬の最強伝説を語るときほど楽しいことって、僕にはそうありません。
 なんしろ強いんです。ハンパないんです。しかも、僕ら素人がそう評するのじゃなくて、花形の場合、むしろ暴力のプロの方々のほうがそうおっしゃられるわけなんですよ。自分はいついつのどこで花形と喧嘩して負けた、とかね。普通だったらそういうことってありえないんです。負けても勝ったといいはらねば、たちまちメシが喰えなくなる業界です。
 しかし、そうした修羅界の常連さんがたにとってすら、花形は別格の存在なんです。
 花形が相手なら負けて当然と誰もが思ってる、だから、自分がいかに簡単に花形に叩きのめされたかを得々と語るのです。これは、きわめて異常な事態です---つまり、花形敬とは、まさにそのような異常な語られ方をされるような、「特別な」男であったというわけなんですよね。
 この「特別さ」は、このエピソードに端的に顕れていると思います。
 ええ、あまりにも有名な、例の花形銃撃事件です。
 1958年、渋谷宇田川町のバー「どん底」の前で花形は背中から声をかけられます。

「敬さん」
 青白い疵だらけの顔が振り向いた。特徴のある目は深い酔いで焦点が定まらないようであったが、向けられた銃口にはすぐ気づいた。
「いったい何の真似だ、それは」
 ドスのきいた低い声に動じた気配はない。恐怖にかられたのは牧野の方であった。身体の正面を彼に向け直した花形が一歩一歩迫ってきたからである。
 撃たなければ殺される。牧野は夢中で引き金をしぼった。しかし、弾は花形をそれた。
「小僧、てめえにゃおれの命はとれないぞ」
 後ずさりしながら牧野は二発目を発射した。弾はその掌を射抜き、衝撃で花形の長身が半回転した。続いて第三弾が左の腹部に撃ち込まれた。さしもの花形もその場に崩れ落ちる。
「やりました」
「やったか」
 これで、やっと枕を高くして眠れる。そう思って石井が安堵の胸を撫で下ろしていると、花形の動静を探らせるために放っておいた森田の若い衆二人が、血相変えて現れた。花形が石井と森田の居所を探し求めて、渋谷の街をうろついている、というのである…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)

 驚異---撃たれても死んでない。
 さらには、運び込まれた病院を脱走して、自分を撃った相手を探して渋谷中歩きまわってたっていうんですから…。
 これには、撃ったほうの一団もまっ青だったと思います。これはコワイよ。
 しかも、花形のこのときの怪我の具合をあとから分析してみると、決して軽いものじゃないんです、弾の一発は左掌の人差し指と中指近くを貫通して穴をあけてましたし、腹に撃ちこまれたほうの弾は左腰貫通して坐骨骨折を起こしてました。通常でいうなら最低でも4ケ月の入院が必要なところだったとか。
 けれども、花形さんはそうしない、それどころか仇の居所を夜更けすぎまであちこち探しまわり、そのあいだも酒を煽り、焼き肉を二人前平らげ、夜明けには女をつれて宇田川町の旅館にしけこんだというのだから絶句です……。
 これはもう空手何段だとかベンチプレスで120キロあげれるとかいったレベルじゃぜんぜんんない。 
 恐らく、脳天のさきまで響くような歯痛の極みみたいな激痛が、一晩中、身体中のすみずみまで駆けまわっていたはずです。
 1秒1秒が地獄だったと思います。
 歩くたびに限界致死の痛みが脳髄の奥までギチギチと響きわたってくるというのに。
 なのに、焼き肉を食べ、あまつさえ女まで抱いてるんですから---これは、異常な耐久力であり異常な根性ですよ。
 僕は歯医者とかにいくたびに彼のこのエピソードを思いだして、痛みに耐えようとまあ思うんですが、いつも2.5秒あまりで挫折しちゃう。花形はちがう。恐らく、麻酔抜きで歯を全部抜いても悲鳴すらあげないんじゃないでせうか。そんな人間はいないと僕も以前なら思ってた。でも、花形なら、やっちゃうと思いますね。

 東興業の安藤昇さんがこの事件を知ったのは、翌日の昼すぎに事務所にでてきてからでした。
 すぐにひとをやらせて花形を呼んだそうですが、いくら尋ねても花形はなんにもいわない。そのうち、花形が身体を動かしたとき、何かのはずみかでそのズボンの裾から、撃たれた拳銃の弾が床にコロンとこぼれ落ちたということです---。

 ルー・テーズの師匠であるジョージ・トラゴスは、若いころ、よくテーズにこういっていたそうです。

----いいか、ルー、世の中、上には上がいることをを決して忘れるな…。(ジョージ・トラゴス:米国のレスラー。サブミッションの達人)

 ええ、花形敬とは、トラゴスがこのようにいっていた「上の上」---ぶっちゃけていうならまさに喧嘩の天才だった、とイーダちゃんは思ってます。
 どんな分野にも天才っていますから。そして、とっても悔しいけど、天才には凡人は絶対敵わない。
 この花形銃撃事件は、僕はたまたま起こった銃撃事件を花形自身があえて「演出」して、自分をとりまく新たな「伝説」作りに利用したんじゃないか、と解釈しています。痛みはすさまじかっただろうけど、彼自身は案外新しいタイプの喧嘩みたいなつもりで、やっててけっこう楽しかったんじゃないのかな。
 闘いのために生まれてきたようなこんな男に勝てる奴なんて、まず、いなかったでせう。ランクがちがいますもん。
 知り合いのムエタイ・マスターは、僕がこの説を述べると怒るんですが、僕は、喧嘩の強さっていうのは、生まれつきあらかじめ決定されてるもんだと思ってます。後天的な鍛錬やら格闘技の習得である程度までならこの溝を埋めることは可能でせうが、完璧に埋めきることは恐らくむりでせう。
 この花形敬という男には、結局、誰もかなわなかった。
 格闘技のチャンピオンだとか暴力世界で名を知られた無類の喧嘩名人とか---ちょっと比類のないランクの強者たちであればあるほど---逆に、生前の花形とは注意深く距離をおいて、徹底的に対決を避けてました。
 恐らく、強い奴には強い奴がわかるんでせうね。本能でもって。
 安藤組の武闘派ななかでも極めつけといわれていた、50人からの舎弟頭、空手4段の西原健吾氏も、花形と喧嘩になりそうになったとき、運転手に耳打ちしてクルマを停めさせ、ドアをあけるなり一目散に逃げだしたそうですから。

---あの喧嘩の強いのが、物凄い勢いで逃げましたからねえ。必死なんてもんじゃない。いまも目に浮かぶようです…。(元安藤組幹部、M氏の証言)

 あの世界チャンピオン、ルー・テーズも喧嘩の強者として認めていた、全盛の力道山にしても、花形をまえにした際には、対処法は西原さんとごいっしょでした。引用いきます。

 昭和三十年の暮れ、そうした新しいビルの一つに、キャバレー「純情」がオープンする。その挨拶がないというので、開店の当日、花形が出向いて行き、マネージャーに経営者を呼ばせた。
 ところが、出て来たのは、力道山であった。
「何の用だ」
「てめえに用じゃない。ここのおやじに用があるんだ」
「この店の用心棒はおれだから、話があれば聞こう」
「てめえ、ここをどこだと思ってるんだ。てめえみてえな野郎に用心棒がつとまるか」
 花形に野郎呼ばわりされて、力道山の顔に血が上った。怒りで両手がぶるぶる震えていた。
 朱に染まったような力道山の顔面に花形がぐっと鼻先を寄せて、初対面の二人のにらみ合いが数秒のあいだ続く。
「中に入って飲まないか」 
 折れて出たのは力道山の方であった…。(本田靖春「疵-花形敬とその時代-」より)

 セメントマッチの強者・力道山は、このとき、花形の目のなかの「ただならぬもの」をたしかに目撃したんだと思います。
 それは、いったん目にしてしまったら、あの力道山すら一歩引かざるを得ないような類いの危険なものでした。
 花形の映像はそう残ってはいませんが、僕がこのページの冒頭に掲げた写真からも、それなりの「鼻」があれば、花形のその種の危険な匂いが嗅ぎだせるのでは、とイーダちゃんは感じてます。
 というのは、この写真なかの花形、顔の表情にリミッターがなんもかかってないんですよ。
 リミッター---ええ、僕ら、一般人って普段の自分の表情にもある限界線を決め、そこから先に感情が暴走しないよう案外入念にコントロールしてるもんなんです。普段の笑いならせいぜい大笑いまで、酒の席でならまあ馬鹿笑いまで、しかし、狂的な笑いまでにはいかないようにって常に注意深く自粛してる。
 日常生活をつつがなく送るために我々が調整してる、いわゆる理性作業の表情抑制リミッター---それが、この写真の花形の顔には見事なまでにありません。
 これは、行くとなったら、とことん行くところまで行く顔ですね。
 命が惜しいとか、迷いとか、そんなことはまったく思ってもいない、修羅の顔であり鬼の顔である、とイーダちゃんは思います。
 しかし、この鬼ときたらふしぎな鬼ですよ。死んでから何十年もたつというのに、ずいぶんいろんなひとから愛されているやうじゃないですか。

----拘置所に面会に行きますね。他の連中は番号で呼ばれて出てくるのに、花形さんだけは名前で呼ばれるんです。そのアナウンスがあると、百人からの面会人のあいだから、何ともいえないどよめきが起こるんだな。来ているのは、ほとんどが稼業人ですから。花形さんというのは、そういう存在だったんです…。

 今宵の僕のこのページも、そういった拘置所のどよめきのなかの小さな声のひとつです。
 強い者に憧れるごく単純な心理でもって、ここまで綴ってきたこのささやかなページを---たぶん天国にいるだろう花形敬さんにむけて、こっそり捧げたいと思うイーダちゃんなのでありました。m(_ _)m

 

徒然その32☆ホロヴィッツのクライスレリアーナ☆

2010-12-06 00:00:06 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                            

 特別なCDって誰にでもあると思うんですが、全盛期のホロヴィッツが69年に弾いたこの「クライスレリアーナ」なんて僕にとってさしずめそのような1枚ですね。
 シューマンの音楽の第一印象は決してよいものではなかったのですが。
 小学校の音楽鑑賞のとき聴かされた「子供の情景」が僕はたぶんシューマンとの最初の出逢いだったように思うのですが、子供心になにか凄い拒否反応があったのを覚えてますね。
 ほかの音楽鑑賞の時間はそうじゃなかったんですよ。
 ほかのときは単調なオーケストラ演奏が退屈で僕は大抵眠がってました。したがって記憶もほとんど残ってない。
 でも、「子供の情景」を聴かされたときは、うわー 厭だ、とすぐ思いました。こんなニブイ音楽は大嫌いだって。
 そのときの教壇の色や窓枠からさしていた光の加減までよく覚えてます。よっぽど厭だったんでせうね。それだけの拒否反応を誘発させるだけのパワーを音楽自体が内包していた、と読むのがこの小事件の恐らくいちばん正しい解釈なんでせうけど、この自分の過去の記憶を思いおこしますと、あのショパンがシューマンの「謝肉祭」を聴いたとき、いきなり発作的に立ちあがって、

----僕は、こんな音楽は大嫌いだ!

 と吐き捨てたエピソードなんかがつい連想されたりもしますね。
 シューマンの音楽ってそういう資質があるような気がします。なんとなく田舎芝居というか、子供じみてるっていうか、ほら、それ以上はしゃいだら滑稽になっちゃうって歓喜の坂を、平気でタッ、タッ、ターッって熱狂的に駆けあがっていっちゃうとこがあるじゃないですか。
 ショパンは決してやらないと思うんですよ、そういう美学的にみっともないことは。
 ええ、ショパンはダンディーでエゴイストですから。舞台のうえで笑われるなんてことにはとても耐えられない。
 でも、シューマンはちがう。内面の熱狂に押されたら、たとえば音楽がピアノの88鍵の鍵盤をこえて駆けあがっていくことを要求している場合、ほんとにその架空の音階を弾こうとして、身体をのばしすぎてピアノの椅子から身体ごと転がり落ちるとこまでいっちゃう。
 要するに子供なんですよ、バランスなんて崩れてもいいの、エクスタシーを隠さないんです。
 パトロン夫人のその日の眉の角度にあわせて装飾音の色あいを変えていかざるを得ないような音楽をやっていたショパンなんかからすると、許せなかったでせうねえ、こんな天真爛漫で気ままな音楽は。
 ショパンがあれほど感情的にシューマンの音楽に反応しちゃったってことには以上のような理由があったのでは、とイーダちゃんは推察します。
 ショパンにはシューマンのこの無心の歓びの身ぶりがどうしても許せなかった。
 そこにはいささかの嫉妬の念も、ひょっとしたらまじっていたかもしれません。
 そう、たしかにシューマンの音楽には聴くひとの評価を大きく二つに分けるような、なにか極端で過剰なところがあります。
 それを滑稽ととるか、高貴ととるかはたぶん聴く人の耳次第---。
 だから、躁鬱気質の激しいスキゾな音楽だなんていわれて、いまだに評価が分かれがちなんだと思います。

 こういう夢想家気質まるだしの特別な音楽は、当然弾くひとを選びます。
 いくら完璧無比のメカニックがあったって、このはなはだしくシューマニテスティックな、痛々しいくらいに無垢な「童心」をキャッチできなきゃアウトです。
 というわけで天才ウラディミール・ホロヴィッツの登場です---。
 このひとはシューマンの「子供の情景」の楽譜を手に入れた少年時、喜びのあまりベッドの枕のしたに楽譜を入れて眠った、という経歴の持ち主です。
 シューマン弾きっていうのはこうでなきゃいけません。ホロヴィッツがピアノ演奏史上指折りのメカニックの持ち主であることは周知の事実ですが、実はその事実とおなじくらい少年時のこの「子供の情景の楽譜を枕の下に入れて眠った事件」は重要なエピソードではないでせうか。
 ホロヴィッツは2度ともどれないロシア時代の自分の遠い過去を愛無するかのように、「子供の情景」を弾いていますね。(注:ホロヴィッツはソビエト連邦からの亡命ロシア人でした)
 テンポ・ルバートをごく控えめに用いつつ、全体的に非常にスマート、隠し味としてのビターな苦悩も奥のほうに注意深く微量に混ぜこまれてて、きりりとした、実に端正な名品に仕上がってます。
 これに匹敵する「子供の情景」はというと、僕にはコルトーのレコーディングぐらいしか思いつかないなあ。
 これは、陶酔しながら歌舞伎の見栄を切るような、いくぶん大時代な演奏ですけど、ホール最後尾の席まで思いがきっちり届くのは、なんといってもこちらがわの演奏なのではないかしら? やっぱり、ポリーニやアシュケナージみたいな安全主義の音楽の器じゃ、シューマンのあの過剰なロマンテックを盛れっこないですよ。
 失礼。いささか「子供の情景」のほうに寄り道しすぎちゃいました。「子供の情景」もいい作品ですけど、実は、イーダちゃんがより語りたく思っていたのは、シューマンがそのひとつあとに書いたエキセントリックな傑作「クライスレリアーナ」のほうなのでありました。

 ロベルト・シューマンが28才のときに作曲したこの<Kreisleriaana Op.16>---これは、彼が世に送りだした数々の名作のなかでも5本の指に入るくらい、シューマニステックに痛んだ作品です。
 この曲の題名は、当時音楽批評もやっていた有名作家のホフマン---ほら、あの「砂男」の作者ですよ---彼の小説「牡猫ムルの人生観(未読です、失礼)」に登場する、楽長クライスラーに由来するそうです。
 こちら、8曲の小曲が組みあわされたかたちの、シューマンお得意の、ファンタスティックな組曲の形式をとってます。
 短調と長調の曲が、シューマン内面のファンタジー世界の架空の住人「フロレスタンス(光の住人、シューマンのポジティヴ部分)とオイゼビウス(闇の住人、シューマンのシャドウ)」の対話のように、ときには仲睦まじく調和したまなざしを交わしあいながら、ときにはいがみあった憎悪と絶望の視線でお互いを突き刺すように睨みながら、クライマックスの終曲にむかってぐんぐん突き進んでいくわけなんですが、ロマンチックな憧れに身体を焦がしながら進みゆくその夢想の歩みようは、まさにロマン派音楽のひとつの頂点といってもいいほどの、豪奢でゾクゾクする味わいです。
 作者であるシューマンがいうには、この曲はすべて彼の妻であるクララ・シューマンに捧げたものなのだとか。

----…この曲はあなたへの思いが結晶したものです。この曲はあなたに、あなただけに捧げます。あなたはこの曲のなかに、多分、あなた自身の姿を見出し、微笑むことでしょう。(R・シューマンから妻クララ・シューマンへの手紙より)

 手紙にこうやって書いたときにはシューマンもそのつもりだったと思うんですが、でも、最終的にはシューマンはこの曲を盟友のショパンに献呈しちゃってるんですね。そのへんがいかにも矛盾だらけの人生を生きたシューマンらしいといえばらしいんですが、ほんと、このひとだきゃあ、よく分かりませんよね。純粋なのか功利的なのか、ロマンティックなのか実利的なのか---音楽雑誌の編集長をしたり、後輩音楽家のブラームスを発掘なんかもしてるから、社会的にみてもそうとう腕っこきの人物だったはずなんですが、音楽を聴くとぶきっちょの極みみたいに聴こえるときなんかも多いし---うーむ、謎ですね…。
 このページを作成するにあたり、イーダちゃんはさまざまな「クライスレリアーナ」を聴きなおしてみました。
 たとえば1983年のアルゲリッチのもの(左下)、あるいはぐっと遡って1935年のコルトーのものとか(右下)---

            

 ほかには72年グラモフォンに録音したケンプのもの、64年RCAのルービンシュタイン、92年アファナシエフ、52年のソフロニツキー……。
 どれも超一流ピアニストの演奏ですからわるいわけがない、皆、聴きほれるべき美点があり、また、聴かせのツボを憎いくらいに心得ている、プロフェッショナルな演奏ばかりです。
 ただ、あくまで「シューマニスティックに」という視点を入れて切りこんでいくと、やっぱり資質的に落ちていく演奏がぽつぽつ出はじめてきたんですね。
 具体的にいうなら、影のなさ、闇の少なさ、あまりにも健康的すぎるということで、まずルービンシュタインが脱落しました。
 とてもいい演奏なんですけど、あまりに健やかな、満ち足りた演奏は、シューマニスティックな見地から見てどうかと思います。
 あと、新劇の芝居めいたアファナシエフが落ちました---凄く面白いんだけど、演奏の決定的な素直さに欠けてるって点で。
 つづいて、ケンプ---僕はケンプのシューマンって案外好きなんですど、このクライスレリアーナにかぎっては、ケンプは守備範囲外って感じ、ちょっとしました。特に終曲の2曲でのテクニック的な面で。
 アルゲリッチ---普通にいったら素晴らしいんでせうけど、なんというか、躊躇とか屈折といった面が物足りないようにやや感じられてしまった。シューマンって主情だけでバーッといっちゃうような音楽とはちょっとちがうと思うんですよ。ある部分では不自然に急停車みたいに立ちどまったり、それから、泡喰って慌てて飛びだしていくような---非常にぶきっちょな、ある意味での「クサさ」「みっともなさ」みたいな特質が絶対必要だと思う。逆に、そういった部分がないと、演奏のほかの部分も生きてこない。彼女の演奏はそういった意味で1元論的な演奏になっちゃってる気がします。ラフマニノフならそれでいいかもしれないけど、あくまでこれはシューマンですから。だもんで残念ながらアルゲリッチ女史も失格。
 で、残るのは、コルトー、ソフロニツキー、ホロヴィッツの3人なんですが---。
 ソフロニツキーは、凄いです、このひと。
 天性の叙事詩人として、このひと、たぶん、かの大ホロヴィッツと張れるだけの器量をもってます---が、あまりにも録音わるすぎ。これじゃあねえ…。
 コルトー---この方もホロヴィッツと方向性はちがえど大天才ですからね。
 見事に、ロマンティックな、夢想家肌の、彼なりのシューマンを作りだしてます---しかし、終曲、あーん、指がついていってない!
 それでも、僕は素晴らしいと思うんですけど。ただ、やっぱ、次点ってことになりそうですねえ。

 というわけでホロヴィッツです。「クライスレリアーナ」の栄冠は、やはりこのひとのものでせう。
 唯一の弱点としては、第1曲の譜面で第2版を弾いてるくせに、第5曲のエンディングでは第1版のものを用いていること。要するに版の混乱がじゃっかん見られるあたりでせうか。
 けど、それ除いたら、この69年CBSソニーの録音は、つくづく無敵だとイーダちゃんは思います。
 聴いていて胸苦しくなるほどの音楽というのはいくつかあるんですが、僕にとって、ホロヴィッツの弾くこの「クライスレリアーナ」はその最右翼ですね。
 20代のころは全盛期の陽水のヴォーカルだとか、シト・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」、あるいはパーカーのサヴォイ録音なんかを聴いて、「わあ、スゲー。これぞ究極の痛い音楽だろう」なんてひとりで悦に入ったりしていたのですが、いちど、ホロヴィッツのこれを聴いちゃうと、もういけない、ほかのじゃてんでいけなくなりました。
 てゆーか、これほど内部に禍々しい「魔」が飛びかっている音楽って、寡聞にして、僕はほかに知りません。
 特に終曲---シューマン独自の8分の6拍子の、不気味わるい騎馬風のリズムの音形から、いきなり過去の熱情が吹きこんでくるところ---74小説目の Con tutta forza (全力をこめて) の部分からの悲壮なロマンティケルの怪しい輝きときたら、音楽のできる最大限のことをあそこで凡てやりつくしちゃったって感じです。
 あそこの部分を弾き終えて、ばったり倒れてそのままピアニストが死んじゃってもちっともおかしくないです、あれは。 
 むしろ、あれほどの「魔界」を鍵盤の上であんな風に立ちあげちゃって、なんで貴方その後フツーに生きていられるの? といったような感じですか。
 そうですね、異常な演奏家による異常な演奏だと思います。
 あれほどの無明の闇を呼びこむためには、どれほどの狂気を必要とするのか、考えただけで恐ろしくなります。
 ええ、ホロヴィッツはまちがいなくある種の狂人でせう。老年期のDVDのインタヴューなんか見ただけでも、そのへんの事情は皆さんもすぐに了解してくれることと思います。だって、このひと、モロですから…。

 それにしても、このひとのが鍵盤上に展開する、絢爛たる魔界の崖から見上げたときの、遠い彼岸の夕空のあの美しさ!---それは、もう言葉にできないくらいの憧れと望郷の念でいっぱいに満ちているんですよねえ…。
 なるほど、色合いはいささか血生臭すぎるかもしれない、しかし、絶美なんです。見てるだけで胸がいっぱいになって自然に泣けてくる。淋しくて、けど、同時になぜか懐かしくって。こんな風景はたぶん死んでからじゃないととても見られないと思う。
 だから、イーダちゃんは2、3ケ月にいっぺん、CD棚からホロヴィツツのこのCDをこわごわ取りだして、CDプレーヤーに乗っけてみるわけなんですよね。
 現実のざらついたマンネリ攻撃からしばし逃れ---夢見るために。
 そのためには、これ、最上のアイテムだと思います。
 ちなみにこの録音はホロヴィッツが65才のとき、1969年の2月5日と14日にわけて、NYの30番街のスタジオで録音されたものだそうです---。(^.^;>
  
 
  


 
  

                                             

徒然その31☆恐山☆

2010-12-03 23:01:10 | ☆パワースポット探訪☆
                             

 下北半島の恐山は、いままで3度訪ねています。
 1度目は2006年6月6日---会社の左遷から人生を考えるための大東北旅行にでた際に立ち寄りました。
 このとき、僕は乳頭の黒湯温泉から直接恐山を訪ね、日帰りでそのまま大間のほうに宿泊したんですよね。
 で、その翌朝、もういちど恐山に寄ってみた。春の宇曽利湖がとても綺麗だったことがいまも印象に残っています。
 懐かしいな。これが、まあ2度目として---。
 そうして、3度目の訪問は、今年2010年の8月27日のときのもの---まる1月にもわたる夏の北海道旅行の最終の地を、イーダちゃんとしてはぜひとも恐山宿泊で締めておきたかったんですよ。
 もっとも、このイーダちゃんのこだわり心理、恐山に興味ない人には、たぶん全然わからないでせうねえ。
 では、僕にそうまで思わせるにいたった恐山とは果たしてどんな場所なのか?
 名前だけはたしかに有名だけど、ほんとうにそれほど魅力のある場所なのかどうか。
 それを、これから検証していきたいと思います---。

 僕が最初に恐山という名を聞いたのは、水木しげるかつのだじろうの漫画のなかだったような気がします。
 皺の深い老婆のイタコが死者の霊を呼び、死んだ子供らのための赤い風車がいつもからからと廻っており、境内の積み石を無断で持ち帰ろうとした不届きなライダーは帰り道の急坂で転倒して首を折る---そんな禍々しい、なにか血生臭いようなイメージでもって、要するにかなり怪奇サイド側に誇張したタッチで語られていたんじゃなかったっけなあ?
 いずれにしても僕がそのころ小学校の低学年だったのはまちがいのない話で、幼少のイーダちゃんは当然のごとく震えあがりました。
 心底ビビリまくったといってもいい。僕、その夜眠れませんでしたもん。
 自分にそんな恐ろしい漫画を紹介した友人を恨み、もう金輪際あんな奴とは付きあうもんか、なんて眠り際に子供なりの決意を固め、でも、翌々日あたりにまたそいつがまた新しい怪奇漫画を教室に持ってきているのを知ると、なぜか車座になってそいつの席を囲んだ一団の末席に、懲りもせず再び加わってる……。
 やっぱり、好きだったようですね。というか、魅きつけられるものがあったんでせうねえ。
 日本人なら誰もが、この恐山の磁力は感知可能だとイーダちゃんは思うんですけど。
 なんか、日本人の無意識の「原風景」みたいな香りがしてるのかもしれませんね、ひょっとすると。
 ここで、さきほど話にもちょっと出た、風車の写真をUPしておきませう。
 左下が無限地獄近くの慈覚大師堂、そうして、右下にあるのは、賽の河原から極楽浜を遠目に眺めたところ。ともに27日の夕方5時の撮影です。

           

 なんか、この2枚の写真だけでも胸にくるもの、感じませんか?
 僕はこれだけでもガンガンきますね。元々それほど恐山好きだったというわけでもありません。話で聞いて、想像して、ふすまの隙からそーっと眺めていればそれで満足といった、好きといってもせいぜいがその程度。
 そんな淡くて幼げだったイーダちゃんのおぼろな恐山信仰を、思いきり過剰に煽りたてるお方がやがて現れたのです。
 それが、故・寺山修司さんでした。

----亡き母の真赤な櫛を埋めにいく恐山には風吹くばかり…。 (映画「田園に死す」より)

 このひと、天才です。ですから歌もエッセイも芝居も何もかも凄いのですが、わけても監督2作目の映画「田園に死す」にはまいった。
 これ、恐山が舞台になってるんですよ。寺山さん、もともとが青森の三沢のへんのご出身でせう? 恐山への思い入れはそうとう強いものがあったらしく、その思いの強さは傍観しようとしているひとたちの足場ごと根こそぎ押し流しちゃう、くらいのレベルの土石流なみのパワーを宿してまして。で、僕もそれに巻きこまれちゃったかたち。
 いやー この映画は凄いっス。
 宇曾利湖---冒頭にUPした湖---のほとりで燕尾服の怪人がチェロを弾くわ、寺山さんの母ちゃん役のおばちゃん女優が実家の畳をあければそこがもう恐山になってたり、修学旅行の学生服の集団が三途の川の赤い反り橋をわたってるな、と思ってカメラのズームをさりげなく追っていったら、詰め襟学生服の一団が実はみんな顔を白塗りした老人老婆の集団だったり……。
 あまりにも強烈なそんな数々の「禍々」イメージが脳裏に焼きついてましたので、2006年の6月6日にはじめて恐山を訪れたときには、意外とここ、静かで落ちついた霊場なんでかえって拍子抜けしたくらいでありました。
 昼間だとバスでくる観光客がけっこういますし、正門前の売店では「恐山アイス」なんてのを何気に売ってるし。
 平和、なんですよね---繰り返しになりますが、土地全体から非常に静粛で、凪いだ印象を受けました。茫洋としたこの世ならざる風景と、苦手なひとなら鼻つまんで逃げだすくらいの濃い硫黄の香りはもの凄かったんですけど。
 そういえば徒然その27☆の皇居のページでちらりと紹介した、「ほんとにあった怖い話」の看板霊能者である寺尾玲子さん、彼女を主演にした漫画「魔百合の恐怖報告(朝日ソノラマ)」の3巻に収録されている「恐山不思議旅(91年11月号発表)」のなかで、取材のため恐山を実際訪問してられるんですね。
 その際に印象的だった玲子さんのコメントをちょこっと書きだしておきませうか。

----ここはやさしい霊場だね。

----やさしい?

----うん。おっかない霊場とか結構あるもん。ここは悪いものを感じない。とてもきれいで何もない----

                                                     (山本まゆり「恐山不思議旅」より、玲子さんのセリフ)

 玲子さんの霊感にまるごとおんぶするわけじゃありませんが、恐山という霊場に関してイーダちゃんが抱いた総括の印象は、この玲子さんのコメントにとても近い感じでありました…。

 なお、こちら恐山の境内には、いくつか温泉がございます。
 山門を入ってすぐのところ、四十八燈を左手にまず「古滝の湯」、「冷抜の湯」、むかって右手に「薬師の湯」、そこを右手にぐーっと行くと、恐山の宿坊「吉祥閣」がありまして---こちら、宿坊とは思えないくらいの、高級感たっぷり、セレブ仕立ての高級宿坊です!---そのさきをさらにずーっといったところに、宿泊者しかいけない湯小屋がございます。
 ひと読んで「花染の湯」---2010年8月訪問のイーダちゃんの最終目的はそこだったのです。
 ま、ま、ちょいご覧になってくださいよ---。

                          

 宿坊「吉祥閣」のなかにも清潔で新しい大浴場はあったのですが、イーダちゃん的には断然こちら「花染の湯」でしたね。
 昼も夕も翌朝も---夜はおっかなくてひとりでココこれませんでしたけど---入るのはいつも「花染の湯」ばっかりで。
 もう、素晴らしかったんです、こちらの湯。
 白濁した、注ぎたての、掛け流しの、やや強めの酸性湯。
 掛け湯して肩までゆっくりと身体を沈めると、お湯中をくるくる回転している白糸の破片みたいなキュートな湯の花がいっぱい見えてね---「はふー」ってひとつため息して、両掌でお湯を顔にぽしゃりとやれば、もうこちらの湯小屋は即席の桃源郷に早変わり---浮き世の気苦労やら心配事の数々が、湯気にまじって昇天していくのがじかに見えるような極上酸性湯なんです。
 湯浴みを小休止して、裸のまま湯小屋のなかをちょっと歩いたりしてもいいし---で、おもむろに窓をあけたら、そのまま恐山の地獄が見える。
 この世の天国と地獄を同時に賞味できるような、これほどのお湯は、たぶん、ここにしかないんじゃないでせうか?
 ひとの世の果てにひっそりと咲くこちらの恐山温泉を、あらゆる温泉好きの皆さんに推薦しておきたいと願うイーダちゃんなのでありました…。(^.^;>

 と、ここで終るはずでしたが---ひとつ、いい忘れたことに気づきました。
 ええ、それは2006年の初恐山訪湯の際、イーダちゃんが nifty温泉さんのクチコミに乗っけられなかったことなんです。
 2006年の6月7日早朝、前日の恐山訪問に深い感銘を受けたイーダちゃんは再びクルマで恐山を訪ねまして、ビニール袋をひとつもって、だーれもいない無人の極楽浜で何気に自主掃除なんかやってたんですよ。けっこうガムの紙だとかお菓子の袋とか捨てていく不届きな輩はどこにでもいるようで、前日の訪問のときに気になっていたんですね。
で、なんとか浜近辺のゴミを拾い終え、ひと息入れて極楽浜の砂浜に体育座りしてたんですよ。こう、宇曾利湖のほうに身体を向けて。
 いい天気の朝でした。宇曾利湖もえらい綺麗な青色をしてて、イーダちゃんは頭をからっぽにして、それにまあ見惚れてたんですね。
 そしたら、突然、宇曾利湖のほうから一陣の風がさーっと吹いて---金属製の丸蓋---おわかりでせうか、ほら、よく乾燥を防ぐためのお菓子の金属箱の上の部分の、きっちりはめる、あの丸い蓋のことです!---あれが、いきなりコロコロコローッて、宇曾利湖の際から体育座りしたイーダちゃんの脇を、縦に、勢いよく、転がりあがっていったんです。
 えっ、と思った。うそーって青くなった。
 だって、アレは、人為的に転がそうとしたって、そう長い距離をバランスよく転がりつづけられるようなものじゃありません。
 もとからそのために作られているわけじゃないから、バランスだってわるいんです。
 それが、コロコロコローッ ですからね---生きた小犬みたいに。
 湖のほとりからイーダちゃんの先のやや上りの浜までの、10メートルあまりの距離を、ほんの一瞬で!
 誰かが意図的に投げて転がしたとしか考えられない---むろん、見渡すかぎり無人の浜なのは誰がどう見ても明白なんですが。
 あれだけはどうしてもわかんない。ええ、いまだにミステリーですね。
 さっすが恐山---やってくれるぜって感じです。

 最後に、早朝5時の宿泊者しか見れない恐山境内の写真をUPして、このページを閉じたいと思います。

                          

 ちょっと壮観でせう? 僕もそう思う。
 けど、いくらなんでもちょい長すぎ。
 というわけで今夜は最後まで付きあってくれてありがとう---でも、そろそろ頃あいです---お休みなさい…。m(_ _)m